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物語(ウソ)を作って現実(ガチ)を生きる人

 真夜中の小さなアパート。パソコンの画面だけが、薄暗い部屋を青白く照らしている。
 部屋の主である佐藤は、ごく普通のサラリーマンである。が、彼の部屋の本棚はいささか普通とは言い難かった。SF、ファンタジー、ハードボイルド、ミステリー、そして、倒錯的な愛と欲が織りなす破滅的で官能的な作品まで、ジャンルを問わない様々な小説が大量に並んでいた。

「もっと奇抜で……斬新で……面白くて……エロティックに」

 キーボードを叩く音が、静かな夜に響く。
 佐藤の頭の中では、本棚にずらりと並んだ名作たちに優るとも劣らない壮大なストーリーが展開されている。それは読者の心を掴み、欲望を刺激するものになるだろう。あとは手を動かすだけだ。頭の中にあるものを文字にして吐き出していくだけだ。
 だが、なかなか思い通りに言葉が紡げない。納得のいくシーンが描けない。少し進んで前に戻り、考え、悩み、何時間もかけて書いた文章をまるごと削除して、また書き直す。その繰り返し。何日も何日も、毎夜のように。

 佐藤は、薄々ながら気付いていた。この物語はきっと完成しない。自分の作品として日の目を見ることはないだろう。しかしそれでも彼の筆は止まらない。この創作は、彼の内なる欲望の表現であり、孤独な夜を彩る唯一の楽しみなのだ。

 ふと時計を見て、佐藤は驚いた。もう朝の4時だ。また徹夜かと苦笑い。

 朝日が差し込み始めた背後の窓をちらと見て、彼はようやくパソコンの電源を切る。疲れた目をこすりながらも満足げに微笑む。今夜も、彼の秘密の世界は少しだけ広がったのだ……と思う2024年7月30日10時00分に書く無名人インタビュー849回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 永元千尋 さんです!

年齢:40代後半
性別:あわよくば女に生まれ変わりたい願望がある程度のごく普通の男です
職業:文筆業


現在:ひょっとしたら、これが自分の人生で最後に手がける長編小説になるかも、という気持ちがあって。

qbc:
 今、何をしている人でしょうか?

永元千尋:
 文筆業をやっております。小説を書いたり、シナリオを書いたり。ただ、それだけでは食えてないので、ゲーム開発のお手伝いとかも細々とやってる感じです。

qbc:
 もう少し具体的に教えていただいてもいいですかね。

永元千尋:
 言っても大丈夫な範囲だと、直近では『ウィザードリィ外伝:五つの試練』っていうゲームがありまして。それの一部シナリオとか、テキストのリライトとか、テストプレイとか、バグの洗い出しとか。

qbc:
 その『五つの試練』って、タイトルとしてはどのあたりをターゲットに狙ったものですか?

永元千尋:
 僕は立ち位置的に開発のお手伝いみたいな感じなので、そういう企画レベルのところには噛んでないんですよ。……回りくどい話になりますけど、『ウィザードリィ』についての説明からした方がいいですか?

qbc:
 お願いします。

永元千尋:
 ウィザードリィって、いわゆるコンピューターロールプレイングゲームの始祖にかなり近い作品でして。シリーズの最初はもう40年以上前になります。ダンジョンに潜って敵と戦ってレベルを上げて、っていうシンプルなパソコンゲームなんですが、これが一番ファンを増やしたのがたぶん1980年代の終わりぐらい。ファミコン版が出た頃ですね。初期の『ドラクエ』とか『ファイナルファンタジー』が盛り上がっていく脇で、よりコアな人たちに深く愛されてきたような感じで。
 で、『ウィザードリィ外伝:五つの試練』はその系譜に連なるタイトルのひとつなんですけど、最大の特徴は自分でウィザードリィが作れることなんです。与えられたゲームをクリアするだけじゃなく、自分でダンジョンの構造を決めて、ここにスイッチがあって鉄格子が開いて、通路の途中にボスがいて、これを倒すと先に進める……みたいなのを自分で作れる。
 でまあ、そのダンジョン作りを趣味でぼちぼちやってたところ、αテストに関わることになり、気付いたら開発に紛れ込んで出入りさせてもらうようになり、いろいろとお仕事させていただけるようになった、と。

qbc:
 その「αテストに紛れ込んで」っていうのは、どんな流れで?

永元千尋:
 『五つの試練』自体は、世に出てからもう結構経ってるんです。最初はWindows版で2006年。熱心なファンが長く細々と支えていて、僕もその一人でした。これが20年代になり、パブリッシャーさんがついて、Steam版として全面リメイクされることになって。
 ただ、色々と手間取ってるらしく、なかなか正式なリリースに至らなくて。有志を集めてクローズドαテストをやることになって、そこに僕が応募して、っていう。

qbc:
 お話を聞いていると『マリオメーカー』のRPG版という感じですかね? 自分が作ったウィザードリィをクラウドで共有して、シェアし合えるような。

永元千尋:
 そうですね、ざっくりそんな感じだと思っていただければ。

qbc:
 遊ぶ側から作る側に回ったという流れですけど、今どんなお気持ちですか。

永元千尋:
 うーん、まあ、ゲーム作る側という意味では、僕、20年以上、作る側にはずっといるんですよ。主に成年向けの美少女ゲームで、企画・シナリオ担当だったので。

