「Lady, steady go !」 第23話
「百人町に溶ける」は、一ノ瀬早苗の溶解していく人生の残滓のようだった。
何も無い、何も起きない日常の間間に、しかしその文章は美環が知っている伯母やインスタグラムに寄せられた文章とは違うどこか人を拒絶するような面持ちで、姪が垣間見たくなかったおそろしい非日常が挟み込まれている。
…60を過ぎた女を抱く男の気持ちは知らねど、その「愛」を偽ったことすら気付きもしない肉欲のことは身に覚えがなくもない。
私は私のことを偽る術がなく、脇を這う性器のような男の舌のぬめりに身も心も跪くしことのほか、とり得る手立てなどありはしない。
閉経した女を抱く悦楽の極みは、おそらく「避妊」という絶頂の翼を折る関門をなきものにできることだ。
男どもの願望を果たすために女が存在している訳ではない。
だからと言って、女が慎ましやかである必要もないが、勿論淫することもまた無い。
だけどかつての伴侶が申し訳なさげに無様なゴムの靴下、中にはプレゼントでなくてこぼれ落ちそうな子種しか入っていない滑稽なサンタみたいなものだが、それを取り出した時に「そのままで」と誘ったのは私だ。
子供を拒否したことで別れた男と女が、人が蔑むような年齢で性交を果たす。
あの時肌を遮った薄いゴムの厚みは、きっと互いの人生を遮ったに違いない。
私は最初から親という存在になることなど到底無理で、だから
でも後悔はないし、いいではないか、私は別に幸せを求めはしないが不幸とも思うことはこの先もきっとないのだから…
美環は言葉を失った。
これは何かの間違いではないか、そう思いたくて原稿の端を指でそっと撫でた。
伯母は、一ノ瀬早苗は、なぜこんな人に見せるべきではない姿態を微に入り細を穿つような執拗さで書き残したのか?
姉や姪が読むことを想定して置き遺したのは、一体何故なのか?
そこで初めて知ったのは、別れた元夫とは子供をつくることを巡る相違で離婚に至ったこと、晩年になって再会をはたし、誰にも知らせず関係を持っていたことだった。
早苗は秘密を抱えながら生きていた。
私たちが知る伯母は清楚で慎ましやかで必要なこと以外口にすることがない人見知りに思えた。
それは嘘ではないのだろう。
しかし、人知れぬ別の感情や想いの中を、言ってみれば別の人生をもまた生きてきたのかもしれない。
それを本当は知ってもらいたい、そのような気持ちになることは理解はできないでもないが、これはあまりにだ。
そうではないか。
世の中には知らない方がいいことが知るべきことと同じだけあるのだ。
陽が落ちた部屋で暫しの間固まった美環は、数ページを読んで止まったままだったが、食べる気も失せた煮豚を取り出して刻むとフライパンに少し出汁を落とし、炒めて焼豚にした。
伯母はこうして作り、そして食べ、独りで生きた。
私は、独りは嫌だ。
美環は「百人町に溶ける」を読んで、人生で初めて明確にそう思った。