おもいでぽろぽろ⑧夜汽車と別マとビートルズ[母が認知症になりました。]
「母は強し」という言葉があるが、「うちの母も強かったなぁ〜」と思い出す出来事がある。
普段は、天然だったり、ぶりっ子っぽいところがあって可愛いのだが、自分のことよりも子どものことになると急に強くなることがあった。
それは昭和46年(1971年)の夏のこと。
私は小学校4年生、10歳になろうとしている夏休み。
母は富山県に嫁に来て、2回目ぐらいの里帰りをしようとしていた。里帰りといっても母の実家(貧乏牧場)はもうない。9人の兄と姉たちが住まう北海道の釧路・根室・中標津に行くのだ。現在と違ってアクセスが良くない。気軽に行ける距離でもない。祖母との嫁姑戦争が激しく、嫌みを言われつつ、やっとのことで子どもを連れて北海道に帰れることになったのだ。私はそろそろ10歳、弟は5歳。今思えば当時、母は36歳だったのか…。
憶えているのは、ものすごく急いで駅に行って、駆け込むように汽車に乗ったこと。当時、まだ走っていたディーゼル車で青森行きの夜汽車だったような気がする。その後、青函連絡船に乗って、盛大に船酔いしたのも憶えている。
それからその日、一張羅のワンピース(ねずみ色で、別に可愛くないストンとしたデザインのやつ)を着ていた。汽車の窓が開いていて、トンネルに入ると、煤けて汚れたこと。車内は『銀河鉄道999』のように床も椅子も木製だった。夜汽車にも関わらず、満席。席に座りきれずに、床に寝転んでいる人がかなり多かった。終戦直後には生まれていなかったが、終戦直後の引き上げ列車の雰囲気さえあった。
大きな荷物を抱え、指定席の切符を握りしめ、2人の子どもの手をひいて36歳の母は必死で夜汽車に乗り込んだ。
「間に合った……」
動き始めた夜汽車の車内は、ゴロゴロと寝転がる見知らぬ男たちでいっぱいだ。いつの間にか子どもたちとつないだ手もギュッとかたく結ぶ。
「指定席とったんだから大丈夫…大丈夫…」
切符を見ながら指定した席を探すと、そこには…見知らぬ若い男が座っていた。男は20代前半ぐらいの大学生のようだ。長髪で、当時流行っていたヒッピーのような雰囲気だった。
「あの! そこ! わ、わ、私らの席なんやけど!!!」
母はものすごい剣幕で青年に指定席の切符を見せながら詰め寄った。
「え? あ、あ! ご、ごめんなさい!」
若い男は青くなって、隣に置いていたでかいリュックサックを抱えて、すたこらさっさと退散していった。
母は、私たちを座らせると、自分もどっかりと「指定席」に座り、勢い余って口から大量の空気を吐き出した。多分、36歳の母は異様なぐらいに緊張していたんだと思う。
後にも先にも、子どもながらに「母は強し」と思った瞬間だった。
自分一人のことだったら我慢したり、別にそんなにこだわらない人だった。
私には子どもはいないが、自分のためというよりも友達のために頑張れたり、強くなる瞬間があるから、その部分はよく似ているかもしれない。
さて、母の強さを見た後、10歳の私は、夜汽車の車中で買ってもらったばかりの「別冊マーガレット」1971年(昭和46年)9月号をむさぼるように読んだことをハッキリと憶えている。つまり、発売日の8月13日以降だったわけだ。
今でも忘れない。そこでリアルタイムで読んだのが、「13月の悲劇」(美内すずえ)だ。すっごーい怖かった。ハラハラドキドキだ。今の映画やドラマを見慣れている小学生とワケが違う。娯楽がない、まっさらな状態に近いピュアな子どもだ。見聞きしたものをスポンジのように吸収する感覚だ。読んだのが夜汽車だったことでドキドキ感もMAXだった。
そんななかで、読んでいた自分の脳内でグルグルと鳴っていた音楽がある。
それはビートルズの「Let It Be」だった。
レコードを持っていたわけではない。どこで聴いたかも分からない。もっといえばビートルズの存在もよく知らなかった。田舎の小学校4年生である。
調べてみたら、ビートルズの「Let It Be」が発売されたのが1970年5月8日。
この時は翌年の1971年。ざっくり言って流行っていてどこかで曲がかかっていたのが脳内に残っていたのだと思う。
英語の曲が良く聞き取れない分からない小学校4年生の耳に「Let It Be」は「LP」としか聞こえなかった。LPレコードの歌だと思っていた。
「エルピー、エルピー、エルピー、エルピー……」
夜汽車に揺られ、脳内では「エルピー」がグルグルと再生され続け、ドキドキしながら「13月の悲劇」を読んだあの夜!
めずらしく強い母が見知らぬ青年を追っ払った、あの夜!
50年以上経ってもハッキリと憶えている夏の夜の出来事。
あ、そうそう。
その後、車掌さんが切符の確認のために回ってきた時に分かったことなのだが……。
母が見知らぬ若い男に「ここ!私らの席なんやけど!」と強く主張し追い払った、あの席!
……自由席だったんだよね。
あの青年、よく怒らなかったものだと今でも思う。母の勢いがすごすぎたのかもしれない。
「ここ、自由席の車両ですよ!」って言ってくれれば良かったのに!
席の番号は合っていたけど、車両自体を間違えていたようだ。
母さんたら(笑)。
母はやはり、「母は強し」の前に「母はおっちょこちょい」であった。
自由席とわかった後でも「まぁ、いいか」で、そのまま座っていた図々しさもまた強さかな(笑)。
今でもビートルズ「Let It Be」を聴くか、美内すずえ「13月の悲劇」を読むと、あの夜汽車の出来事を思い出す。セットで記憶している。うふふ。
やっぱり母さんはかわいいひとなのだ。