qbc:
 ああ、ゲームクリエイターとしてのキャリア自体はかなり長いんですよね。アリスソフトとか、知る人ぞ知る老舗のメーカーに在籍してらしたこともおありで。

永元千尋:
 けど、さすがに『ウィザードリィ』の作り手になるとまでは考えてなかったですね。中学生の頃に普通にユーザーとして遊んでて、新作が出たら学校サボって買いに行って、みたいな感じだったので。そこはやっぱり「夢を叶えたぞ」みたいな気分はありました。
 一方、これは自分のnoteの記事でもちょっと書いたんですけど、夢を叶えたといっても特にキラキラしたものは感じてなくて。ここに流れて来なくても、多分どこかよその開発現場で同じようなことはしてたんだろうな、と。

qbc:
 それは、喜怒哀楽で言うとどんな気分?

永元千尋:
 喜怒哀楽……ではないですね、むしろ無? ほぼほぼ平常運転。

qbc:
 これが「ゲーム開発に携わってまだ数年」とかだったらどうでした?

永元千尋:
 間違いなく図に乗ってましたね!(笑)
 自分の若い頃なんてもう、ゲームの作り手側に回っただけで良くない特権意識みたいなのを感じてましたから。もう俺は他のやつらとは違うんだ、ぐらいの勢いで。ものすごい勘違いですけど、そんな若い頃に携わってなくて良かったです。

qbc:
 ここまでの話だけでも、いろいろ切り口がありすぎて悩ましいところですが……。とりあえずお仕事、ゲーム開発以外のところをお伺いできますか。プライベートも含めて、他にされてることってあります?

永元千尋:
 今、本腰入れてやろうと思いつつもなかなかできてないのが、長編の小説を書くことですね。もともと僕は作家志望だったし、今もメインは文芸屋のつもりなので。いやもう、これはマジでなんとかしたい。
 ものすごくざっくり考えて、今から何か1本、僕が長編を書くとしますよね。僕はいま49歳で、今年の10月でちょうど50歳になるんですけど……よそで仕事しながらそこそこ自分が納得いく分量を書くのに5年とかそれ以上かかるとして、もう60歳が見える時期になる。ひょっとしたら次はないかもしれない。体力的にも精神的にも、自分の人生で最後に手がける長編小説になるかもしれない、という気持ちがあって。
 なので、次に手がける作品は、できることならなるべく人目につかせてあげたいし、世の中にそこそこ知ってもらえるぐらいの作品に育つといいなと思いながらやってるんですけど……そんなことを思いすぎてるせいでなかなか作業が進んでないんですが(笑)
 ぶっちゃけ、この無名人のインタビューに応募してみようと思ったのも、その一環です。次に書く小説のプロモーション的な効果があればいいな、と。

qbc:
 その小説、内容はもう固まってるんですか?

永元千尋:
 わりと王道の、剣と魔法のファンタジーをやろうと思ってます。さっき言った『ウィザードリィ』とも絡んでくるんですけど。
 ウィザードリィって、ゲームとしてはとてもシンプルで、ダンジョンの一番奥に潜んでるボスを倒しに行ってこい、みたいな感じなんですけどね。傍から見てるとまあ面白くないんですよ。見た目がすごい地味なんで。どこまで行っても地下空間、壁と扉しかない。敵が出て来ても動きのない簡素なグラフィックだけ、メインは文字情報。前衛にモンスターがいて、中段に悪の魔法使い、総勢何匹、くらいしかわからない。
 ところが、やってる本人はそうじゃないんです。プレイヤーキャラはわずか6人なのに、時には数十匹ものドラゴンの大群を相手にすることもある。味方がどんなに強くなっても、魔法の使いどころをひとつミスると簡単に全滅する。それが地下深くだったら誰も助けに来られない。取り返しがつかない。とんでもないプレッシャーを感じながら一戦一戦、生き延びるために死闘をくぐり抜ける。これがべらぼうに面白いんです。
 で、このゲームの面白さをどう伝えようかという時に、関係者のみなさんもいろいろ考えたんだと思うんですけど、そのひとつにノベライズがあったんですね。『小説ウィザードリィ:隣り合わせの灰と青春』っていう、その筋では結構有名な小説なんですけど。これがまあ逸品で。
 なぜプレイヤーはあの暗く深い迷宮に潜るのか、迷宮で出会ったこのモンスターはどういう素性のものなのか。ゲームに登場するデータひとつひとつのディテールをきちんと掘り下げて、すごく緻密に描写されていて。よくもこんなシンプルなゲームからリアルで豊かな物語を作ったな、っていう。

qbc:
 その衝撃の一冊と出会ったのが……?

