今でも生きてるんじゃないかなぁ
生きた化石と呼ばれています
こーんにちーわーー!
(いや、おはようございますだろ(笑))
(いやいや、それは読む人によるだろ!)
はい、完全に昨日のM-1の影響が出ていますが、
人生というのは4分あれば変えることが出来るんですね!(4分のネタを2本だから8分ですね(笑))
50歳から人生が変わるとしたら、ここからの人生はとんでもない人生が待っていそうですよね。諦めないこと、続けること、折れないことの強さ、凄さを感じてしまって少しもらい泣きしました。(おめでとうございます!)
というわけで、今日は錦鯉について書いていきたいところなんですが、想定外でしたので、
それはまた別な機会に書くかもしれなかったり、しなかったりといったところです。
ここからが今日の本題です。
皆さんは「生きた化石」と呼ばれているものを
ご存じですか!?
この存在は6500万年前の中生代白亜紀末に、
絶滅したと言われていたんです。
それが1938年南アフリカで、捕獲されて生きていたことが確認されます。
それより以前は4億年前の古生代デボン紀に、
世界の広い水域で、生きていたということからと、学術調査をした結果、シーラカンスは退化も進化もすることなく、姿形がそのまんまで、
化石の状態で発見された状態と、ほとんど同じ状態だったと言われています。
ボクの個人的な好みなんですが、シーラカンスが好きなんです。好きになった理由は、
Mr.Childrenのアルバム「深海」の中に含まれている楽曲にシーラカンスという曲があり、その曲の歌詞が好きなことから、元になっているシーラカンスについて、色々調べてみたり、みなかったりして生きていたので、今でもシーラカンスが好きです。
『ある人は言う 君は滅びたのだと ある人は言う 根拠もなく生きてると
とは言え君がこの現代に渦巻くメガやビットの海を泳いでいたとしてもだ
それがなんだって言うのか 何の意味も
何の価値もないさ』
↑真ん中寄せの部分が好きな歌詞です。
滅びたとか生きてるとか、現在に存在したとして、そんなことは意味も価値もないと言いきってしまっているところがいいですよね。
↑以前書いたMr.Childrenについての記事。
上の記事でも書いたのですが、この当時ボーカル桜井和寿のメンタルなどを考えると、このようなダークなニュアンスの歌詞を書くことも納得出来るわけです。
『シーラカンス 僕の心の中に
君が確かに住んでいたような気さえもする
シーラカンス ときたま僕は
僕の愛する人の中に君を探したりしてる
君を見つけだせたりする』
どこにでもいるなシーラカンス!
ってことではなくて、自分の中の変わらないものだったり、自分が自分であるために変わり続けていくことを止めないということがあるんだなぁ。というのが個人的な解釈です。
と、こんなことを書いていたら、錦鯉の凄さってこういうことなのかもなぁ~って。
いくつになってもお笑いで売れたい!
芸人として食えるようになりたい!
一見、ただの悪あがきに見えていることも、
無駄なことではなくて、流れに飲み込まれないように必死に生きている様ってそれだけですごいんだなぁ~って。感じてしまいますね。
鯉は滝を昇ると龍になるいう話があります。
錦鯉はその先どうなっていくのでしょうね。
雅紀さんは50歳ですからね~、
死ぬまで売れ続けていくっていうのも最高なんじゃないでしょうかね。
ということで、今日はM-1優勝した錦鯉と、
自分が好きなMr.Childrenの歌詞について、
シーラカンス(魚)ついて書いてみました。
話が右往左往してすみませんm(_ _)m
(ってそれはいつもか(笑))
本日、12月20日はシーラカンスの日です。
これだけでも覚えて帰ってください。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
それでは。
*ちなみにM-1はエントリーNo.6のモモの
フレーズはバズりそうだと思いますね~!
(いやいや、そんなのバズるわけないやろ顔やん(笑))と、エントリーNo.一桁ってすごいよね。
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