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肩書き有野優樹の人

むかしむかし、ある村に有野優樹(ありのひろき)という若者がおりました。優樹は生まれたときから、不思議な力を持っていました。誰かと出会うたびに、その人にぴったりの「肩書き」が見えるのです。
村人たちは優樹のことを「肩書き有野」と呼び、彼の力を不思議がっていました。
ある日、村長が優樹を呼び出しました。「優樹よ、お前の力を村のために使ってくれないか」
優樹は喜んで引き受けました。そして村中を歩き回り、人々の肩書きを見つけては教えて回りました。
「おばあさん、あなたは『癒しの手の持ち主』です」
「おじいさん、あなたは『知恵の泉』です」
「若者よ、君は『未来を創る者』だ」
最初、村人たちは半信半疑でした。しかし、優樹に教えられた肩書きを意識して生活してみると、不思議なことが起こり始めました。
「癒しの手の持ち主」のおばあさんの手当てで、病人が次々と治っていきました。「知恵の泉」のおじいさんの助言で、村の問題が解決していきました。「未来を創る者」の若者たちは、新しいアイデアを次々と生み出し、村を発展させていきました。
やがて、優樹の評判は村を越えて広まり、遠方からも人々が訪れるようになりました。「私の肩書きを教えてください」と。
ある日、一人の旅人が優樹のもとを訪れました。優樹がその人の肩書きを見ようとすると、驚いたことに何も見えませんでした。
旅人は優樹にこう言いました。「あなたは人々に素晴らしい贈り物をしています。でも、本当の肩書きは、他人が決めるものではありません。それは自分で見つけ、作り上げていくものなのです」
その言葉を聞いた優樹は、はっとしました。自分はずっと他人の肩書きばかり見ていて、自分自身の肩書きを考えたことがなかったのです。
それからというもの、優樹は人々に肩書きを教えるだけでなく、「自分で肩書きを見つける方法」も教えるようになりました。
「あなたの心の中にある情熱、それがあなたの本当の肩書きです」と、優樹は語りかけました。
やがて村は、「自分の価値を知る村」として知られるようになり、多くの人が訪れては自分自身を見つめ直していきました。
優樹は後にこう語ったそうです。「肩書きは、他人が与えるものでも、生まれながらに決まっているものでもない。それは、自分の人生を通じて作り上げていくもの。そして、それは変わっていっても良いのだ」と。
そして「自分の肩書きは自分で見つける」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月14日19時00分に書く無名人インタビュー895回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 有野優樹(ありのひろき) さんです!

年齢:20代後半
性別:男
職業:ナレーター

現在:遊園地で言うところの従業員の気持ちを知りたいなと思ったんですよ。中を知りたくなったというか


toki:
今、何をしていらっしゃる方ですか。

有野優樹 :
ナレーションを中心に声のお仕事の活動をしていて、怪談語りであったり、イベントのMCであったり、あとはラジオのパーソナリティであったり、そういった活動をしております。

toki:
2年前、もうその声のお仕事をやられているっていうふうにおっしゃってたと思うんですけど、お仕事の内容的には変化があったりとか広がりが生まれたりとかはされたんでしょうか?

有野優樹 :
そうですね。怪談関係のお仕事は増えたかなと思いますね。
テレビや配信でお話させてもらったり、自分でイベントを主催して怪談イベントをやったり、ゲストで呼んでいただいたりっていうのが増えたので、二、三年前ぐらいに比べるとすごく増えて自分でもびっくりしてますね。

toki:
そうなんですね。最近のお仕事の調子としてはいかがですかね。

有野優樹 :
本業はナレーターなんですけど、語りや朗読含め、怪談イベントの方が増えてきてるので自分は一体何屋さんなんだ?って思ってます。

toki:
前回インタビューの未来のパートで、みうらじゅんさんみたいな何をしてるかよくわからない人になりたいっていうふうにおっしゃってたなって、今お話聞いて、ちょっと思い出しました。

有野優樹 :
言ってましたね。今でもその気持ちは変わってないんです。

toki:
そうなんですね。
最近の1日の過ごし方といいますか、流れとか、毎日こういうことをしているみたいなものがあればお伺いしたいなと思うんですが、いかがでしょう。

有野優樹 :
本当に今の話で言うと、7月の30日から9月の2日まで、東京の青ヶ島というところに来てて、今もいるんですが、民宿のお手伝いであったり、島の恒例行事や、お祭り、配達のお手伝いをしながら島の暮らしをしているっていう感じですね。

toki:
応募いただいたときに、有野さんのnoteを拝見して、「青ヶ島!?」と驚いたんですけど、この青ヶ島に行くことになったきっかけはどういったものだったんでしょうか?

