@シェルターなう
幸せになりたいな、こう友人に送る直前に出てくる、「時間制限」の太文字。酷くイライラする。
現在のことを、未来から見た私と言った形で話す事が好きだ。現在は常に億劫でイライラするから、きっとしあわせな未来に自分を託して、そこから今の自分を覗いてみるといった風だ。お昼に、お世辞にも心を許せるとは言えない友人が、「自転車乗ってる時ってさ、なにしてる?」答えは独り言、だ。未来の私の、現在の私にする独り言。ちょっと意味がわからない。つまるところ、良く言えば客観視、悪く言えば現実逃避。
大学に行った親しかった友人らと連絡を取るのが、なんとなくしんどくなっていることに気づいた。しっかり毎日受験勉強をして、合格して、適度に遊びまくって恋愛をしている彼らに、自分の現状を伝える事が、申し訳ない気持ちでいっぱいになって。現実から逃げる人間の話を伝えたくなくなって。一番たくさんのことを相談している友人に、週に一回のペースで、勉強ができない、と相談したら、かなりしっかりと怒られた。至極真っ当で正論だったから、頷かずにはいられなかったし、自分の弱さを見ることになった。涙が出て、涙が止まらなくて、涙で心がいっぱいになった。あれからあまり相談できなくなってしまった。まるで親とラインしているような気持ちになってしまう。努力できない私を、微妙な嘘でコーティングしつつ、それでも連絡を止められない。意味がわからないくらいに、現状が辛い。
幼馴染が、恋愛の相談をしたいと言うので、いつでも話聞くよと話したところ、数千字にわたる恋愛の現状が送られてきて、オマケに彼女が将来に向けてすでに着々と突き進んでいることがサラッと書かれていた。そこに悪意など一切なく、純粋な彼女の素敵な心や気持ち、彼女の相手のことが書かれていたものの、読んだ後にあまりにも消耗していることに気づいた。なぜ生きているのかわからなくなり、辛くなってしまって、中目黒駅で一度外に出る。呼吸を整えながら駅のベンチで見たものは、その日発表だった予備校の成績表。負の気持ちにコーティングされ、酷く冷静な気持ちで見ることができた。あまりにも皮肉である。
最寄りのセブンでチキンラーメンを購入。予備校に通い始めてから最寄り駅を変更したので、嘗て毎日のように通っていたコンビニに久々に入ることになる。店員さんのメンバーが変わっていなくて、冷静になる、落ち着いた。あまりに安直である。
姉が帰ってくる気配を感じ、静かに外を出る。最寄りのシェルターまで重いリュックをかかえながら歩く。タイミング良く雷が鳴り響き、雨が降り始めた。涙なのか汗なのか雨なのかわからない水滴を舐める。ドラマにあるシーンも、現実だと全く美しくない。それなのに下手なシチュエーションに喜んでいる自分がいる。気色が悪い。これは昨日のわたし。
市ヶ谷駅のホームから、釣り堀の風景を眺める。引きに引いているお爺さんが、なかなか引き上げられず闘っている。暫くしてもう少しで水面から上げられる、と言う時、目の前を電車が駆け抜ける、周りを見ても、私以外の全員がスマホを見ていた。世の中の殆どはタイミングと塩梅で変わっちゃう。
少し遅れてしまった日は、ごめんなさいと言う気持ちで自習室に入る、被害妄想によって彼らからの非難の目を感じる。それが嫌で、カフェで勉強する。それすらも怖く感じる。これは今日のわたし。自分を受け入れてくれる場所を探して汗だくになりながら、重すぎるリュックに重すぎる足。軽すぎる脳。今日はまだ何も摂取していない。
ヘトヘトになりながら入ったサンマルク。ヘトヘトになりながら死ぬための本を読む。近すぎる飛行機に少し驚いて、好きな人に送ろうと何度か撮影してみる。上手く撮れなくて、辞める。
無駄な時間。私が消耗されていくだけの時間。
猛烈に消えたいと思う。