永元千尋:
 14歳でした。ちょうど多感な時期に巡り逢って、小説とか物語に対する認識が根底から覆ったような感覚でした。
 ただ、その印象がある意味強烈すぎて。自分がファンタジーを手がけるならばあれを超える覚悟でやらなきゃいけない、みたいな気負いがずっとあったんです。
 まあ、ファンタジーっていうくくりで言うと、これと同レベルかそれ以上のインパクトが、9歳か10歳の頃に……『聖戦士ダンバイン』ってご存知ですかね? 『機動戦士ガンダム』の富野由悠季さんが手がけられたアニメなんですが。世代的に通じなかったらごめんなさい。

qbc:
 あ、私46歳なんで、大丈夫です。全然会話についていけます。

永元千尋:
 それは良かった(笑)
 もう、僕にとっての物語観、ファンタジー観は、『聖戦士ダンバイン』と『隣り合わせの灰と青春』で固まったようなところがありまして。ファンタジーというものはとにかく硬派でシリアスで、ものすごく緻密に練り込まれているものだ、という。

qbc:
 今や一般向けの代名詞みたいなドラクエやファイナルファンタジーでさえ、ファミコン版の初期ナンバーは難度が高かったですしね。誰でもクリアできるようには調整されてなくて、途中で投げちゃう同級生も少なくなかった。

永元千尋:
 挙げ句の果てには『ダンジョンズ アンド ドラゴンズ』とかまで入ってきて。

qbc:
 少なくとも世代的に、ファンタジーに対するイメージは「ある時トラックにはねられて異世界に行って無双した」みたいな感じではなかったと。

永元千尋:
 だから、ファンタジーを書こうという発想すらしたことがなかったんです。もう架空世界の度量衡から創作しなきゃいけない、とても大変なものだという意識だったので。
 でも最近、『葬送のフリーレン』とか『ダンジョン飯』とか、けっこう流行りましたよね? 僕もずいぶんハマって、原作もアニメも見てたんですが。

qbc:
 どちらもわりと硬派というか、ゲーム的なファンタジー世界がベースでありつつも、メタ的ではない作品でした。

永元千尋:
 特に『ダンジョン飯』のほうは、作者さんが僕より一回りちょい下の世代の人らしいんですけど、原点がウィザードリィだと仰っていて。なるほどウィザードリィを漫画やアニメにしたらこうだろう、っていう空気をすごく感じたんです。
 なんかもう、ものすごく面白いと同時に、羨ましくなってきたんですね。僕も同じような原体験を経てきたのに、自分の作品としてはきちんとファンタジーに取り組んでないなと。「俺もやりてぇ!」っていう感じになってきて。
 でも一方で、曲がりなりにも商業作家をかじってた身から言うと、今さら遅いよと。やるんだったら5年か10年前に、流行り廃りと関係ないところで愛を持って始めてなきゃいけなかった。
 とは言え……ここで話が最初に戻るんですが、自分の年齢的にこれが最後の長編小説かもしれないと考えたら、一生ファンタジーを手がけずに終わるのもどうなんだと。たとえ趣味レベルだとしても、世間的にはパッとしなくても、自分ができる範囲、目が届く範囲でできることは全てやって世に出しておきたいなと。

qbc:
 そのひとつが、この無名人インタビューでもある。

永元千尋:
 そうなります。

過去:中華料理店の大将に「人生の全てをこれに賭けるつもりでやってくれ」と言われて。

qbc:
 ファンタジーのファーストタッチが『聖戦士ダンバイン』だった、というお話でしたが。

永元千尋:
 それ以前にもアニメのブームみたいなものはありましたけど、最初の『機動戦士ガンダム』は79年で、小学校に上がるか上がらないかなんです。『宇宙戦艦ヤマト 完結編』が小学校2年生ぐらいの頃。メカやロボットが出てきてガシャンガシャンやってるからおもしろそうだな、って感じで見てたんですよ。正直なにもわかってなかった。
 で、小学校の3年生から4年生にかけて、ちょうど長尺の物語が理解できるようになったタイミングでのめり込んだのが『ダンバイン』だったんですよね。

qbc:
 のめり込むとは。

永元千尋:
 自分がその場にいたらどうなるかっていうのを、すごく考えさせられる話だったんです。
 例えば、主人公のショウ・ザマは家庭環境に恵まれてなくて、異世界バイストン・ウェルに行った先で受け入れられて英雄みたいな扱いにされるんですけど、トラブルがあって東京に戻ってきた時、実の親から「お前なんか異星人だ、息子じゃない」みたいな感じでボロクソ言われて殺されかける。「うちの父さん母さんはこんなことないな、そうであってほしいな」みたいなことを思いながら、すごい感情移入して見てたんですよね。
 あと、僕は四国の田舎の生まれで。そこは本当に陸の孤島という感じだったんで、バイストン・ウェルがそこかしこにあったんですよ。裏山に行くとシダ植物がバーっと生えてて、そこにダンバインのプラモデルを作って持っていくと、即座にオーラロードが開かれる(笑)だから、バイストン・ウェルで起きてることは、自分の身に起きてることだぐらいの感じでずっと見てて。
 で、最終的に……みんな死んじゃう。

qbc:
 富野監督(笑)

永元千尋:
 ええ、もうえげつないことになるんですけど(笑)
 主人公の最後のセリフとかも未だに憶えてますね。仇敵と差し違えたあと、自軍の戦艦や兵器を含む全ての悪しきものが滅却されていって。僕は涙を流しながら、それはもうテレビの前に正座して食い入るように見てました。その熱量も含めて、全身で受け止めるようにして。
 なので、単にファンタジーというだけでなく、自分の原点にある物語って言うとやっぱり『聖戦士ダンバイン』なんだと思います。

qbc:
 『ダンバイン』の後はどんな作品に?

