僕たちは不法侵入をしました。
小学校3年生くらいの時、向かいの家に不法侵入した事がある。非常に愚かで恥ずかしい行為だったと、今でも反省している。そう思わせてくれたのは自分の親であり、その家の主だった。
ドが付くほどの田舎っぺ達と、休みの日や放課後、毎日のように健全な遊びをしたし、悪い遊びもした。当時はエアガンが近所でブームになっており、BB弾がよく道端に散乱していた。
今回話す出来事は、その悪い遊びの方のエピソードになる。
その日、3つ上の近所のタカちゃん、そしてその同級生のナオくんと3人、エアガンで遊んでいた。小学校低学年は私一人だった。
何を撃つでもなく、引き金を引けば弾が飛んでいく事が楽しくて、あちこち撃ってはケタケタ笑い、スパイのようにカッコをつけて遊んでいた。
するとナオ君が、隣の空き家に向かってエアガンを撃ち出した。
「あ!やべ!」
口を抑えたかと思えば今度は空き家の方へ指をさした。
見てみると玄関横のガラス戸に穴が空いていた。随分と古い古民家だったのでBB弾でも穴が空いてしまったようだ。するとタカちゃんも悪ノリしたのか狙え狙えと、まるで壊れかけのオモチャをわざと壊して遊ぶかのように、バンバン窓を撃ち始めたのである。
多分私は、しばらく口を開けてぼーっと見ていただろう。
当時はまったくその古民家に人が出入りしているのを見たことが無かった。その認識も手伝ってか犯行に及んでしまった様に思う。浅はかにもこの後起こるであろう事など3人とも微塵も想像出来てはいなかった。
しばらく経って私も狙って撃ってはみたものの、私がその時持っていた愛銃はプラスチックのチープな作りで、まるで遺伝子組み換えされたワルサーのようだった。駄菓子屋で売っていたおよそ虫も殺す事が出来ないであろうオモチャであった為、まず敷地外から届く事は無かった。
するとまたしてもナオ君が提案。
「近くで撃てばいいじゃん」
とんだ悪ガキである。
その言葉にまんまと乗って、穴が数か所空いたガラス戸の前に立ち、ペンペンと情けない音を鳴らしながら撃った。
すると貫通はしなかったものの、メキャ、メキャ、と古いガラスにヒビが入るような音がして楽しかった。その後もガラス戸を的にして撃ち続けた結果、戸の一枠にぽっかりと、子供一人が通れるくらいの穴が空いた。
この時点で十二分にマズイのだが、中に入ってみようとの提案が出た。もうこの時、私達は自分をスパイだと信じて疑わなかった。
一人ずつ破片に気をつけながら侵入し、まず家の中に土の床があった事に驚いた。土間である。
それと、外観の割に意外と生活感があった事にも驚いた。
居間らしき畳の部屋にはスーパーファミコンとそのソフトが平積みになっていて、ロックマンXが挿されたままだった。しかし、ここまで来て謎の遠慮をして、部屋には上がらず、何を盗る訳でも無く、土間をぐるりと一周した後、3人とも退散した。
もちろん自分達からその事を親に話すことは無かったのだが、しっかり近所の人が見ていましたとの事で敢え無くスパイキッズ達は大人に捕まったのである。
田舎のご近所セキュリティというのは本当に馬鹿に出来ない。
しかし、他の2人は知らないが私はその時に親から怒られた記憶が無い。いや、多分怒られた。だが印象に残るほどの怒られ方はしなかった。この時の私はまだ軽く考えていた様に思う。
当たり前だが、後日家主に謝罪する運びとなり親達と子供達で車に乗り、直接家まで行く事になった。すると夫婦が玄関口で仁王立ちして待っていた。聞けば家主のお母さんが元々住んでいた家で、亡くなったか施設に入られたかで空き家となっていたのだそう。冷静に話をして下さったが、表情からも確かな怒りを感じた。
そして、その時に人生で初めて深々と頭を下げる父を見た。他人にこれ程頭を下げる父を見たのは後にも先にもこの時だけだったかもしれない。父は小さな会社の社長で、よく部下の人が家に来ていたのを覚えている。若い衆に、にへら顔で軽口を叩く父親を見て、フン、なにを偉そうに。と当時は子供ながらに思っていた。
その父が深々と頭を下げ謝罪しているのである。これは本当に、単純に自分が怒られるよりも遥かに効いた。その姿を見た瞬間、自分が思っていたよりもずっとずっと、大変な事をしたんだと、胸の中の木々がざわざわし出して、涙が溢れて止まらなかった。
子供達も親達も頭を下げ謝罪し、警察沙汰にはせず、ガラス戸の修理費負担で許して頂いた。だが最後まで家主の口は真一文字だった。
いや、もしかしたら子供達の知らない所でもっと揉めていたかもしれない。今度改めて聞いてみようと思う。
タカちゃんはその後引っ越したし、その影響もあってナオ君とも遊ぶ事は無くなった。
昨今、闇バイトなどと騒がれて悲しい事件が多発しているが、程度は違えどこの時の自分は、彼らと同じく「そちら側」であった事に間違い無かった。
多分あの時の家主の顔を忘れることは無い。そして今でも実家の向かいの朽ちかけている空き家を見るたびに、そんな愚かしい自分と、頭を下げた父の後ろ姿を思い出さずにはいられないのである。