有野優樹 :
元々リゾートバイトに興味があったんですよ。
いろいろ調べてるうちに、そこいいな、ここいいな、なんて思ってたんですけど条件があわないな、なんて思ってたんですね。で、ある日Twitterを見ていたら知り合いのライターさんが青ヶ島に行ったっていう記事を書いてたんですよね。そこで青ヶ島っていう存在を知ったんです。

青ヶ島ってどういうところなんだろうなと思って調べてたら、青ヶ島チャンネルさんというYouTubeがあるんですが、それを見たりとか、取材記事を読んだりとか、自分で調べてみたりとかして。
青ヶ島って、絶海の孤島って呼ばれてるんですよ。それはアクセスの難しさからそういうふうに言われてるんですけど、なかなか行くことができないっていうふうに言ってて、「なかなか行くことができないんだったら、行ってみたいな」っていうあまのじゃく精神といいますか。それで興味を持ったところが最初だったんです。

行ってみたいなと思って、Twitterだったかで
「青ヶ島というところにすごく今興味があるんです。でも、ツテとか繋がりもないし行くのはな……」なんてことを言ってたら、エゴサかなんかしてたんですかね。青ヶ島関係の方が、『もし青ヶ島に興味があるんだったらいろいろお話できることがあると思いますけど、どうですか?』っていうふうに声をかけてくださって。
ぜひお願いしますっていうふうに言ったら、関係者の方に繋いでいただいて、「青ヶ島で働きながら1ヶ月体験移住として、行くことって可能ですかね?」なんてお話をさせていただいたら、『ちょっとこっちもそういう長期滞在で誰かを招くってことをしたことがないので探り探りになってしまうと思うんですけど、それでももしよかったら』っていうことで、話が進んで今来させていただいてるっていう感じなんですよ。

toki:
へえ、なるほど。リゾートバイトに興味がおありだった。けれど、最終的には経路は、リゾートバイトからではなく、有野さんのツイッターのご発言からどんどん広がっていったっていうような形なんですね。

有野優樹 :
そうですね。

toki:
そもそもリゾートバイトに興味があったっていうのは、どうしてだったんですか?

有野優樹 :
関東を中心に声のお仕事をしているのですが、逆に言えば関東以外、あんまり行ったことがないんです。
北海道とか京都とかその辺は行ったことがあるんですけど、例えば大阪とか、九州とか、それこそ八丈島みたいな島だったり、そういうところには行ったことがなかったっていうのがあって、人生経験として行ってみたいなっていうのがあったんです。

仕事が増えてきて、関東に仕事の活動範囲を制限しなくてもいいよなと思うようになって。声の仕事の先輩でいろいろ海外を回りながら活動されてる方がいるんですが、その人は自宅収録、所謂宅録というものをやりながら海外を回られてるので、「あ、そうか。一つの場所にとどまらなくても宅録という方法を使えば、いろんなところから声のお仕事ができるんだったら、そういう方法でやってみたいな」と思ったんですよ。

話は戻りますが、そこからリゾートバイトに興味を持ちまして。旅行が好きでよく行くんですけど、旅行に行ったときに少し不思議だったのが、旅行に行ったら当たり前ですけど自分は観光者になるわけじゃないですか。
てなったときに、例えばお土産屋さんだったり、宿の方だったり、向こうの方からすると、旅行とか観光ではなくて地元な訳になるわけですよね。
「迎える側の方ってどういう気持ちなんだろう」「観光地が地元ってどういうことなんだろうっていう」
夢のない言い方をしてしまいますけど、遊園地で言うところの従業員の気持ちを知りたいなと思ったんですよ。中を知りたくなったというか

