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「midlife」 6
覚王山の「遥」の、工場か倉庫のようなスチールの片フラッシュ構造の引戸を開けると今井美知子の背中が見えた。
カウンターに、テーブル席が一つだけ。
サペリマホガニーの厚みも長さもバラバラな板がランダムに貼られた天井。
腰に深紅のレザーが布団張りされたカウンター。
自分の知らない昭和の時代がそこにあるような雰囲気の店に、なぜか若い女のマスターに中年女のスタッフが一人。
申し分ないシチュエーションに、誘蛾灯に誘われた愚かな虫のように客達は集う。
人生のなんたるかをわかったようなわからないような会話で糊塗し、静かな享楽にたゆたう男女の姿は滑稽な蜉蝣のように美環には映った。
もっとも、滑稽なのは自分の方なのだが。
「お久しぶりです」
バーの名前と同じ名前のマスターがチェイサーを差し出す。
上村遥は美環より若く、意思の強い目は暗い店内で印象的に浮かび上がる。
今井美知子は先にブラッディメアリーをキメていた。
「まあ、何があったのかは大体わかってるけど。当たっていたら」
面白くない女だなと思いつつ、いい感じなった男も久しく存在しない残念なアラサーの自分には、このバリキャリの既婚女ぐらいしか話す相手がいない。
ビールをオーダーすると、スタッフのエマがカウンターの右端のサーバーからビールを注ぐ。
白いブラウスの七分袖から覗く腕にいくつものリスカの跡が見える。
なんでもないように隠しもしないこの中年女には、言葉にならない凄味がある。
「そういえばさ、思い出したんだよ」
美環はビールに一口つけると、唐突に美知子に話し出した。
「前にも話した坂口工業の社長さ、その目がどうにも印象的ってか、あの、そう、負け犬の目をしてるの。
負け犬って、意気地無しとか敗北者って意味じゃなくて、いつも現実を受け止めているけど絶対諦めてないっていう、なんて言ったらいいのか、据わってるのよ。
でね、昔NHKで観た番組を思い出したの。
ゲストが自分に影響を与えた人を取り上げて語る番組で、俳優の内藤剛士がスティーブ・マックイーンをフェイバリットに上げてて
内藤剛士は、マックイーンは負け犬の目をしてるって言ってて、負け犬の目だけどどこか諦めていない目だって
それで、私DVDを借りてゲッタウェイを観たの。
初めてスティーブ・マックイーンを観てそうだなって思った。
坂口さんの目も、そんな目だったって…」
美知子は珍しくやさしい眼差しで美環を見た。
「たまにはいいこと言うのね。
伝わるものがあったよ」
そう言うとマスターにブラッディメアリーをオーダーした。