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「midlife」 4
光在るところに影はあるが、光だけの世界があるならそれは人工的で、影だけの世界があるとするなら、それはあまりに闇落ちだろう。
制限が解除されたからといって、この世界はもう以前の姿ではなく、変わらないのは私の偏屈さとモルトの味だけの気がする。
かつて「世界が終わっても俺の店は開いている」みたいなタイトルの、男の自意識にまみれた駄文集があったが、世界は終わってなくても再び店を開ける気にならないのは何故なのだろう。
覚王山の参道を挟み、「遥」から北西に入った築40年以上の旧いマンションはエレベーターもない。
しかし、西角の部屋の窓から射す陽は、時として神々しいまでに美しい。
「オカさん、こっち来て」
エマから呼ばれてオカダが部屋に入ると、窓の横に立ってと言われた。
「西陽の中で陰影が入ったら、アートっぽくなると思ったんだけど」エマは苦笑しながらスマホで写真を撮った。
「思ったほどいい感じじゃなかった」
「当然でしょ」
オカダは笑った。
「西陽だって相手を選ぶ権利があるって」
フリーで飲食店のデザインを手掛けるオカダは、例に漏れず絶賛不況中だ。
貰えないより貰った方がましの給付金など、去年の時点で生活に溶かしてしまった。
私たちは、ろくなものじゃないな。
「で、どうするの」
オカダの問いは、主語がなくてもエマにはわかっている。
昨年末、「遥」の元オーナーの娘にして、店の名の由来でもある上村遥から店を譲って欲しいと言われた時、エマには検討する余地もなかった。
あの時は…
それがどこから来る感情なのか、エマには、大切にしていた店への気持ちがあやふやになっていくことに、自分で軌道を戻す気持ちにはなれなかった。
営業できなかったことは、きっと理由ではない。
あの夜の、上村遥の瞳と言葉から、何かが変わったのだ。
破滅的な関係の末に別れた私たちだったけど、オカさんは仕事も婚約者も捨て、それはつまり自分の人生を捨てたも同然なのだけど、私を連れ戻しに探しだした。
私はあの時、もう一度生きようと思ったのだ。
オカさんは私を連れ戻した。
私は、自分の人生を連れ戻すため、二人にとって一番の想い出となる場所を手に入れた。
あれから、私たちも上手く歳をとった。
そう、想像できないほど上手く…
だから、別に、もういいではないか。
「店は譲ろうかな」
オカダはエマを見て、微かな笑顔で応えた。
「いいと思うよ」
私たちに子供はいない。
私には、自分に子供がいることも、自分が母親になる姿も、まるで想像できなかった。
それでいいのと聞いた時、この男は「君の望むままに」と言った。
「遥」は、私には子供みたいなものだったのかもしれない。
そんなことを言ったら「君らしくないな」とオカさんは笑うのだろうか。
「店を譲る条件は、私をバーテンで雇うこと」
「何も変わらんねぇな」
オカダは笑って、エマの肩を抱いた。
変わるもの、変わらないもの、それはほんのわずかな違いなのかもしれない。