
「トリプティック」第10話
「トリプティック」第10話
静の指定したイタリア料理店は、実家の近くの店だった。
それはなんとなく嫌だった。
かつて巴と静の誕生日には、家族は外食に出かけるのが慣わしだった。
幼い時はファミレスやチェーンの外食店だったが、中学ぐらいになるとフランス料理やイタリア料理の店に連れて行かれるようになった。
おそらく、両親が娘たちに大人の食べる口を育てようとか、雰囲気であるとか、そんなことを感じてもらおうと考えていたのではないかと今になって巴は思う。
普段口にすることのない料理は、巴にはお祝いとして素直に嬉しいものだったが、元来食が細く好き嫌いが激しい姉の静はそのような料理を好まなかった。
静は高校に入ると誕生日の外食は行かないと言い出し、姉一人残すのも何だかという家族の空気によって、以来外食は無くなった。
巴は、静のこういう所が嫌だった。
その店は、家族で静の誕生日を最後に祝った店なのだ。
「どうかしてる」と巴は思った。
同伴した佐藤の姿を見定めると、静は少し驚いたような表情になった。
「この方は?」
「お姉ちゃん、お付き合いしてる人を紹介したいって話だったから、私も彼氏をサプライズで連れてきちゃった。
ゴメンね」
「そうなんだ」
静はにこやかに応えた。
そんな表情をできる人でなかったコミ障だった筈の姉はここにはいない。
しかし
巴にはわかる。
静の穏やかな表情に隠れた不満が、巴には読み取れてしまうのだ。
思い過ごしならいいが、その直感はきっと正しい。
理由も曖昧な静の不満を感じた巴は、その瞬間、佐藤を連れてきたことを後悔した。
姉は、私に何かを伝えたくてこんなおかしな機会を作ったのだ。
そこに夾雑物が入ることは姉の気持ちを冒涜する行為に違いない。
私は、何を伝えられるのかわからない恐怖に負けて佐藤をすがった。
どれだけ怖くても、私は一人で来るべきだったのだ…
「この人は角田さん。結婚を前提にお付き合いしています」
静は昔通りの小さな声で恋人を紹介した。
小さな声だが、それははっきりとしていた。
角田は静に勝るほど細長く、栄養足りているのかと思うような男だった。
歳はもっと若く、たより無さげで、ジャケットがぶかぶかに感じられた。
「今紹介いただきました角田です。よろしくお願いします」
巴は、この男は姉に支配されていると感じた。
巴が佐藤を紹介して席に着くと、3人分のセットしか頼んでいなかったと静が困った顔で角田を見た。
角田は席を立ち店と話してくると、どうやら対応してくれるようだった。
ドリンクでグラスワインを頼む静に巴は驚いた。
アルコールは嗜まないと思っていたのだ。
しかし、よく考えてみれば、姉がアルコールを嗜むのかどうかすら巴は知らなかったのだ。
私は、この人のことをまるで知らない。
「お姉ちゃん」
乾杯の後で、巴は思いきって姉に聞くことにした。
「いい人ができたら私に紹介したいって、ずっと思ってたって言ったじゃん。
どうして、そう思っていたの?」
静は小さく笑って言った。
「そんなこと、どうでもいいんじゃない?」
…
「俺は今日いなかった方が良かったのかな」
帰り道、巴と並んで歩く佐藤はいつもらしからぬ言葉を吐いた
「ええ。多分」
巴はそれだけ返すと、今夜はもう言葉の持ち合わせは無いなと思った。