「社会における問題の解決に関与したい」と思わない日本の若者の本音
今日参加させていただいたウェビナーで取り上げられていた世界の13~29歳男女を対象とした内閣府のあるアンケート。「社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したい」の項目で、「そう思う」と回答した割合は、米国43.9%、英国32.4%、韓国29.9%である一方、日本は10.8%と極めて低い。
前職時代、毎年、日本の高校生数十人の2週間のフィリピン研修を行っていたのだが、その中の2日間は日本とフィリピンの若者の合宿だった。
合宿前半で交流を深めつつ、中盤で初めて会う異国の友人たちと、自分たちが住む地域、家族、そして自分自身について、楽しいことも辛いことも深く共有し合う時間を取っていた。紛争地や路上で生活するなど、様々な課題を抱えたフィリピンの若者が、包み隠さず自分の悩みや問題を話す姿を見て、日本の若者たちも、日本の友達や家族にも話したことがない心の奥底に閉じ込めた事柄を共有し、最終的にお互いを受け入れ合う。時には涙し合うこともあった。
合宿が終わるころには、日本では無口で孤立がちであった生徒たちの多くが、完全に人が変わったように心を開き、フィリピンや日本の友達たちと積極的にコミュニケーションを取るようになる。また、そのような生徒たちの多くが、最終日に、友達が苦しんでいる状況を知ってどうにかして社会を良くしたい、昔から抱いていた夢をかなえたいと、目を輝かせながら具体的に熱く語っていたのが印象的だった。
社会を良くしたいと思わないのは、その若者の公共性が足りないからではない。自分が抱えている問題や悩みをさらけ出した上でも包んでくれる(と思える)友人や家族、社会がなく、自己を肯定できないからだ。閉塞的な日本社会が齎す低い自己肯定感が、自分など役に立たないという低い自己有用感に繋がり、社会の問題など解決できないと思わせているからに他ならない。
アンケート結果から、「今の若者は~」と言っても何も変わらない。見つめ直すべきは、若者の自己肯定感がここまで下がるような、閉塞的な日本社会を作った私たち自身のふるまいにある。