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「Lady steady go!」 第18話
社長の澤田に呼ばれたのがどんな理由かはわからないが、美環は気が進まぬままにブースの中に入った。
株式会社ハートフードのオフィスは各々が好きなレイアウトで机を置いていいことになっていて、整合性は気にするなというのが社長の指示になっている。
しかし日本人とは自由に馴れていない残念な人種で、オフィスは自然と綺麗に並んだありきたりのレイアウトに仕上がっている。
澤田は選択肢は与えたが、代わり映えのしないフロアを見てもそれ以上のことは口にしなかった。
その一角にL字にローパーティションで仕切られた社長のブースがある。
個室は作らず、かと言って社員と横並びにはしない。
おそらく社員が社長の存在を気にすることを避け、なおかつ特別な存在にならないような距離感を考えたのだろうと美環はみている。
「何でしょうか」
「坂口工業の資産売却の件だけど、バックを取るのか?」
随分と生々しいことをストレートに聞いてくるなと美環は思った。
「私がそれをするとでも?
一つ社長に確認したいのですが、ハートフードにおける小規模事業支援の理念は一体何ですか?
私は社長からそれを聞いたことがありません。
会社の事業として社会貢献と営利を両立したいのか、利益を諦めても社会使命を果たすために行うのか、社長の目標は何ですか?」
「目標か…」
澤田は美環の目を見て、それはどうしてかわからないのだがちょっと恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
美環は澤田のそんな顔を見るのは初めてだった。
「ちょっとコーヒーでも飲むか」
澤田はそう言っておもむろに立ち上がると、オフィスの隅にある冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを取り出して紙コップに二つ注ぎミーティングルームに向かった。
ミーティングテーブルに向かい合わせて座ると、澤田は少し考えてから話し出した。
「あんまり言いたくはなかったんだが、極めて個人的な理由でこれを始めた。
知っての通り、自分はかつて債務超過の家業を精算して今こうして事業をしている。
正直、あの頃は人生で一番辛かった」
いつもは言葉が足りないぐらいの社長が自分の感情を話すことに美環は驚いた。
「あの時、自分は独りだった。
経営者は孤独とよく耳にする。
確かに孤独だ。事業のすべて判断と責任は経営者だけのものだから。
しかし、独りであるべきではない。
ハートフードを立ち上げて社員を雇用していくうちに、かつて独りだった自分を振り返りそう気付いた。
少しでもかつての自分のような経営者の力になるために、小規模事業支援を立ち上げたんだ」
「なぜそう最初から言わなかったんですか?」
美環は素直にそう口にした。
「あんまり言いたくなかったんだよ。
だからこれは個人的な想いなんだ」
「その個人的な想いを、どうして私に託したんですか?」
澤田はにっこりと微笑んだ。
「不器用だからさ。
君は不器用だから、きっと葛藤とは何なのかを全身で体現しようとする、そう思ったんだ。
うちの会社の中で君以上の適任はいない。
だから今日の質問をしたんだ。
答え合わせでね。
思った通りで嬉しかったよ」
澤田の笑顔を見つめながら、これが経営者というものなんだと、美環は今まで感じたことのない感情を覚えていた。