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Ep.08 飛び込んだ先が泥水のほうがウケる。
一か八か、〇か✕か
宗田は子どものころ、大人になったら出たいと思っていたテレビ番組がありまして、ひとつは「笑っていいとも!」です。
「笑っていいとも!」は素人参加コーナーもありましたし、何かしらで有名になってテレフォンショッキングに出演したいなぁ〜と思っていました。
そして、もうひとつが「アメリカ横断ウルトラクイズ」です。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」は1977年から1992年に放送され、1998年に一度だけ復活した伝説的なクイズ番組で、子どものころの超憧れの番組でした。
今でもクイズが好きなのは、この番組の影響が少なからずあると思います。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」のなかでも、予選の定番くいずである「○×クイ泥んこクイズ」は衝撃的で、今でも他の番組で同じような展開があるほど、皆さんも知っているコンテンツです。
シンプルな○×クイズなんですが、不正解がそのまま罰ゲームになる展開が簡潔明瞭であり、天国と地獄がひとめでわかる素晴らしい発明だと思います。
話は少し変わりますが、つい先日、何気なく「Series of choices」って単語を目にして、「Life is series of choices」の一部だと思って、「人生は選択の連続である」を改めて考えました。
そう考えたときにふと頭によぎったのが「○×泥んこクイズ」のことでした。
2択の選択から正解か不正解を選んで、正しいと思う方に意を決する飛び込んでいく。
選択が正しければマットに着地することができ、泥んこに汚れない、その一方で間違っていた場合は泥んこにまっしぐら、その先に進めない上に泥んこでドロドロになる。
でも、飛び込んだ先が泥んこだった場合、正解のときには得られないことを得ることが出来ます。
それは罰ゲームに自ら飛び込んでいく姿、そして泥んこにまみれているその姿は間違いなく面白い、ウケるわけです。
この体験は正解のときでは得られない、不正解だからこそ感じることの出来る瞬間だと思います。
「人生は選択の連続である」、本当にそうだと思います。毎日が○×クイズのように正解を選んで進み続けていければ、それは正解の人生かもしれない。
でも、不正解で泥んこだらけになっていっても、それはそれで正しい人生だと思います。
それに泥んこに飛び込んでいくほうが、面白い人生だと個人的には思います。
皆さんはどんな人生を楽しんでいますか?
それではまた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。