デザイン思考とは? ―三大流派を比較してみる― #208
これまでデザイン&デザイン思考の歴史を調べてきました。
今回は現在のデザイン思考を共時的に理解するために、IDEOの「デザイン思考」、ロベルト・ベルガンティの「意味のイノベーション」、ダン&レイビーの「スペキュラティブ・デザイン」を比べてみました。すると、デザイナーは現代の「預言者」であることが見えてきました。
デザイン思考の総本山、IDEO
デザイン思考を一躍有名にしたのは、天下のIDEOです。そのIDEOのCEOであるティム・ブラウンがデザイン思考を紹介するために書いたのが『デザイン思考が世界を変える』です。
前回紹介したデザイン思考の歴史は本書でも紹介されていました。ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からデザインが始まり、ハーバード・サイモンがデザイン科学を唱え、ホースト・リッテルがWicked Problems(厄介な問題)を指摘し、ドナルド・ノーマンがユーザー中心デザインを提唱したという流れは、デザイン思考の歴史の定説のようです。
本書の「アップデート版に寄せて」に彼の主張が端的にまとまっていたのでそのまま引用します。
つまり、デザイン思考とは、デザイン由来の誰にでも実践できる問題解決方法ということです。ちなみに、彼はデザイン思考を使う人を「デザイン思考家」と呼び、デザイナーと区別していました。
また、デザイン思考の特徴を以下のようにいくつか挙げています。
デザインの対象がコト・経験・UXに移っていくことで物語の重要性が増しているため、「デザイナーは物語の達人(p.89)」であるともありました。ちなみに、デザインチームには物語を読み解く文化人類学者や物語を語るライターも必要になるとあるので、私が人類学を学んだりライターを志したりしているのも役立つことを期待したいです。
本書の後半では、デザイン思考はビジネスのニーズ開拓だけでなく、社会問題や人生、デザイン自体にも活用できるとしています。少し長いですが、以下の文章に彼の強い危機感が現れていたので引用します。
改訂版では、教育、民主主義、都市、人工知能、生死、未来もデザインの対象であると記した第11章が追加されています。デザイン思考の創始者とも言える人から「君たちはデザイン思考の使い方を間違えてはいないかい?」と忠告されているように思えました。
ちなみに、「どんなにちっぽけな人工物も、相互接続の網の中に存在している。なるべく多くの物事を認識し、考慮することが、一流のデザイナーの証なのだ。(p.289)」と存在論的デザインに通ずる思想も書かれていました。
意味のイノベーション
IDEO式のデザイン思考に異を唱えるのが、ミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティです。彼は自身のデザイン手法を「意味のイノベーション」としています。
IDEO式のデザイン思考に対する問題提起は以下の文章に現われています。
具体的にはデザイン思考の「戒律」とされる以下の2点を疑います。
多くのアイデアを他者と考える従来のデザイン思考に異を唱え、1つのビジョンをデザイナー自身から生み出す手法を提案しています。IDEOのデザイン思考は問題解決のイノベーション(How)に適していますが、意味のイノベーション(Why)は起こしにくいとしています。ユーザー中心デザインを提唱したドナルド・ノーマンでさえも「急進的なイノベーションはユーザーからやって来ない」と言うようになっているそうです。
意味のイノベーションの代表的な例が、ロウソクです。従来のロウソクを使う意味は「暗い場所を明るくする」だったので、電球などの照明器具の登場により売上は落ちていきました。しかし、近年ではロウソクの売上が回復しています。その理由は人々がロウソクを使う意味が変わったからです。つまり、「暖かい雰囲気(ぬくもり)を演出する装置」としてロウソクが使われるようになったのです。このような意味のイノベーションを起こす方法論が書かれています。
ただ、彼はIDEO式のデザイン思考は不要と言っているのではなく、意味のイノベーションによって補完する必要があるとしています。彼はデザイン思考に異を唱えると繰り返していますが、商品やサービスのイノベーションを起こすという目標は共通しているので、個人的にはデザイン思考と意味のイノベーションは同類だと思います。
スペキュラティブ・デザイン
スペキュラティブ・デザインはIDEO式のデザイン思考に真っ向から対立します。以下のように、デザイン思考の姿勢を全て逆張りでいくのがスペキュラティブ・デザインです。
各デザインの位置付けを説明する図を見てみると、スペキュラティブ・デザインはデザイン思考とは別物かつアート寄りであることが分かります。
これまでにスペキュラティブ・デザインについて記事にしてきているので、詳しくは参照していただければ幸いです。
結局、デザイン思考とは何か?
デザイン思考にも流派がある?
3つのデザイン思考を紹介してきましたが、どれも細かな方法論は異なるものの、デザインを祖先にしている名残が感じられます。それぞれが別のデザイン思考というよりは、IDEO系の西海岸派、スペキュラティブ・デザイン系のイギリス・東海岸派、意味のイノベーション系のイタリア派という流派の違いという印象です。
ちなみに、私が留学中のパーソンズ美術大学は、スペキュラティブ・デザインを提唱したダン&レイビーや彼らの下で学んだエリオット(Elliott Montgomery)が在籍していることもあって、スペキュラティブ・デザイン的なデザイン思考を学ぶことができます。
日本式デザイン思考は生まれるか?