永元千尋:
 もうそのまま、富野作品にズップリでした。すぐに『重戦機エルガイム』が始まって、それが終わったら『機動戦士Ζガンダム』。『ガンダムΖΖ』は田舎だったので放映されなかったんですけど、『ガンダム・センチネル』に『逆襲のシャア』と来て。レンタルビデオの普及とかもあって、初代のガンダム劇場三部作なんかも改めてきちんと見直して。僕らの世代のガンダムオタクが大体みんな通った道を健全に歩いてました。

qbc:
 じゃあ、十代はいわゆるガンダムオタクだった。

永元千尋:
 そうですね。ただ、それにちょうど並行する形でファミコンのブームがワーッと来て。特に、『ドラゴンクエスト』から始まる和製ロールプレイングゲームの勃興期だったので。
 なので、小学校の高学年から中学校にかけて『ダンバイン』『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』があって『ウィザードリィ』へと流れていく。ファミコン版では『ドラクエⅢ』と『ウィザードリィ#1』が時期的にほぼ被ってるんです。大体88年か89年かだったと思うんですけど。

qbc:
 そうした作品群には、どんな気持ちで触れてました?

永元千尋:
 モノによりけりではありますけど……ファンタジーって言うと普通、異世界に対する憧憬、幻想的、癒し、みたいなイメージですよね。でも、自分の主な印象はちょっと違う。自分が今生きてる世界の外に、全く違う価値観とか、全く違う理屈で動いてる世界が確かにあるんだ、っていう。いわば畏怖でしょうか。
 喩えるなら、初めて友達の家に遊びに行った時とか、隣町に行った時とか、長距離の旅行に行った時とか。そういうのが一番近い感覚かもしれません。新鮮な驚きや発見がありつつも、そういう「外の世界」って基本的には僕の都合に合わせてくれない。自分たちの世界とは違う、何かすごい大変なことを抱えている。
 だから、全身全霊で、理解の外にある世界と真剣に向き合わなきゃいけない。だからこそドキドキ、ワクワクもする。幻想的な絵空事とはハナから思ってないわけですよ。ドラクエだって本気で自分が勇者になったつもりで「竜王だけは絶対許さん! 俺がこの手で必ず斃す!」くらいの意気込みでやってましたし(笑)

qbc:
 ウィザードリィに対しても、スタンスは同じ?

永元千尋:
 そうですね。ウィザードリィはラスボスの名前がワードナなんですけど、ワードナをやっつけるためにダンジョンへ潜り続ける冒険者生活それ自体を楽しんでいた感じでした。
 ゲーム自体はシンプルなので、味方のキャラが何か喋ったりすることは一切ないんですけど。頭の中で勝手にキャラが喋るような感じをよく味わっていました。パーティのメンバーは最大6人で、クラスの仲の良い友達みんなで何かを成し遂げに行こうとする感覚だったので。
 当時、日本にテーブルトークRPGが入ってきて『ダンジョンズ アンド ドラゴンズ(以下、D&D)』が最初のブームになってたところだったんですけど……すいませんこれまた説明が要るヤツですけど、大丈夫ですかね、通じますかね?

qbc:
 私、オタクだったりもするんで全然めちゃくちゃ分かってます。

永元千尋:
 あ、なら良かったです。『D&D』は同じ時代の空気を吸ってた同級生同士でわいのわいの言いながら遊んでました。いざとなったらダンジョンマスターをやってる友達さえ言いくるめてしまえばあらゆる問題が解決しちゃうわけですけど、でもその友達こそ、いつも僕の都合に合わせてくれるわけではない他者そのもので。僕を取り巻く別の現実そのものだったと言えるかもしれません。真剣だったかどうかはその時によりますけど(笑)
 うーん、でもこれ、上手にまとめすぎてる気もするな……。やっぱ一言ではなかなか語れないですよね。色んな要素がギュッと詰まってるのがファンタジーっていう感じです。

qbc:
 テーブルトークRPG(以下、TRPG)を遊んでいたのは、何歳の時ですか?

永元千尋:
 ちょうどこれも『ウィザードリィ』とほぼ同じ時期です。中学校3年になって、夏の大会がそろそろ終わるかっていう頃から始めたんですけど。

qbc:
 これ、周りにすぐ一緒にできる人がいたってことですよね。

永元千尋:
 そのぐらい流行ってたんですよ。四国の田舎の片隅まで最初のTRPGブームは波及してきてて。ダンバインやらドラクエやらのおかげで下地ができていたところに「これが本場、本家本元のファンタジー!」っていう感じで『ウィザードリィ』と『D&D』が殴り込みをかけてくるような感じに見えてました。
 『D&D』に関しては、僕は途中から参加した組だったんです。小学校の高学年から剣道やってて、しかもなぜか全国大会出場を目指していたどえらいきつい部活だった。時代が時代なのでもう平気で顧問の手や拳が飛んでくるんですよ。殴られる蹴られるは当たり前。中学卒業したら二度と剣道やらない、って思いながらやってたんですけど。
 だから、剣道部の外に友達が欲しかったんですよね。剣道部の中にもオタク友達がいて、そのオタク友達のさらに外にオタク友達がいて、っていう感じで輪が繋がってた。このグループが『D&D』とかをやってたんで、興味があったんで混ぜてもらって。まあこれが面白くて。次やる時はダンジョンマスターやりたいから一式貸して? とか。気がついたら僕を中心にキャンペーンが回るようになってたりして。

qbc:
 情報はどこから得てたんですか?

