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9月15日の手紙 動物と暮らす

拝啓

今日も湿度が高く、暑い1日でした。
9月も中旬というのに、この暑さはどうかしていますね。
帰宅して、脱いでみると、
着ていた服が汗で重たくなっていました。濡れているというほどではないものの、
じっとりと湿っています。  
なるほど、これだけ、汗が出るのだから、
その分、水分を摂らないと熱中症になるわけです。
夜になっても温度が下がらないアスファルトの上を
とぼとぼ帰宅していると、目の端に、眩しい光が飛び跳ねています。
よく見てみると光る首輪をつけた小さな黒い犬が散歩をしていたのです。
こんな暑い夜でも、楽しそうです。
犬というのは、喜びの塊のような生き物だと思います。
そして、その喜びをまっすぐに受ける飼い主は何と幸せだろうとも思うのです。

動物が好きです。
基本的にはどんな動物にも興味があります。

ふわふわした被毛のある生き物の方が好きですが、カエルやトカゲが嫌いかというとそんなことはありません。
子どもの頃は捕まえて遊んでいましたし、滑らかな表皮やしなやかな体の造形も素敵だなぁと思います。
蛇も美しいですね。
鳥類も好きです。文鳥の写真などは眺めるだけでも和みます。
フクロウやワシなどの大きい鳥も、格好良いなぁと思います。
イルカやシャチ、クジラなどの大型哺乳類はロマンがあります。
ハムスターは漫画の影響で好きになり、ハムスターを買うイメージトレーニングをしていたこともあります。

しかし動物との暮らしは、子どもの頃が最後です。
犬と暮らしていたことがありました。

子どもの頃、最大限のわがままを言って、知り合いから子犬を引き取ってもらったのです。
最後は家族に看取ってもらう形になったのは、今考えるととても申し訳ないことです。子どもだったとはいえ、無責任でした。
彼は、最後は外犬ではなく、家犬として過ごしていました。アンモナイトのように丸くなって眠るのではなく、お腹をまる見せにして眠るようになってから、その命を終えました。
もうずいぶん前のことです。

そこから、動物と暮らしていません。

「大人になったら、好きな動物と暮らそう」と子どもの頃は思っていました。
犬か猫のどちらか、もしくは両方と暮らしてみたいと思っていました。
それが無理でも、小動物か小鳥なら、暮らせるかもしれない、とも考えていました。
ずいぶん、よい大人になりましたが、動物と暮らしてはいません。
小さな生き物も、大きな生き物も、結局、1匹も家にいないのです。
それは多分、臆病だからです。

今でも、犬や猫と暮らしたいと思っていています。
共にいるところを、想像して楽しむこともあります。

柔らかい毛や腹をなでること、
冷たい鼻が押し当てられること、
唸り声や鼻息を聞くこと、
ご飯を食べる音、
爪がフローリングに当たる音、
舌で舐められること、
名前を呼んで走り寄ってきてくれる様子。

でも、こうして想像する場面は
いわゆる「良い部分」でしかないことを
わかっています。
大人ですから。

犬にしろ猫にしろ小動物にしろ、
今の仕事を続けるならば、長時間、家で留守番をしてもらうことになります。
関わるのは、週末と、夜と朝だけになるでしょう。
それは果たして、動物にとって幸せなのでしょうか。
そういう人間が動物と暮らして、責任をとっていると言えるのでしょうか。

動物と暮らすということは
動物の命に責任を持つということで、
きれいでないこと、
お金がかかること、 
面倒くさいことを
引き受けることでもあるのだと、
大人なので、知っています。

子どもの頃のように「動物を飼いたい」気持ちだけではいられません。
「動物と暮らす」のですから。

本当のところ、楽しいことだけでない責任を
全うできる自信がないのです。
自分のエゴで暮らすのに、
動物と暮らすことで生じる責任は尻込みしてしまうのです。
動物と暮らしたいと思いつつ、
踏み込めず、ぐるぐると考えてしまいます。

犬と猫両方と暮らしている友人は、
「犬は今時、拾うということはないけれど、
 猫はどこかで出会う可能性があるから。
 出会いものだから、
 出会ったその時に考えたらよい」
と言ってくれました。
本当にそうなれば良いのですが、どうでしょう。
いつか、そういうことがあるでしょうか。
それとも、気持ちが固まるでしょうか。
未来に期待しても良いものでしょうか。

あなたは動物と暮らすことについてどう思いますか。

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千歳緑/code
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