toki:
旅行ではなくて、その場で働くことによって、その地元の人の視点を知る、みたいなところに興味を持たれたんですかね。

有野優樹 :
そうですね。その現地での暮らしだったり仕事ぶりっていうのを知ってみたいなっていうのが根本にはあったんですけど、そのときはまだ上手く言語化できてなかったので、この感情って一体何なんだろうと思いながら現在に至る感じですね。

toki:
なるほど、そうなんですね。9月2日までってことはもうあと2日で帰られるんですね。

有野優樹 :
そうですね。結構ギリギリなんですが。

toki:
どうでしたか、この1ヶ月の生活は。

有野優樹 :
僕、埼玉が地元なんですけど、海もなければ、自然も少ない地域だったので、青ヶ島に来てからはもう、海が見えるし、緑はあるし、夕日は見えるし、こんな経験ないなって。港に連れて行っていただいて釣れたてのお魚を食べさせていただいたりとか、郷土料理の島寿司を食べさせて頂いたり、島唯一の商店があるんですけど、そこでお買い物をしたりとか新鮮なことばかりで楽しいです。

道を歩いてるときに少し不思議だったのが、土がズボンの裾にあまりまとわりつかないようなサラサラしたような土だな、なんてうっすら思ってたんです。
で、それを商店の旦那さんにお伺いしたところ、『青ヶ島の土は火山灰だからサラサラしてる土だから、あんまりまとわりつくような土じゃないんだよね』なんて言われて。

日本語は通じるんですけど、まるで外国のような、それぐらいの360‥180度か、360だと戻っちゃいますからね。(笑)
180度違う暮らしを体験してて、すごい刺激になってますし、言葉だったりイントネーションや言葉の違い、価値観の違いがたくさんあるので新鮮でめちゃくちゃ楽しいですね。

toki:
青ヶ島で暮らしていて特に印象に残ったこととかってありますか。いいことでも悪いことでも構わないんですけれども。

有野優樹 :
基本民宿のお手伝いをさせていただいてるので、いろんお客さんと接するんです。観光の方やユーチューバーさん、、タレントさんだったりとか。もちろん島の方とも。島の方のおうちにお邪魔してご飯をご馳走になりながら、そういう方々のお仕事、これからの話だったり、今の話だったり。隣同士になった初めましての人と都内では「あ、どうも」なんて喋ること早々ないじゃないですか。

toki:
そうですね。

有野優樹 :
いきなり喋りかけたらなんでこいつみたいになっちゃったりするんで。僕基本人見知りではあるんですけど、いい意味で人見知りのないというか、みんなラフに喋れる。そこが内地とは違うような感覚だなと思って、いろんな人と喋れるっていう楽しさはありますね。

toki:
明後日には帰られるご予定だと思うんですが、帰りを目前にした今の感情というか、気持ちって、どんな感じですか。

有野優樹 :
自分でもね、どういう気持ちになるんだろうと思ってたんですけど今になって思うのは、やっぱりね、寂しい。
普段お世話になった方や、商店の方、島唯一の居酒屋さんと会えなくなる。先日居酒屋でご飯をご馳走になったんですけど、「あ、そうか。しばらくこの人たちとお話できなくなるんだ」と思い、なんていうか学校を卒業したような寂しさになったんです。連絡取ろうと思えば取れるんだろうけど、「しばらく会えなくなるんだ」っていう。いつもできてたことができなくなっちゃうんだなっていう寂しさがね。

toki:
元々この島に来たばかりのときはどういう感情だったんですかね。

有野優樹 :
正直めちゃくちゃ怖かったです。

toki:
怖かった。

有野優樹 :
僕は外から来た人間なわけじゃないですか。
だから「お店の人と馴染めるかな」とか、「お仕事お手伝いさせていただくときにちゃんとできるかな」とか、その「島の人たちがしてほしいことができるかな」とか。
ちょっと年配の方とかになると、人見知りっていうわけではないと思うんですけど、僕が「こんにちは」って喋りかけても、『あ‥』くらいのサラッとした感じで、「喋りかけない方がよかったかな‥」とか、そういうことを感じたりしてたので。ここで本当に1ヶ月やっていけるんだろうかっていう不安、怖さがありましたね。

