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「midlife」 2
夜半に降りだした雨が路面を濡らし、申し訳なさげに灯されている街の灯りを反射して、美しくしなだれる様を眺めながら、店外でメンソールを一本口にしたエマは、中にいる若い女を思うことはしない。
店での喫煙を禁止したことで客は減るかなと思っていたが、それ以前に自粛だの時短だのと、世の中はせわしい。
自分が生きている間に、カミュの「ペスト」みたいな世界を体験するとは思わなかったが、よく考えてみたら、カミュを読んだことなど無かった。
「まあ、そんなものでしょうよ」
心の中で独り言ちると、鋼板をリベットでスチールアングル留めた、片フラッシュのスチール引戸を開け、店に戻った。
「で、私に何を奢ってくれるのかしら?」
「ラフロイグじゃダメですか?」
上村遥は、カウンターでエマが誂えたそのモルトを口にしていた。
「でしょうね」
エマはショットグラスにそれを注いだ。
「要件は簡潔に最短で話して頂戴。
私は無断な会話を必要としてないから」
遥は、しばらくじっとエマの目を見ていた。
この娘は、私みたいだ。
「じゃあ、言います。
この店を、私にください」
今度は、エマが遥を見つめる番だった。
さすがにそれは、想像の上をいっていた。
「理由を話さなくていいですか?」
遥は、意志の強いその視線を逸らすことなく、エマの目を見つめながらそう言った。
「あなたの好きにすればいいわ。
私の答は決まっているから」
エマの言葉には、取りつく島のないドライな感情を思わせる響きがあった。
しかし遥は、気後れすることもない。
「父は、上村武夫は、私がデザインの道に進むことに反対はしませんでしたが、賛同もしませんでした。
私は、大好きだった父の背中を追って、ディスプレイ業界に入るつもりでした。
大学を出て、大手の店舗設計施工の会社のデザインセクションに就職できました。
父は、何も言いませんでした。
オリンピックも手掛ける、業界の最大手のその会社で働くうちに、私は何のためにデザインをやっているのかわからなくなりました。
私は、父の仕事が好きだったのです。
父と、仕事がしたかったのです。
でも、私は、そのプロセスが間違っていることに気付きませんでした。
父はきっとそれを知っていながら、私自身が気付く必要があると思っていたのだと思います。
多分その仕事には、世に誇れるものがあり、ステータスになるものもあるでしょう。
優れた才能はいくらでもいて、同じぐらい才能もないのに認められていく人もいます。
それが、日本という国です。
動くお金も違います。
大したことのない私のような若造でも、ちやほやされます。
勘違いしてる人間もいくらでもいます。
私は、会社を辞めました。
そして、父のいる東京を離れて、独り名古屋に戻りました。
私は、デザインは諦めました。
父と過ごしたこの店が、私は欲しいのです」
エマは遥の話を黙って聞き終えると、これは私の奢りねと言って、ラフロイグをもう一杯、遥の前に出した。
「言ったでしょ。話は簡潔にって。
いささか長過ぎるわね」