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知識というセンサー(「楠俤」「Fate/Zero」感想)

仕事に追われれば追われるほどカルチャーを摂取しようと頑張ってしまう、むかしからの自分の悪い癖だ。

金曜、ちょっとだいぶな無茶をして有給休暇をとって、早朝に東京を発ち神戸へ。これを見に行くためだった。

公演は金土の2日間のみ。朗読劇とはいっても能舞台で上演し、神社に奉納するものなのだから、ある程度伝統芸能的な要素があるものだろう。この機会を逸すると次はなかなか見られない内容なんじゃないか? しかし土曜には後述のとおり別の観劇の予定を入れてしまっており、いまさら調整もつかなかったので、冒頭記載の通り無理くり金曜に見に行ったのだった。


この門の先に大鳥居がある


常日頃からわたしは「なにも考えずに楽しめる」という褒め方にはやや懐疑的で、見ながら(あるいは見た後に)色々と考えをめぐらすことで作品をより楽しむのが、作り手に対する誠意ある振る舞いであるような気がしている。だからこんなふうにnoteに思ったことを書いているわけだ。
そして、事前に「伝統芸能」「歴史もの」「能舞台」と明確に告知されていたこの作品が「なにも知らず、なにも考えずに楽しめる」作品ではないことくらいはわかる。

湊川神社は楠木正成を祭神としている。その境内にある神能殿にて上演される「楠俤」となれば、この作品のキーワードは当然ながら「能」と「楠木正成」のふたつだろう。
歴史ものは、基本的に歴史をあるていど知っていたほうがより楽しめるはずだ。これは知識マウントとかではなくて、スポーツの試合を見るなら基本的なルールくらいは知っている方がいいとか、そういう話。
それと能については、正月に「能十番」を読んでいたのと、以前安田登さんの「能 650年続いた仕掛けとは」を読んでおり、とはいえ実際には何年か前に「VR能 攻殻機動隊」を見たくらい。結論として、このくらいでも知識がある状態で見てよかった。そりゃまあ、わざわざ能舞台で上演されるのに、能のコードを全く意識しない脚本や演出であるわけがないので。

実際、楠木正成にかかわる歴史の知識に加えて能関連のコードをほんのわずかでも頭に入れておいたことで、作品から読み取れることがかなり多くなった気がしている。ああ、これはつまりこういうことだ、と反応できるポイントが増える、というか、反応できるセンサーの感度が高まるような感じがあった。


たとえば、橋掛から入ってくるのは千早と大森彦七の2名のみで、あとの3名は切戸口から舞台へ入ってくる。この時点でこの物語が千早と大森彦七の対話であることがわかるし、少なくとも出だしでは、舞を舞う千早がシテ、彦七がワキにあたるのだな、と理解できる。千早の正体は謎。つまりこれは夢幻能の構造だ。前述の「能 650年続いた仕掛けとは」によれば、夢幻能において謎の人物として現れるシテは女性の姿をしていることが多いという。

同じ1人の人物であるはずが、複数の人から聞いた人物像がそれぞれまったく違っている、という状態を実際に複数の役者が持ち回りで演じて表現するというのは、演劇ではわりとよくある手法だと思う。今作も、ワキとして立つ人物によって楠木正成を演じる役者は入れ替わる。ただひとつ気になったのは、楠木正成の弟・正季がワキとなった際だけ例外的に、正成の役者が毎度移り変わっていたことだ。(三浦→相葉→早乙女)
他の人物の前では求められる役割を意図的に演じていたが、ただひとり、兄になにも役割を求めていない弟に対してだけは、その時々の不安定な姿を見せていたんだろうか。
弟といる3場面での正成はいずれも戦をあまり好まず、一般的な正成のイメージとはやや異なっている。唯一、弟とともにいることだけが楠木正成を楠木正成たらしめているようにすら思う。これって、「俤」という文字の作りそのものだ。おもかげという言葉をあえてこの文字で表記したのにも、意図があるにちがいない。

能舞台にはなにか特別な空気がある


能舞台そのものの美しさをより際立たせる照明、そして朗読劇なのにいきなり早乙女友貴さんの舞が見られて、無理にでもこの空間に足を運んでよかった、と思った。優美で女性的な舞のなかで一瞬だけ雄々しさを見せる舞は、この作品の展開を凝縮して見せているように感じた。

夜、せっかくなので立ち寄り温泉に入ったのち、神戸空港から東京まで飛びました。神戸の街の夜景、きれいだった。天の河みたいで。今度はゆっくり訪れてみたい。


明くる土曜はミュージカル「Fate/Zero」を見に新宿のMILANO-Zaへ。他の作品で見たことのある役者さんやスタッフが多くて、アニメの記憶はうすぼんやりある程度だったが、これは見たい!と情報解禁時からとても楽しみにしていたのだ。

客席やロビーは大盛況だった


開演早々、誰よりも小柄ながら足を開いて堂々と立つセイバーの姿と歌声、バグパイプの音色で一気に引き込まれた。あとはやっぱり印象深いのがライダー陣営。宝具の描写はミュージカル的な高揚も相まってかなり盛り上がったし、ウェイバーとのスキンシップも、数少ないあたたかい雰囲気のシーンでとても印象に残っている。今回ある意味メインだったともいえるキャスター陣営も輝いていたなあ。
どうでもいいことなんですが、言峰綺礼の周りを時臣と璃正がぐるぐる周る、アニメでもやや面白だったシーンがしっかり再現されていて、シリアスな場面なのにちょっと笑いそうになってしまった。

どうしても華やかなサーヴァントたちと芯の強い女性たちの印象が強くて、中心とはいえ陰にいる切嗣の印象がやや薄くなってしまうのはあるていど仕方のないことなのかもしれない。舞台でなかなか派手な見せ場を作りにくい難しいキャラクターだと思うが、後編はどうなるだろうか。
2/2の公演は配信もあるそうだ。


そして日曜である今日はホワイトシネクイントで「飯沼一家に謝罪します」を見てきた。まさか映画館で上映されるとは。
基本的な感想は放送時に、以下のnoteに書いた通りではある。

映画上映版では一部追加映像があり、それによって大幅に何か理解が変わるようなものではないのだけれど、どんな事象が起きたのかがかなり分かりやすくなっていた。
この作品の肝は、事象として何が起きたかというより、人の内面において何が起きたかの方だとわたしは思っている。今回、事象に関する解答がわりと明確に提示されたことで、内面に関する割り切れなさがより際立ったように思った。スクリーンで通しで見ると、恐怖よりも、とにかく悲しみが立つ。
そういえば上映前に奇奇怪怪のマナー動画が流れて、よりお得感あったなあ。

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