toki:
そうですよね。

有野優樹 :
でも、すごく皆さん温かい方が多くて、僕がこういう喋りの仕事をやってるんですっていうお話をしたら、『やっぱり声いいもんね』とか『喋りうまいもんね』なんて言ってくださって、温かく受け入れてくださってる感じがしました。「僕ってこういう人間なんですよ、怪しくないですよ」っていうのを出していって、どんどんコミュニケーションをしていこうっていうのは思いました。

toki:
すごい刺激と変化の多い1ヶ月だったんだろうなと、今ちょっとお話をお伺いしただけでも感じました。

有野優樹 :
ありがとうございます、こちらこそです。

toki:
現在パートの最後にお聞きしたいんですけど、今回は2回目のインタビューですよね。今回また無名人インタビューに応募してくださったのって、何か理由とかはあったんですかね。

有野優樹 :
前回インタビューを受けさせていただいてからだいぶ月日も経ちましたし、仕事の種類もだんだん変わってきたので、また無名人インタビューさんを通して、有野っていう人間はこういう仕事をしているんだよみたいな、そんなことを伝えられたらいいなと思ってまた改めて応募させていただきました。

過去:シンプルに有野優樹っていう名前を知ってもらえるようになったからかなっていうのは感じてますね。

toki:
前回のインタビューからどんなことがあったのか、過去についてもお伺いしていきたいなと思います。
まず、この2年間を振り返ってみて、どんな2年間だったなっていうふうに思われますか。

有野優樹 :
ナレーション収録は掛け合いとかが無いので、1人でやることが多かったんです。OKだったらはいお疲れ様でしたで終わりますが、今は怪談イベントやイベントのMC。お客さんの前でとか誰かと一緒に喋るっていう場が増えましたね。僕すごくあがり症なので、お客様の前に立つと「どうしようえっとあのあの」みたいになっちゃうタイプなんですよ。なんですけど、場数を踏ませていただく中で、慣れてきて落ち着いて話せるようになって、『応援してます』とか、『またライブ行きたいです』なんていう声を直接いただけることが増えた2年でした。

toki:
前回インタビューに参加いただいたのが2022年8月だったのですが、前回インタビューを受けてから、まず最初に起きた変化といいますか、印象に残っている出来事とか、こんなことがあったっていうものがあればお伺いしてもよろしいですか。

有野優樹 :
この無名人インタビューさんってnoteで公開されてるじゃないですか。僕、一昨年から去年にかけてかな、noteの毎日更新っていうのをやったんですよ。
本当に365日。でも更新しきったので一旦休んで。でまた今再開してるんですけど、毎日文章を投稿して、自分の気持ちを言語化するっていうのが、難しくもあり楽しくもあり、悩みもあり、ストレスにもなり、成長にもなりっていうのがあって。そこが一番大きかったかな。noteは自分の中で一番影響になった存在だったので、喋り以外の方法で自分の気持ちを言語化する、文章で言語化するっていうところに関しては、ここの一年一番大きかった出来事かなっていうのは思ってますね。

toki:
なるほど、喋り以外で自分の気持ちを言語化するっていうのをそもそもやろうと思ったのはどうしてだったんですか。

有野優樹 :
2年前ぐらいに、あの流行病になったんですよ
そのときに喋れなくなって、わあどうしよう、本当に極端な話ではあるんですけど、「どうしよう、このまんま僕、一生喋れなくなったらもう仕事できないな」って思っちゃったんです。っていうときに、「喋り以外に自分の言葉を言語化しなくちゃいけない、でもその方法ってなんだろ、うぅん」と思ったときに、あ、文字だと思ったんです。
それで、文章で言語化する能力、文章を書くのが上手くなりたいなと思ったのがそもそものきっかけだったんです。
最初はとにかく何でもいいから、まずはとりあえず書いてみようっていうところからスタートして、noteのメンバーシップをやったり、有料記事を書いたり。自分の文章を面白いな、喋り以外でも自分の言葉を面白いって言ってくれる人が現れたなと思ったときに、自分で思うほど、悲観しなくていいのかなと思って。そこから文章もっと力入れて頑張ろうと思ったんです。

toki:
「自分で思うほど悲観しなくてもいい」っていう、その「悲観」は何についての「悲観」ですか?