永元千尋:
 当時はやっぱ雑誌がメインでしたね。ちょうどホビージャパンの『RPGマガジン』が創刊された頃。『タクテクス』っていうボードゲームの季刊誌があって、それが増刷だか別冊だかでテーブルトークRPG専門誌を出し始めて。あとは富士見書房の『ドラゴンマガジン』とか。文庫型ルールブックの『ソードワールドRPG』も出たばかり。

qbc:
 あーそっか、『ソードワールド』なんだ。『ロードス島戦記』とか。

永元千尋:
 ええ、KADOKAWAさんの雑誌『コンプティーク』でも、TRPGが強くプッシュされていて。だから本屋に行けば、それ関係のものが必ずあるっていう状態でした。今振り返ってみると、80年代の末から90年代初頭の数年だけ何かおかしかったっていうぐらい、ファンタジー関連の書籍はすごく充実してましたよね。

qbc:
 なるほどね。で、そんな環境で高校生になって。

永元千尋:
 ひたすら友達とTRPGをやってました。遊ぶゲーム自体は変わっていって、ホビージャパンの『ワースブレイド』とか、他にもSFの『メタルヘッド』もやってたんですけど、比重としては「ゲームを遊ぶ」というより「友達と集まって遊ぶ」の方が大きかったかな。
 でも、TRPGに熱中していた時代は強制的にブツッと断ち切られてしまうんです。田舎の子供なんで、高校を卒業すると就職や進学で外へ出て散りぢりになってしまうので。気心の知れたメンツが盆暮れ正月くらいしか集まらない。キャンペーンの張りようもなかった。
 ただ、これがある種の肥やしになった面があって。これまた別ルートの話なんですけど、僕は高校2年くらいの頃から小説を書き始めていて、作家になりたいと思ってたので。友達にウケそうなゲームのシナリオを考えたり、マスタリングで即興的に話を作ったりする経験が、少なからず助けになっただろうなと。

qbc:
 そのころ書いていた小説は、ファンタジーではなかったんですか。

永元千尋:
 SFでした。はるか遠い未来に、遺伝子改造された巨人に精神接続して戦う主人公と、実験動物みたいに扱われているヒロインとのボーイミーツガール、みたいなやつ。後になって『新世紀エヴァンゲリオン』が出てきて「これ駄目だ!」ってなるんですけど(笑)発想だけは似てたのかな、そういう意味ではいいとこを突いてたのかも。
 ただこの作品、今にして思うと、SFのわりにはビームライフルとかそんなのは出てこなくて。戦いを決する要素は最終的に剣と剣の殴り合いだったりするので、そういうところにファンタジーが好きっていう気持ちが出てたんでしょうね。

qbc:
 高校卒業後は?

永元千尋:
 うちの親父はいい意味でも悪い意味でも面白い人で(笑)普通は子供が「作家になりたい」とか言い出したら「そういう安定しない職業やめなさい」って言うじゃないですか。うちでは「そうか頑張れ! ますます頑張れ!」みたいにしか言われなくて。
 なので、まずは東京に出て、働きながら小説を書いて、出版社に持ち込みとかできればいいなと。当時はそれぐらいしか作家になる道っていうのが思いつかなかったので。親父に頼んであちこちコネやらツテやら辿ってもらったんですが、まあこれが決まらなくて。
 ちょうどその頃、バブルの崩壊と就職氷河期が直撃したんですよ。どうにもならなかった。で、なんだだかんだで、北海道に行くことになる。

qbc:
 なんでまた、南の四国から北の果て?

永元千尋:
 作家になるなら社会勉強を積んだほうがいいなと。自分の常識が通用しないくらい、とにかく遠いところに行ってみるか、みたいなノリです。今考えると異世界へ飛ばされたようなものですよね。
 で、札幌の、ススキノの飲食店に氷を卸す仕事をしてて。2年もたなかったです。あまりにも環境が違いすぎて。初めての一人暮らしで知り合いも友達も全くいないっていう状態で。まだ半分ぐらい子供の気分が抜けないままだったし、まあ耐えられなかった。完全に精神的に参ってしまって。
 それで、一度は四国に戻って。22、3歳までかな、親の仕事を……自営業のうどん屋を手伝ってました。

qbc:
 作家を目指して、小説を書きながら。

永元千尋:
 そうですね。手はずっと動かしてたんですけど……ただ、作品らしい作品を書き上げることはなかったです。口で言うだけの作家志望でした。今の自分とは違う何者かになりたいんだけど、どうやったらその何者になれるのかわからない。そういうありがちな時期を何年か過ごして。
 なので、親の家業を継ぐかっていう話が出てくるんですけど、どうもしっくりこなくて。自分の家と店舗を毎日往復するだけの日々にすごい疑問があって。今にして思えばもったいないことしたなと本当に思うんですけど(笑)
 最終的には「いい加減ちゃんとしろ」って怒られまして。半ば無理矢理というか、嫌々というか……。

qbc:
 家業のうどん屋さんを継ぐことになる。

永元千尋:
 ただ、まんま継ぐという感じじゃなかった。うちの親父の事業計画によると、当時はうどん屋の2階に宴会場があって、これを潰して中華料理とかラーメンを出す店を作るつもりだったようで。これをお前がやるんだ、そのためにまずは修行に行けと言われて。子供の頃からよく知ってた中華屋さんの大将のところに修行をしに行くことになりまして。
 ここで、まあ、普通に料理のことを教えてくれるんだろうと思ってたら、まず最初に習ったのは、店の経営のことだったんですよ。