西海岸派、イギリス・東海岸派、イタリア派などと文化ごとにデザイン思考のスタイルがあるならば、日本式デザイン思考を生み出すことが求められるのではないでしょうか。Global Mental Healthという学問ジャンルで言われる「Cultural Adaptation(いわゆるローカライズ)」はデザイン思考にも当てはまるはずです。
1911年にヨーゼフ・シュンペーターがイノベーションという言葉を初めて提唱しました。「イノベーションとは新結合である」という彼の定義からも、当時は主流だったヘーゲルの弁証法的進歩史観を土台としていることがわかります。でも、この進歩史観は「西洋こそが進んでいて他の地域は遅れている」という差別的な考えにつながったため、現代では主流ではありません。こうした背景を踏まえると、イノベーション至上主義を掲げることは果たして現代社会にマッチしているのかと疑問に思えてきます。
デザイン思考は、まだまだ西洋的な思想を前提とした考え方ですが、これはデザイン思考が欧米を起源とする歴史から当然のことです。たとえば、スペキュラティブ・デザインが一直線上に「未来」を想定するのも、キリスト教において世界が最後の審判に向かっていることやヘーゲル・マルクス系の進歩史観に由来しているのでしょう。しかし、世界にはアマゾンに住むピダハンという部族のように「未来」や「平行世界」を考えない文化だって存在します。「未来を考えて備えなければならない」という考えも西洋的な価値観でしかないのかもしれません。
また、デザイン思考は「問題を解決すれば快適な世界に近づく」という前提があります。一方、日本(東洋)には「仕方ない」という精神性があります。何か自分の思い通りにならないことがあっても、それは自然の摂理だから仕方ないと受け入れるのです。自然を支配してきた西洋から生まれたデザイン思考が自然と調和する東洋にどう馴染んでいくのかという命題は、あらためて考えるべきだと思います。
海外留学によって「本場」のデザイン思考を学ぶことは、彼らの精神性を身をもって理解するために必要だと感じています。『デザイン思考は世界を変える』では、それを「デザイン感覚」という言葉で表していました。ただし、留学で学んだ方法論をそのまま日本に輸入するのではなく、デザイン思考の本質を理解しながら日本の文化に合わせた方法をデザインする必要があるはずです。もしそうならば、「日本版のデザイン思考を生み出す」というのは私の使命になり得るテーマだと予感しています。
形骸化するデザイン思考
『デザイン思考は世界を変える』の中で紹介されているデザインツールには、ブレインストーミング、ポストイット、ストーリーボード、シナリオ作成、カスタマー・ジャーニーなどがありました。これらはデザイン思考を象徴する手法ですが、これらを真似すればイノベーションを起こせると勘違いされている気がしました。いわゆるカーゴ・カルトに陥っているように思えます。
1960年代にデザイナーの考え方を「デザイン思考」として抽象化が進み、2000年代にIDEOなどのデザインコンサルティングがデザイン思考のビジネス応用を始めたあたりから、デザイン思考の方法論が書籍などで紹介されるようになりました。すると、デザイン思考の考え方が置き去りにされていき、「デザインツールを使えばいい」とか「ポストイットを使えばいい」という方法論が一人歩きしていったように思います。
こうしたデザイン思考に対する誤解が広まっているのが2020年代なのではないでしょうか。デザイン思考への批判は形骸化したデザイン思考の欠点を指摘していると考えられます。たとえば、「デザイン思考はビジネスに搾取されている」という意見があるかもしれません。たしかにティム・ブラウンの本でもビジネスの事例が多く紹介されていますが、それはデザイン思考の使われ方の一例であって社会問題の解決にも使っていけると本人は書いています。
「神話」を失った時代で、「物語」を求める私たち
最後に、物語の大切さを強調していることが全てに共通していた点を考えてみます。IDEOは商品を使う経験を物語と捉えたり、スペキュラティブ・デザインでは未来のシナリオを思い描く重要性を説きます。意味のイノベーションを唱えるロベルト・ベルガンディはバリー・シュワルツを引用して、現代人が「こうすれば幸せになれる」という共通の了解・物語が存在しない現状を指摘します。
絶対的な正解がなくなった現代では、何を信じて生きていくのかを自分自身で決めなければいけなくなりました。現代を生きる私たちは誰もが「私って誰?」というアイデンティティに悩む運命を背負っています。サルトルはこの状況を「人間は自由の刑に処せられている」と表現しました。
宗教、国家、家族などの既存のコミュニティが提供する「神話」によって自らの存在理由を語る時代は終わろうとしています。しかし、信じられる「神話」を与えてくれない時代になると、代わりに自分が生きる理由を説明してくれる別の物語が必要になります。このような社会変化の中で、デザイン思考はアイデンティティという新たな「神話」を語る役割を担うようになったのかもしれません。その役割を担うデザイナーはまるで、神の言葉をもたらす「預言者」の姿そのものに思えてきます。
まとめ
デザイン思考を共時的に理解するために、代表的なデザイン思考を比較してみました。方法論の違いはあれど、人々に「物語」を提供するという考え方は共通しているということが分かっていただけたでしょうか。
ちなみに、最近『クリティカル・デザインとはなにか?』という本を読み始めました。デザイン思考をインダストリアルデザインとクリティカルデザインに分類しながら理解する考え方を学んでいるので、次回紹介したいと思います。
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