良い悪いの議論をやめれば人生が変わる。
何かや誰かを良い悪いのどちらかに分類して
賞賛したり非難したりするなんて本当に
無意味で虚しいこと。
世界のあらゆる人やモノを良い悪いの
たった2つのカテゴリーに分けて見ていたら
人やモノそのものが見えなくなってしまい
大切なものを見失ってしまう。
良いのか悪いのかを分かったつもりになって
議論しているつもりでも
思い込みやイメージに左右されている
だけだったりするもの。
良いのか悪いのかを議論するのではなくて
人やモノそのものを見て自分の意見を
述べられるようにしていこう。
たった2つのカテゴリーに分けて
戦うのではなくて
様々な意見を交わらせて認め合い様々な
可能性を見出して人生を楽しんでいこう。
戦っている時って、
自分のフィールドに立てていない時。
何かや誰かのフィールドに引き摺り込まれて
そこでその何かや誰かについて議論している
だけなのだから。
だから戦いに勝とうが負けようが
何の利益ももたらされないし
人生が発展していくこともない。
特に何をやっていいのか
分からないような時って
とにかく"何かをやっている"という形を
作りたくて無意味な戦いに参加して
しまったりするもの。
ぶつかり合っているといかにも
"何かをやっている"って感覚を得やすい。
でもやっていることは
本当に無意味で虚しいこと。
良い悪いの議論をして何かや誰かの
フィールドに干渉するよりも
自分のフィールドを作り
そのフィールドを拡大させていこう。
何か思いがあるのなら自分のフィールドで
その思いを述べていこう。
自分のフィールドに立って生きる時
言葉を何かや誰かにぶつけるという
ことはない。
自分のフィールドに立って生きる時
言葉はただ自分の中から出して自分の前に
置いておくだけだ。
自分のフィールドに立って生きる時
言葉は自分のフィールドを拡大させ
あらゆる豊かさをもたらしてくれる
ものとなる。
自分のフィールドを作るって
勇気がいるしエネルギーも必要だ。
でも人生は自分のフィールドに立って
生きるからこそ発展していくもの。
不平不満や虚しさやつまらなさが
無くならないのは自分のフィールドに
立てていないから。
不平不満や虚しさやつまらなさから
生まれるエネルギーは
悪いと判断した何かや誰かのフィールドに
干渉してその何かや誰かにぶつけるため
じゃなくて
自分のフィールドを作っていくために
用いていこう。
良い悪いの世界で生きることをやめたら
自分の世界やその中に存在するあらゆる
人やモノの見え方が変わってきて
これまでは見えていなかった選択肢が
見えてきたりもするから人生が面白いことに
なっていくよ。
ある一つのやり方が良いのか悪いのか
なんてことを議論するよりも
自分の好きなやり方を作っていこう。
良い悪いの議論をするぐらいなら
自分の人生に集中していこう。