qbc:
 すごい、しっかりしてる。

永元千尋:
 自営業として店を回していくっていうのはどういうことか。水道光熱費とか固定費とかがこれくらいかかるから、原価率いくらのラーメンを最低何杯売らないと立ちゆかなくなる。まずここを考えられるようになってくれ、っていうところから入っていった。けっこうな衝撃でした。知らない世界を突然見せられたような感じで。
 で、そんな勉強したもんだから、家に帰って親父に聞くわけですよ。今までずっと自分を育ててくれて誇りにすら思っていた実家のうどん屋、その1杯の原価率とかってどうなってるんだろう、と。

qbc:
 同じ自営業だから、当然そこは把握してるだろうと。

永元千尋:
 ところが親父は「そんなことは知らん」って(笑)
 世代的に、うちの親はもうバブルからイケイケドンドンで来ていて、祖父の財産の一部を取り崩して店立ててっていう感じで。目の前にパチンコ屋さんができてお客様も入ってくるようになってっていう、世情に乗っかってわりと幸運で回ってたんですよね。
 で、ここでちょっと悩ましいことになるんです。田舎にいる限りは親父の言うことを聞かなきゃいけない。家長だし、自分より長く生きてるし。おまけに当時、うちの親父は町会議員までやってて。地域の人たちからも頼りにされたり慕われたりで、僕はその二世、ボンボンでしかなかったわけなので。
 でも、僕がこのまま中華屋の大将の下で修行をすると……まあ、僕が今たたき込まれてることの方が明らかに正しい。遠からず店の方針を巡って親父とぶつかることになるんです。親父と喧嘩をしてねじ伏せてまで店の主導権を争わなきゃいけない。そんなことをしたらうちの家族が壊れるだけなんですよ。

qbc:
 あるいは、親父さんの下で我慢して、代替わりを待つか。

永元千尋:
 当時は親父もまだ若かったし、全然元気だったので、はるか未来の話になっちゃう。たとえ商売としては正しくなくても、親父の差配でとりあえず回ってるんだったらそっちでやってくれればいい。でも、僕がその下で「これは違う、おかしい」って思いながら何十年も我慢し続けるのは絶対嫌だった。
 で、中華屋の大将に相談してみようかと思いながら、二回目だか三回目だかのレクチャーを受けに行くんですけど、そこで大将に言われたんです。料理っていうのは奥が深いものだから、人生を全てこれに打ち込むぐらいのつもりでやってみてくれ、って。

qbc:
 中華の大将、ますますしっかりしてる。

永元千尋:
 でも、こっちはそんなしっかりした覚悟をしてきてないわけですよ。とりあえず家業でも継ぐか、親父がやれっていうからラーメン作るか、みたいな感じでしたからね。
 それに、自分が人生を賭けて打ち込んでみたいと思ったことは、もうすでにあったんです。つまり小説とか物語を書くことですけど、俺はこれをまだ全然やりきってない。必死になってない。
 で、親父に頭を下げまして。後を継ぐっていう話、1年だけ待ってくれと。最後の悪あがきをさせてくれと。

qbc:
 うわあ、めっちゃモメそう。

永元千尋:
 そうでもなかったです。うちの親が有り難かったのは、終始一貫して、子供が本気でやりたいって言ったことを駄目だって言わなかったことで。けっこうな予算を投下してうどん屋の二階の改装も始まってたのに、やらせてくれたんですよ、1年だけ。

qbc:
 なんと。

永元千尋:
 で、1年限定でチャレンジが始まるんですけど、もう普通に小説書いて新人賞に応募してっていう悠長なルートを取っている場合じゃないんですね。これは時間がいくらあっても足りないので。だから、とにかく何でもいいから、自分の書いた文章がお金になるルートっていうのがないだろうかと。そう思って必死に探して。
 当時、ちょうどWindows 95とかが出てきて、インターネットが家庭に入り始めた頃だったんです。パソコンゲームとかに手を出して……いや、もうちょっと具体的には、いわゆるエロゲに手を出して。若い頃でいろいろ持て余してたんで(笑)

qbc:
 ある意味では健全(笑)

永元千尋:
 その頃、エロゲがオタク界隈の一番太い所に刺さってたんですよ。当時をご存知の方じゃないと伝わらないところかもしれないんですけど、今一番アツいのはエロゲ業界だ、みたいな状態になってて。Leafが『雫』や『痕』や『Toheart』を出したぐらいの頃だったから。

qbc:
 特異点みたいな時代でしたね。今で言うソシャゲのカルチャーなんかも、この頃のエロゲがおそらく基盤にはなってる。

永元千尋:
 で、業界全体が活況だったから、物語を書ける人、文章が書ける人がとにかく欲しいっていう時期で。こっちの方で何か縁がないかなって、あちこちに履歴書を送ってみて。引っかかったのがアリスソフト。開発部長に「なんか書いてみてよ」って言われて、書いてみたら、書けちゃった。エロいものをちゃんと書くのは初めてだったんですけど。

qbc:
 才能というか、たまたま適性があった。

永元千尋:
 しかも、それが割と好評だったらしくて。すぐに「次を書こうか」って話になったんですけど、まだ田舎にいたのですぐには形にならなくて。また継ぐか継がないか問題が再燃しかけたんで、大阪の本社に行っていいですかって訊いてみたら「今ちょうどライターいないから来ていいよ」って。
 ここのところから、ゲームクリエイターというか、シナリオライターとしてのキャリアが始まるという感じになります。

qbc:
 本来なりたかった作家という夢からは、ちょっと外れてはいるけれど。

永元千尋:
 そうですね、でも物語を作って文章を書いて、という意味では変わりがないので。ズレてるとしても半身ぐらいです。のちのち自著も一冊、上梓できたし。大手出版社の某ライトノベルレーベルに関係したりとかも。ただ、それだけで食えるほどにはうまく回りませんでしたけど。

