不幸や欠乏感はお金のせい?
お金を払って買った本だからと言って
つまらないな、自分には必要ないな、
と思っているページまでしっかりと読んで
心を疲弊させる。
お金を払って手に入れたものだから
と言って明らかに美味しくないなと思い
身体が拒否しているものまで全部食べて
心を疲弊させる。
お金を払って来たのだからと言って
身体は疲れていて休みたいと思っているのに
全ての場所を周り心を疲弊させる。
そうしてお金を払って手にしたものが
自分自身に幸せや豊かさを見失わせる
ものになっていた。
本当は心が喜んでいるページや
料理や場所はあったのに
結果的にはその他のページや料理や場所に
よる苦痛の方が喜びよりも大きくなって
満足感ではなく欠乏感を感じるようになり
その欠乏感を満たすために更なる何かと
その何かを手に入れるためのお金を
求めるようになっていた。
豊かさって取り入れて
増やすことだけじゃない。
やらないこと
捨てること
とばすこと
残すこと
それも豊かさ。
でも中心にお金を居座らせていると
豊かな生き方はできない。
お金を払って手に入れたものの中に
ゴミや毒が混ざっていたとしても
それを放置しておくことができず
全てを拾い上げなければ次に進むことが
できなくなってしまうから。
それはお金を支払って欠乏感を
感じにいっているようなもの。
お金を中心に居座らせていれば
お金を支払って得た何かの価値なんて
分からないし
豊かになり発展していくこと
なんてできない。
お金を支払って得た何かを通して豊かさを
感じて感謝するのではなくて
お金を支払って得た何かを通して欠乏感を
感じて愚痴をこぼすことしかできなく
なってしまう。
違うと分かったなら拾い上げずに
置いていく勇気。
合わなくなったとか本当は必要ないもの
だったのだということが分かったなら
手放す勇気。
自分にとってのゴミや毒はよけて
自分の心が喜ぶポイントだけを
拾い上げていくこと。
それが豊かに生きるってこと。
ものやお金が無いから欠乏感を
感じているんじゃなかった。
欠乏感を感じるような生き方をするから
ものやお金がいくらあっても足りないとしか
思えなかったのだ。
私の欠乏感や不幸は
お金のせいじゃなかったよ。
お金を中心に居座らせることをやめたら
生きている場所やお金の量は大して
変わっていないのに
やることや選ぶものやものの扱い方や
生き方が変わっていつも心が満たされている
状態になり今に満足できるようになった。
豊かさも幸せも無いんじゃなくて
既にあるもの。
無いとしか思えないのは
何かがズレているから。
無いとしか思えない時には
求めてしまうもの。
でもいくら求めてもそれはズレたまま
動いていることにしかならないから
求めることで豊かさや幸せに近づいている
つもりでも豊かさや幸せが益々分からなく
なるなんてことになってしまう。
ズレたまま動いていたらどれだけ求めて
どれだけ手に入れても欠乏感は無くならなくて
求めることをやめられない。
求めるのではなくてズレを修正していくことで
既にあることに気づいていけばいいのだ。
豊かさや幸せが無いと思う時
それはものやお金の問題じゃないし
量の問題でもない。
私はお金の操り人形じゃない。
私がお金を主管するのだ。