〝もしもし、にたいあなたへ〟
どちらかと言えばくらいでここまでやってきてしまった。
だから、親友も彼氏も、大体のことに区別をつけているから羨ましかった。
はっきり生きれる人も、はっきり死ねる人も、羨ましくて仕方なかった。
自分の進路も、将来の夢も、過去も、何もかも、納得してはいないけれど、どちらかといえばそれで良かった気がする。気が、する。
妥協。消去法。
なのに、どちらかといえば受験したいから私は今日も塾に行くし、勉強するのに、どちらかといえば死にたいのに死ぬことはできていない。
彼氏に、家族に、死にたいと言ったらどう言われるんだろう。
以下は、日曜日の話。
月明かりしかない野原の、その自然の上で、ビデオ通話で会ったふりをする、不釣り合いな彼氏とのLINEのブルーライトに照らされる私は、すごく不自然に見えたと思う。
全てが不調和なその時間が、すごく永遠で、イライラして、でも愛おしくて、死にたくはなかった。涙が今にも出そうだったけど、あの日はもう2度とこないあの日で、死にたい私すらも、野原の上に立ったテントは包み込んでくれそうだった。みんな少し変で、少し寂しそうで、結構笑顔で、何かを隠してあそこに集まってて、でも愛だけはあった。寂しいしイライラしたし帰りたかったし泣きたかったけど、でも愛があって、それが堪らなかった。きっと泣いても誰かが駆け寄ってくれたんだろうし、そのまま帰らなくても良かったけど、敢えて帰ったし、それで現実に引き戻されるあの感じ、また地獄が繰り返される、その入り口に立つあの時を、1人で迎えたかった。現実はいつも残酷で、私は今日も眠れないでいる。死にたくなりたくないとかは思わない。死にたい私も全部私のこと。今日は明日、昨日になる。
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