未来:究極的には、やっぱもう自己満足しかないだろうなと。おれはこれを書いたぞ、ベストは尽くしたぞ、っていうのはちゃんと置いていきたいなと。

qbc:
 最後は未来について聞かせていただきたいんですけど……5年先、10年先、あとどれぐらい残りの人生があるかも分からないですけども、最期の最期、自分が死ぬっていうところまでイメージした上で、どんな未来を思い描いてらっしゃいますか。

永元千尋:
 現状ですね、シリアスに考えると、かなり詰んでるところがあって。

qbc:
 おだやかでない!

永元千尋:
 若い頃に美少女ゲームの企画・ライター職になって、まあそこそこ頑張って、自分が企画立てたやつがアニメになったりもして。やるだけやったんですけど、おかげであちこち病んだんですよ。目は片方が老人性の白内障、内臓もやられて血液検査や健康診断の数値もおかしいし、メンタルも病みました。もう昔ほどにはバリバリ働けない。
 一方、ゲーム業界って若くてやる気のある人たちが次から次に入ってくる。それらとの競争も簡単なことではない。ゲーム屋さんとしての自分はひしひしと限界を感じてるんです。
 実際、5年くらい前ですかね、足を抜いてみようかなと思って別の仕事もしたんだけれども、手に職がついて独り立ちできるようになる前にたまたまここの会社が倒れちゃった。
 仕方がないんでフリーランスの文筆業に戻ってきたんですけどね。自分にできることってこれしかないんで、ほぼ「しゃーなし」です。実情は赤貧の文字通りというか、カミさんの実家の農家から野菜を分けてもらいながらギリギリ生きてるみたいな状態なんですよ。

qbc:
 なるほど、未来のイメージもへったくれもない。

永元千尋:
 結局、こういうゲーム業界とか、ライター業とか、ある意味では虚業ですからね。値段のないものに値段をつけてナンボみたいなところがあるから、一発ドカンとヒットさせない限りは食べていけない世界なので。
 今、開発をお手伝いさせてもらってるウィザードリィの仕事は、もう子供の頃からの夢ではあったけど、これを好きな人たちっていうのはやっぱコアな人たちです。開発側はどうしても少数精鋭で「あの頃にあの青春を過ごした人たちに」っていう感じでピンポイントで狙っていく感じになりますから。

qbc:
 ゲームクリエイター、シナリオライターという意味では、先の未来はほぼ描けない。

永元千尋:
 そもそも、シナリオライターっていう職分がほぼ派遣になってきてますからね。そっちの方でも年齢やら何やらで新しい仕事は決まらなくなってきてるし。
 この状態で未来のこととか考え始めると、夜も眠れないぐらいには不安というか、不透明さしかないですよ。その中で何を求めていこうかって言ったら……やっぱもう自己満足しかないだろうなと。「未来とかどうでもいい、今ここ!」ってくらい没頭できることをやるしかないなと、究極的には思ってて。
 で、これが、ド頭で言った「ファンタジー小説」の話にまた戻ってくるんです。

qbc:
 おお、見事なテーマの回収。

永元千尋:
 商業的、経済的に成功するかどうか、売れるか売れないかはともかくとして、少なくとも「俺はこれを書いたぞ」って胸を張って言える、自分の中でベストは尽くしたぞっていうのは、ちゃんと置いていきたいなという気持ちがあって。そのこと以外は今のところは考えてないですかね。
 それを書き切ってみたら、その作品の力でもしかしたら何かが始まるかもしれないし、あるいは、逆に終わりが見えてくるかもしれない。

qbc:
 では、その話はいったん脇にどけて、自分にとって一番好きなものって何ですか?

永元千尋:
 あんまり脇にどけてないですけど、やっぱり、空想することですかね。でたらめなお話を考えることが子供の頃から一番楽しかったし。
 で、その空想を形にするために、文章を書くという手段がある。客観的にはずっと文章を書いて生きてきているし、実際、文章にまつわる仕事は苦にならないので「書くのが好き」だと言ってもいいんでしょうけど。これって主観的には、好きとか嫌いとかじゃないんですよね。完全に手段として「できる」から「やっている」という感じです。
 そもそも、中学生の頃は漫画家になりたかったんですよ。志向は完全にビジュアル型なので。でも、どうやってもイメージ通りに描けない。特に背景がどうにもならなかった。
 ところが小説は、なんか書いてみたら書けちゃった。高校時代、ほとんどなんの勉強もしてない状態で原稿用紙350枚とかの長編を書き上げて。後になって「エロいの書いて」と言われた時もなんか書けて。どちらも一応読めるものではあったわけで。
 そこそこ人生経験を積んだ後で振り返ってみると、ひとつの世界で頭角を現すような人って必ず天賦の才があるというか、スタート地点が割とおかしいっていうことがよくあって。四国の田舎で終わるはずだった僕がなんやかんや言いながらウィザードリィの仕事までしてるっていうのは割と奇跡だと思うんですけど、客観的に見たら何かしら天賦のものはあったんだろうなと。そのおかげで今も何とかやれている感じはあります。
 それなりに苦しい思いも嫌な思いもしてきたので、無邪気に楽しいとか好きだっていう感じは正直無いんですけど。でも、トータルで見ると「書くのが好き」だよね、という言い方になってしまうのかも。

qbc:
 お話を聞いていると、特に20代でいくつも転換点があったと思うんですけど。もし今と違う未来があったとしたら、20代のどこをいじりたいですか?