人のことをめちゃくちゃ冷静に分析してぶった斬る友達が、告白されて付き合った彼のインスタを自慢げに見せる。「ほら、ガチの陽キャ。」新宿東口の改札で、泣いてる(どうせフリ)をして別れを惜しむカップル。手を繋ぐ熟年夫婦。淡い制服の男女。好きな人と同じ授業を受けているとても可愛い顔をしているらしい女。
全員消えてくれ、お願い、頼むから全員消えてくれ。
彼女が言っていた。「貴方は、人のことを見下す癖がついているんじゃない?」そうだよ。間違いない。人を見下さなきゃやっていけないのはこれまでのわたし。そうじゃなきゃ私がこの世にいなくてもいいことになっちゃうから。
普通の人ができることを、普通にできないのが、とても辛い。努力でなんとかなることを、努力でなんとかできないことが、とても辛い。
ぼーっとしている時はできるだけ自分の考えに焦点があって、目の前にケンタッキーがあることに今気付いたのはいまのわたし。
貪るように、現実を忘れたい一心で、暗い本を読む。新宿紀伊國屋本店で、本を探すをタップして、死にたいと打って、死にたい時に死ねない本を読もうとしたのは、3時間前のわたし。
スタバがシェルター、だった、昨日までは。どこのスタバに入っても、東大だの理科大だのと言う言葉が飛び交う。
どこのスタバに入っても、元カレだのピロートークだのと言う言葉が飛び交う。世の中学歴と恋愛にしか興味がない。
その度にわたしは、全員いなくなれと思う。頼むから、一人にさせてくれと思う。お願いだから、お願いだから、今すぐわたしの周りからいなくなってくれと一心に願い続ける。抵抗できる術などない。そんなものは私にはないから、だからそっちが今すぐに、どこかに行ってくれと、そう願う。ふと可愛くないなあと苦笑いする。学歴と恋愛が、私は苦手なのだ。
愛してるよ、彼が言ったその言葉が、どれほど私の気持ちに妥協していて、どれほど彼の気持ちに妥協しているのかわからない。知りたいとすら思わない。男は顔しか見ないからと、世の中絶望ばかりだ。
文章を書けと言った恩師がいた。文章を書くのをやめたら?と言った彼女は、私の文章が意外とハマったのか、良いんじゃない?と言ってきた。世の中信用ができない。
生きてて偉いと言ったあの子に、死んでくださいと言ったあの子。騒ぎまくる下衆。黙れと思う。全員黙れと思う。生きてて偉い人なんて実質いなくて、でも偉くないから死なないといけない人なんていなくて。友人が電話で、死んでくださいと言われた彼女が、悲しいとツイートしたから、同情を煽ったよねと言っていた。友達でいてくれてよかったと思った。騒ぎまくるあいつらが、私からすれば心底羨ましい。
好きな人が、「(私)の方が5億倍頑張ってるからなー。えらいよー。」と言っていた。彼は少しかなり結構抜けていて、私が新宿の真ん中で死にたい本を読んでいることを知らない。彼の頭の中の私は、今日も、普通に、努力、しているのだと思う。彼もまた、騒ぐあいつらの一員であるのだと思う。誰かが誰かに向ける理想や期待、この人はこうあってほしいと言うものは、高確率でその人を苦しめることになることは、いったい誰が気付いているのだろう。
大学生になりたくない。浪人生でもいたくない。1人でいたいのに孤独にはなりたくない。ずっと寂しいけど全員死んでくれと願う。子供は嫌い、大人はうざい。好きな人は嫌い、嫌いな人に惹かれる。恋愛が怖い、性欲は満たしたい。学歴なんてと唾を吐くが、今日も勉強できなくてごめんなさいと感じる。田舎は怖いし東京は疲れる。死にたいのに死ねない。
わたしの私によるアンビバレント。
いまのわたしはこれまでのわたしの連続で、みらいのわたしもいまのわたしも嫌いだけれど、これまでのわたしのことは嫌いじゃない。
言葉を書いているわたしがいると言うことだけは確かで、そのわたしは幸せになりたいということも確かだ。日々のグラデーションの中で、私は区別を、していかなければいけないのだと思う。