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日記689 櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展@Gallery AaMo

5月15日(水)

櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展へ。東京ドームのそばにある、Gllery AaMo。5/19(日)まで、すでに終了。杉作J太郎さんのパネルがお出迎えしてくれた。でも撮影を忘れる。惜しい。

アウトサイド。周縁でひたすらなにかをつくっている人々。芸術家なのか。表現者なのか。その自覚はあったりなかったり。なんだかよくわからない。そんな人々による「作品」をアウトサイダー・キュレーターの櫛野展正さんが全国から集めた展示。

自分も似たような「よくわからない」を抱える人間だと思う。ここ数年、欠かさずカメラを持ち歩き路上の写真を撮りつづけている。とくになにがしたいわけでもない。習い性になった。気になるものを写真というかたちでとどめておきたい。

なぜそんなことをするのか、わからない。日常的な行動の中に「わからない」という要素がある。うまく説明がつかない。もしかすると「アウトサイド・ジャパン展」に幾ばくかのヒントがあるのではないかと淡く期待し足を運んでみたが、もっとよくわからなくなるだけだった。

上から、稲村米治さんの昆虫立体像、なお丸さんのモンスター、八木志基さんの怪獣絵、そして原夕希子さんのおびただしい丸を描いた作品と鮮やかな絵画。いちいち圧倒される。なお丸さんは写真のポーズがかわいくて良い。彼の紹介を引用したい。

 調理師免許を取得後に体調を崩し、自宅療養していた際に、みずからが創造主となり独自の創世神話を構築。

唐突。なにゆえそうなるのか。よくわからないが、天啓が降りたのでしょう。あのモンスターは一種の啓示報告なのか。櫛野展正さんの著書『アウトサイド・ジャパン』(イースト・プレス)p.37より。

原夕希子さんの作品は「圧倒」に加え、少なからぬ美意識を感じます。強迫的だけれど「わかってやっている」ような。おそらく芸術の名のもとにつくっている。「見せる」という意識がある。あくまで作品のみから受けた感想です。

わかって統御しつつやる創作態度と、やむにやまれずやる創作態度があるように思います。わたしの主観的な分類でしかないけれど、前者寄りの作品は堂に入った構えがある。「美術」に意識を届かせようとする。後者寄りの作品は勝手にのさばっていたらたまたまギャラリーに陳列されちゃったような奔放さが滲む。

むろんそこに優劣はないし、両者が截然と分かたれているわけでもありません。たいていは「わからない」の側から、つくっているうちに意識が一点へ研ぎ澄まされていくのかもしれない。

工藤千尋さんの作。この人形たちは、細部からとても洗練されていると思う。東京芸術大学を卒業している方のようです。そして「とぜね、かちゃくちゃね」という小説で林芙美子文学賞を受賞しています。

かわいくて、でも淀んだいびつさがある。ぽっこり飛び出たおなかに、ちいさなクワガタが這う足。苔むしたような質感の人形たち。触れた瞬間にぼろぼろ崩れてしまいそうな肌。細やかな植物が息づく、まるい頭。やわらかい起伏にくるまれた硬質な妄念。ひとりきりのポエジーによって呼び起こされた人形のかたちかしら。不思議なたたずまいです。

写真をたくさん撮ってしまいました。
小説にも興味がわきます。

人間が初めから人間でないように
雑巾も初めから雑巾であったわけではない

雑巾のスケッチを描く、広島のガタロさん。清掃員のしごとを長くつづけている。雑巾の絵とともにあるひとことは、描きながら感じたものだろうか。ちょくちょく安倍総理への批判がつづられていた。

わたしたちは初めから人間ではない。忘れがちなことです。たぶん、過去のどこかで人間になった。それと知らずに。しかし、みずから人間になった。関係なさそうですが、さいきんたまたま読んだ石原吉郎のことばを思い出します。小野田少尉は教育で変わったのではない、という文脈から。

ぼくは、中野学校の教育がどんなものが知らないけど、人間をあんなに変えることはできないですよ、あれは自分で変えたんですよね。ですから、戦争は絶対にどうしようもない部分と、自分で自分を変えていく部分とあるわけですよ。たとえば特攻隊の場合だってそうです。で、その自分で変えた部分については、自分が責任を負わなきゃいけないんですね。国家は責任を負ってはくれないんですから。そこのところが今ひとつはっきりしないんだ。戦争はね、国がやったんだという考えがこびりついているからね。自分が戦争した部分が必ずあるわけなんですよね、そいつを掘り起こさないといけないわけなんだ。

73年1月の現代詩手帖、鮎川信夫との対談「生の体験と詩の体験と」より。これは石原吉郎自身の経験的な実感から出てきた考えだろうと思う。絶対にどうしようもない部分と、自分で自分を変えていく部分がある。巻き込まれた部分、適応した部分。

外圧だけで自分がそっくり変わることはない。どこかで内側からもみずからを投企した。観念したのだ。わたしも、いつからかわたしになった。戦争だけに限らない。「世の中 人のせいなんてもんはねえ」とMC漢も歌っていた。

“変える”とは自分で自分を「選んだ」のか、「手放した」のか、あるいは「選ばれた」のか。自己の存在や行為を身に負うためにする意味付けは人それぞれだろう。わたしの心底には生まれて此の方「なにも選んじゃいない、知らぬ存ぜぬだ」と抗弁したい腐った性根がある。

選んで生まれたわけじゃない。神のごとき大いなるものから「選ばれてある」と考えたこともあるけれど、そんなふうにも思えなくなった。鏡にうつる自分は、ただ観念したおじさんの姿だといまはそう感じている。許しを請うように生きている。努めて倫理的に。許されたら死ぬ。

