夢十夜
コォーッ、と至るところから湯煙が立ち昇る懐かしい温泉街を親子が手をつないで歩いていた。海から山へと続く坂には射的場や小さな飲食店が並び、向こうの山では春が新緑を照らしていた。坂から橋を渡った先には一軒の旅館があった。昭和初期に建てられたその旅館は時代と共に改装や増築で姿を変えながら歩んできた。しかし時代は加速し続け、その旅館はいつしか歩みを止めた。そして時代の新たな幕開けを告げるようにコロナという大波が世界を飲み込み、その旅館は最後の力を失った。
はじめて現場に訪れたのは、それから一年あまり過ぎた日だった。主を失った旅館は朽ち果て、光を失い、荒んでいた。抱えきれないほどの時代の残骸があちこちに散らかっており、疲れ切った表情に誰もが言葉を失った。その姿はどこか日本全国の温泉街で消えつつある無数の旅館の姿と重なり、白昼に照らし出された現実を目の当たりにすることとなった。その後、その旅館は温泉地再生のモデルとして本格的に改装することが決まった。
ローカルという言葉が逆の意味を持ち始めた近年、ここにしかないモノやコトは時に大きな風を生むことがある。そして湯河原を俯瞰することで小さな光を見つけた。それはまるで夜の闇にきらめく星のようだった。「文学×旅館」。文学の描く広大な世界に、時に翻弄され、時に慰められ、時に人生の舵を見つけてきた。
そんなときに一冊の本に出会った。夢十夜。3文字に凝縮されたその物語に心が奪われた。湯河原に縁がある夏目漱石が残した夢の欠片。これ以上ふさわしい物語はないと思った。偶然を必然と捉え、現実と夢の境目がない建築を夢想し、夢中になった。建築からアート、料理、おみやげに至るまで「夢に浸る」をモチーフに全く新しい試みをする。あまりに突拍子もない案を関係者の前で広げると、夢は熱を帯びたのか周囲の人々をも巻き込み始めた。冷めた現実より夜に浮かぶ星のような夢を誰もが見たかったのかもしれない。旅館再生をかけて歯車は大きく回り始めた。
そして今、目の前には溢れんばかりの本がある。これから夢十夜に大量に運び込まれる予定の本、本、本だ。それらは次第に意思を持ち始め、ある本は悲劇を語り、ある本は愛について語り始めた。文学に溺れるとはこういうことかと腑に落ちる。作業を続ける手がいつしかページをめくっており、ふと見ると仲間も同じように腰を下ろし本をめくっている。目が合うと苦笑し現実に戻り、再び作業を続けるがしばらくたつとまた同じことを繰り返している。いつか本が全て電子タブレットに変わるなんて嘘だと思う。
2022年秋、夢十夜はその扉を開く。振り返れば何度も奇跡のような瞬間に立ち会ってきた。力を尽くしてくれた仲間たちには心から尊敬の念と感謝を贈りたい。星が巡るように物語も巡る。私たちは漱石の残した夢の欠片に新たな物語を紡いできた。しかし漱石の夢物語に迷い込んだのは私たちだけではないのかもしれない。この続きはその手でめくってほしい。一冊の本をきっかけにはじまった物語は今も続いている。https://unscape.tokyo/projects/post/yumejuya_2022