10月18日の手紙 夕焼けとわかったさん
拝啓
今日は夕暮れに、三日月が見えていました。
爪のような月の下に、三層の色のグラデーションがあります。
濃紺、水色、茜色。異なる色同士ですが、絶妙に溶け合い、差異が目立つよりも、色がなだらかにつながっていました。
背の高い、パフェグラスに3色のゼリーが入っていたら、と考えました。一番底の茜色はイチゴ味のゼリー、まん中の水色はソーダ味のゼリー、一番上の濃紺は、バタフライピーで青く染めたレモン味のゼリー。そして、一番上に、飴細工の三日月が載っていて、雲のような綿菓子が乗っていたらどうでしょう。
金粉をふるとか、金平糖を少しおいても美しいかもしれません。
金木犀の香りのシロップをかけるのも、(そんなものがあれば、ですが)
いいかもしれない、と思いました。
食いしん坊なので、美しいものを見ても食べ物を連想するのです。
きっと年老いて認知症になったときは、何度もお菓子を所望することでしょう。ああいう空の色のゼリーをもってこいと、居丈高(いけだか)にスタッフに命令してしまうかもしれません。
絵本には、ああいう素敵なお菓子で出てきた気がします。
読書は好きでしたが、中でも美味しそうなお菓子が出てくる本は特に好きでした。
まわりの高齢者を見ていると、年を重ねるごとに、若いころ、それもずっと子どもの頃に心を寄せていくようです。
それはあらがえない強い力のようで、抵抗することは、ほとんど無理のように見えます。子どもに完全に戻るでないにしても、その頃好きだったものが強くよみがえってくるようなのです。
だとしたら、きっと「わかったさん」シリーズに出てくるようなお菓子や外国の子供向けのお話に出てきた食べ物を所望する高齢者になるだろうなぁと思います。
「わかったさん」シリーズは子供向けの物語です。
小学生くらいならすいすい読める文章とかわいらしい絵、
そしてお菓子のレシピが乗っているシリーズです。
「ぼくは王様」シリーズの寺村輝夫先生が文章を、
永井郁子さんがイラストを担当しています。
クリーニング屋さんの娘さんの、わかったさんが何故かお菓子をつくらないといけなくなってしまうお話です。
リズミカルな文章と、わかったさんのつるんとした可愛いお顔が好きでした。
「わかったさんのクッキー」は何度読んだかわかりません。
同じ作者で、「こまったさん」シリーズもあるのですが、
「わかったさん」の方が好きでした。
「こまったさん」はお料理の話で、主人公の「こまったさん」はパートナーがいるお花屋さんの女性です。
イラストの好みもあるけれども、「こまったさん」の方が、年の近いお姉さんのようで想像しやすかったのかもしれません。
「こまったさん」と「わかったさん」、あなたはどっち派? | 絵本ナビスタイル (ehonnavi.net)
調べてみると、新しいレシピ本がでているとのこと。
懐かしく思う人がそれだけいるということでしょうね。
「わかったさん」シリーズに新刊が登場!レシピ絵本「わかったさんとおかしをつくろう!」 | 絵本ナビスタイル (ehonnavi.net)
「わかったさん」シリーズのように、
料理を前面に出していない物語でも、食べ物への興味は尽きませんでした。
イギリスを舞台にした子供向け作品をよく読んでいたので、プディングって何なのだろうとか、パンケーキってホットケーキどどうちがうのだろうとか、ミンスパイって何だろう、と妄想していました。
ハリー・ポッターでも読みながら、クランペットって何だろうと思っていたくらいです。
特に小さいころは、今のようにすぐ検索できるとか、動画があるわけではないので、物語の文章だけをたよりに、食べ物をイメージしていました。つまり、「ものすごくおいしいのだろう」と想像していたということです。
以前に書いた、
「何か素晴らしい食べ物を食べたらこの不調がよくなるのではないか」という思いは、案外このころの経験から来ているのかもしれません。
それくらい、外国の物語に出てくる食べ物は魅力的でした。
それは大人になっても変わっていません。
今でも、食べ物が出てくる物語はとても好きです。
あまりにも食事の場面がない小説は、不安になるくらいです。
「この世界の人たちは、何を一体食べているのだろう」というのが気にかかります。ゲームや映画でもそうです。
バイオハザードはゲームでも映画でも、「何を食べているんだろう…」「何を飲んでいるんだろう…」と不思議に思っていました。
食事の場面は省かれることが多いしものですが、
個人的には、そこに物語のリアリティを感じ、世界観を感じるのです。
全く何も食べないか、描写が最小限だとややがっかりします。
ディストピア飯とか、サプリ飯なら、それはそれでむしろ面白いです。
食事の自由がないということは、ディストピアに他ならないからです。
食べるものを自由に選べない、作ることができない、楽しめないということは
個人的に最も苦しいことのひとつだと考えているからです。
まずい飯であっても、選んで食べたものなら、落ち込みながらもまだ今日範囲ですが、それしか食べられないのはとてもつらいです。
尊敬する先輩が「一生で食べられる食事は決まっているから、一食も無駄にしたくはない」と言っていて
確かに、と思いました。
グルメではないですが、、自分で選んだもの、食べたいと思ったものを、口にできる人生を望みます。
休みのときに三食ゼリーを作ってみようかと思います。
だって望めばそれが可能な環境なのですから。
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