ガタロさんも自分が自分であることに観念したおじさんではないかと勝手に思う。自分という物が物自身を描くのだ。いま検索して知った、彼が敬愛する四國五郎はシベリア抑留から生還した画家だった。石原吉郎もシベリア抑留を経験した詩人。引用はたまたま。

つぶらなひとみの丸い大群はわたしに似ているそうです。友人が何気なく「永田さんに似てる」と。でもこんなに目は大きくないし、口から赤い汁を垂れ流した記憶もありません。実物でなく、抽象化された概念としての印象なのか。「無垢な狂気」みたいな……?辻修平さんの作品。ご本人らしき方が絵の前にいて、お客さんと話し込んでいました。

その上の異様に痩せた写真は、河合良介さんのもの。故人。娘の塙興子さんがSNSで発信して話題になった。誰に見せるわけでもなくしまわれていた遺品。ヌードグラビアに線を描き足し、過度な痩躯をつくりだしたらしい。そこにあるはずの骨をみずからの手で浮き立たせる。人体を線描でひっつかむ行為。ロマンと暴力を綯い交ぜにした欲望の相貌みたいな。幻視的な美しさがあると思う。

穴子巻きのパック。武田憲昌さんの収集物。施設でお世話になった職員さんに関するものなどを集めているそう。メモ書きや吸い殻まで。収集に足る物の下限がわからない。上限も見えない。容赦がない。めまいがする。26年という歳月にも気が遠くなる。どこにどうやって保管しているのか……。

あきらかにゴミ然とした物ですが、きっと武田さんにとってはゴミではない。彼によって保たれた価値がある。彼がいなかったら保たれなかった価値がある。自分にとって価値あるものを自分で保ちつづけることは、すなわち生きることと直結する。まさにアール・ブリュット(生の芸術)なのだと思う。これを見出すキュレーターもすごい。「いったいなにで計る人間の価値?」とMC漢も歌っていたっけ。

今より若いときはない

これに類似したことばが何度も書きつけられていた、軸原一男さんの絵。表現とは、時間を止めるための技法ではないかと、なんとなく思う。それは「自分の価値を保つこと」にもつながる。止まらないなんて百も承知で過ぎ去る時に手をかける。自分がいまここにいることの不確かさを、確かなものに変えようと。あやふやな地平を固めたいと欲する、人間の業。

何にとらわれることもなくどんどん季節は流れて、二度と戻らない美しい日々も露のように消えていく。この世はそういうものらしい。然りながら。行かないでほしい。まだここにいたい。人のそんな望みはきっと、「終わり」を感覚するところから興る。

90歳を過ぎて絵を描き始めた軸原さん。享年93歳。大量のカラフルなへのへのもへじは、ちゃんと時間を止めるための練習だったのかもしれない。ひとつひとつの「若いとき」を絵に仮託してとどめておく。「若いとき」を平面に溶かしながら過ごす晩年。器用にはいかなくても。ちゃんと死ぬことは、ちゃんと生きることでもある。この瞬間はつづかない。いつの世も。

過剰装飾のコーナーにあった写真。
みやび小倉本店の衣装を着た若者たち。
スマホの壁紙にしています。

めちゃいい写真。

個別の感想はこんなもので(ぜんぶは多くて無理)。全体としては、キュレーター櫛野展正さんの価値判断に妙な親近感とうれしさを覚えた。自分の価値観まで首肯してもらえたような。思い上がりでもいい。もう何年もゴミみたいな写真を撮って、カネにならない雑文を書いている。わかんないけど、ただつづければよいのだと思う。ありがたかった。

ギャラリーや美術館は、価値と価値とを紛乱させる交差点のごとき場所だと思う。創作物と、それを見る者の態度がぶつかって価値が混成する。いわばこの世界を煮詰めた縮図であり、つくられた世界で光る一条の価値はキュレーターの手によるところが大きい。

櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展には、孤独の宛てどころが置いてあった。自分の宛てどころ。その人の在り処だ。個人が個人でいられる文脈づくりとしての作品。OK、あなたはそこにいたいのだね。以上。それが同時に、わたしの居場所も照射してくれたように思う。

塙興子さんのポストカード、酒井寅義さんのトートバッグ、櫛野展正さんの本『アウトサイド・ジャパン』(イースト・プレス)を買って出る。

帰り道、新宿まで歩いた。友人と長いこと歩いた。弥生美術館の「ニッポン制服百年史」を観て、同時に展示されていた高畠華宵の乙女ポエムを朗読する。他にお客さんがいなかったから、恥ずかしげもなく乙女になった。半ばふざけて。「結局、わたしは乙女なんだよね」みたいな話をした。制服百年史のほうに、ひとりだけいたお客さんは本を片手に持っていた。打越正行の『ヤンキーと地元』(筑摩書房)。

向かいにある東大の食堂でカレーを食べて、池乃端の六龍鉱泉に寄る。銭湯。高温の黒湯。母の実家のお風呂で幼いころヤケドしたことを思い出す。熱すぎて入れない。すぐに番台さんが来て、温度を下げてくださった。わたしが足先だけ浸し静かに撤退するようすを見ていたらしい。

下げてもらってもかなり熱かった。だけど癖になる。そんなお湯。湯船の中で、肌のひりつきを感じる。常連と思しき年配の方は何食わぬ顔で入ってくる。目を閉じて深呼吸をする。耐える。

ひとっ風呂浴びると夜風が気持ちいい。途中、武道館の周辺で人だかりができていた。あとで調べたら、松任谷由実のコンサートがあったみたい。確かにユーミン帰りの年齢層だった。人だかりを見て「わー顔がいっぱいだー」と言った記憶がある。自分も顔面の集合体の一部になった。

てきとうに話しながら歩いて新宿駅で友人と別れる。
帰りの電車で立ったまま寝た。






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