永元千尋:
 20代……20代のどこを……? そうですね、強いて言うなら、北海道から帰ってきた後、アリスさんとこに行くまでの3年間かな。

qbc:
 まだ何者でもなくて、四国の田舎でくすぶってたころ。

永元千尋:
 僕は自分の人生に一切後悔はしてないので、もう一度同じ人生をやり直しても多分同じ選択をすると思ってるんですよ。ただ、こういう未来が来ると前もって分かっていたらやらなかったであろうことがいくつかある。
 例えば、自分の作品をどうにか世に届けるためにプロになろうとしたわけですけど、10年も粘ればインターネットで田舎から直で作品を発信できるようになるじゃないですか。当時はそんなこと思いもしなかった。つまり大阪に行かなくてもよくなってくる。

qbc:
 書いたことのなかったエロ小説を書くっていう選択肢も消える。

永元千尋:
 ただ、これってつまりゲーム業界に行かないということで、プロの制作現場を知らない、という話になるんです。音楽さんとか絵描きさんとか一流の人らに囲まれながら仕事をするっていう経験まで消えてしまう。それは僕にとってクリエイターとしての自死に等しいんですけど、ただ、自分が本来やりたかったことに対して迂回してる、というのは事実なので。
 そう思うと、うだうだしてたあの3年間をどう立ち回れば、もっとうまくいったかなと。

qbc:
 そこに、ある種の後悔がある?

永元千尋:
 実は、僕が大阪に行ったことで、最終的に親は事業に見切りをつけて、実家も引き払って北海道に行くことになったんです。「四国でできることはやり尽くした」みたいになったらしくて。議員までやったせいか「人間の嫌なところを見過ぎた」とか何とか。今も北海道にいて、貧乏暮らしをしながらそれでも結構楽しそうにやってるんですけども。
 でも僕の中では、祖父が守っていた土地や田んぼがあって、うちの家や店があった「ふるさと」と呼べるようなもの全てが無くなったってことなんですよ。で、その一因というか、おそらく決定打になってしまったのは、僕が大阪に行くっていう選択をしたこと。子供の頃に自分を育んでくれたもの全てと引き換えに先へ進んだ、ということになっちゃってるわけです。
 だから、もしも戻れるんだとしたら、そこだけですかね。

qbc:
 ふるさとを失わずに済む方法はなかったか、と。

永元千尋:
 いや、でも結局、同じ選択をするような気もします。もしも田舎で粘ってたら、うちのカミさんとも接点なくなっちゃいますから。

qbc:
 最後に、遺言でも読者メッセージでもインタビューの感想でも、何でもいいです。言い残したことがあれば。

永元千尋:
 今度、小説書くんで良かったら見てね! っていうだけですね(笑)
 なんかこんな変なヤツが、自分の人生のシメだ、ぐらいの気持ちで小説を書くらしいんで、興味があったら読んでみてください。多分この夏の間に始まると思います。どこかWeb小説投稿サイトにも投下する気ではいるんですけど、メインはこのnoteでマガジンを作って掲載していくので、フォローしていただければ嬉しいです!

qbc:
 ありがとうございます。

あとがき(編集)

永元千尋さん、ありがとうございました。

僕はまったく世代じゃないので話に出てくるアニメやゲームの大半が分からなくて、ネットで検索しまくってなんとか話についていきました。世代が近いとはいえ、難なく理解できてるqbcさんすごいなあって途中からずっと思ってました。でもこうやって分からない単語を調べまくって新しい世界に触れるのは好きなのでずっと楽しかったです。

今回の永元さんのインタビューは聴いていてすごく胸が熱くなりました。インタビューの終盤にあった「これから書く予定の小説をぜひ見てほしい」という言葉は実はインタビューの前にもおっしゃっていたんですが、そこから受けるそれぞれの印象はまるで別物でした。最初は「へ~、小説書かはるんや~」くらいにしか正直感じていませんでした。でもインタビューを通して永元さんのこれまでの人生とか次の小説に賭けている思いを聴いた後にこの言葉を改めて聞くと、次の小説には本当に並々ならぬ気持ちで臨もうとしてるんだなというのがむちゃくちゃ伝わってきました。

僕は音楽も絵画もてんで駄目なので文化的に何かを世に残すとしたら、同じく「書く」方面になると思ってます。まあ今のところ「これを書くまで死ねない」みたいなテーマは無いんですが、自分が生きた中で感じたものをどうにか形に残したいなという気持ちが今回ちょっぴり芽生えました。その練習の意味も兼ねて、これからも末永くnoteは続けていきたいですね~。

【インタビュー・まえがき:qbc】

【編集・あとがき:ミミハムココロ】

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