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「無償の罠」

僕は建築塗装の個人事業の傍ら、月に1、2回ほど社会活動に参加しています。

僕がお手伝いしている活動は「面会交流支援」というもので、たぶん「面会交流」という言葉を知っている人は、30人に1人いるかいないかという感じです。

これは、離婚などの理由で離れて暮らす親子が、遊んだり話したりするひとときを過ごすことで、良好な関係、もしくはそこまでいかないにしても別れたパートナーと淡々とやり取りできる元夫婦なら当事者同士で行えます。

しかし、様々な理由や調停などこじれてしまった関係ですと、第三者を介さないと難しくなり、それをサポートするのが「面会交流支援」です。

この活動のキモは、あくまでも子どもの利益のためにあるということです。
離れて暮らす別居親のためではありません。
子どもの自己肯定感を育み、将来、自分は両親に認めてもらっていたんだと理解できる日が来るために、面会交流支援はあるのです。

僕がお手伝いしている一般社団法人は、30名ほどのサポーターのボランティアによって活動が可能になっています。
共同理事の一人が僕の友人で、彼女に誘われて現場を見たことで、活動の主旨に賛同しました。
社会活動ほど、「百聞は一見に如かず」というものを実感できる機会は少ないかと思います。

ボランティアが中心で本当はもっと報酬をお出ししたいのですが、こころづくしの交通費ぐらいしか出せません。
しかし、サポーターはそんなことを期待している訳でなく、活動に賛同して自ら休日に足を運んでくれているのです。
みなさんには大変感謝していますが、少しでも活動がマネタイズできるようにと、わずかでも感謝を形に変えれるように思案しています。
善意に胡坐をかいてはいけません。

ただ、それまでいくつかの社会活動に参加してきて強く感じるのは、日本人特有の「無償の志」というバイアスです。

僕も交通費しかいただいていませんし、それは納得しています。
しかし、団体の理事にはせめて専従者給料を取ってもらはねばと、理事と一緒にいろいろ考えたりしています。

任意団体であれ、一般社団法人であれ、NPO法人であれ、どんな活動にも原資は必要であり、補助金だけで何とかしようとか、社会活動だからボランティアに報酬は要らないとか考えているなら、そんな社会活動は辞めた方がいいです。
補助金の原資は税金です。大切に使うべきです。
社会のためなら何でも無償にすべきなどと考えるのは、それはいかがなものかと思ってしまうのです。

活動は現実のものです。
理想を具現化するリアルです。
理想だけを語るのが「無償の罠」です。

お金は人間に偏見を持っていません。
お金に偏見を持っているのは人間です。

きちんとした活動をするため、丁寧な活動をするため、団体と利用者双方が納得できるような報酬体系を考える。
そこに営利企業と社会活動の違いはありません。

今回初めて自分の活動について語りましたが、これから「面会交流支援」について少しずつ投稿していこうと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

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