有野優樹 :
ネガティブもネガティブなんですが、自分の書いた文章なんて誰も読まないだろう、誰も読みたくないだろうと思ってたんです。だからといってそれが書かない言い訳にはならないなと。誰からも何もいわれてないんだから。頼まれても無いのに、自分の文章なんて読まれるわけないよっていう悲観です。

toki:
ほうほう。別に誰からも頼まれているわけではないけれども、毎日続けることができたのってどうしてだったんですかね

有野優樹 :
シンプルにやることがなかったからです(笑)。時間があった。だから毎日書けたっていうだけです。

toki:
良い影響も与えてくれたし、でもその一方で悩むこともあったっていうお話だったと思うんですけど、具体的には毎日更新をしながら、どんな部分に特に悩まれましたか。

有野優樹 :
抱えている感情、気持ちをどの言葉をチョイスしたら、一番言いたいことを表現できるかっていう、言葉のレパートリーのなさっていう悩みかな。そこが一番大きい。書きはじめるとき、ある程度言葉は知っているだろうっていう、奢りがあったんですよ。
実際自分が文章という形で言葉を書こうと思ったときに、筆ならぬ指が動かなくて。あぁ、自分ってこんなに言葉知らないんだっていう、一回絶望をして(笑)
いろんな人の記事を読んだり、SNSを見たり、本を読んだり、媒体は何でもいいんで文章に触れようと。そこでだんだん言葉を獲得していって、これが今の自分のことを表現できる言葉なんだっていうのをやりながら獲得してたので、言葉の自転車操業みたいなところはありましたね。

toki:
そうやって、その喋り以外でその文字で自分のことを伝えていくっていうことやったことによって、声のお仕事の方には何か影響はあったりはされましたか。

有野優樹 :
僕がこう読みたいじゃなくて、制作側、ディレクターさん側がどういうふうに読んでほしいんだろうっていうのを汲み取るようになりましたね。我々ナレーター、声優とかの喋り手って、僕がこうやりたいんだ私がこうやりたいんだっていうのも大事だとは思うんですけど、ディレクターさん側、頼む側がこう読んでほしい、こういう声を出して欲しいっていうイメージがあると思うので、そこに近づけながら察するようなれたっていうのは大きな変化かなっていうのは思いますね。

toki:
それは文章を書くときに、そういったことを意識されていたからっていうことなんですかね。

有野優樹 :
そうですね。自分で文章を書くようになって、書き手の人はここが一番伝えたいとこなんだなって意識するようになって。「そっか、原稿読むときに僕はこう読みたいばっかだったけど、製作側、ディレクターさん側は一番伝えてほしいとこだったな。だからあんまり仕事が決まらなかったんだ。もっと早くそういうのをさせる能力をつければよかった。それがいわゆるうまい読み方なんだな」っていうのに気づいて。気づけたのはよかったんですけど、気づくのが遅かったなって思ったり。

toki:
文章を書くことが、声の仕事にもそういうふうに影響していくんだっていうのが、すごい面白いですね。
noteの毎日更新をしていたのが結構大きな影響だったっていうふうにおっしゃったんですけど、2022年から始めて、今まで続けていらっしゃるんですかね。

有野優樹 :
1回365日1年間投稿したときに、一旦お休みしたんですよ、1ヶ月ぐらいちょっとお休みして。でまた再開し始めたときに青ヶ島に来たので、青ヶ島に来てからはまた毎日更新してるっていう感じです。

toki:
そうなんですね。
この2年間の間で、noteの他に、過去について何か印象に残っていることとか、こんなことがあったっていうことがもしあれば、お伺いしたいなと思うんですがいかがでしょう?

有野優樹 :
有料記事をいっぱい買ってもらえるようになりました。

toki:
その変化って、どうして生まれたんですかね。

有野優樹 :
シンプルに有野優樹っていう名前を知ってもらえるようになったからかなっていうのは感じてますね。

toki:
有野さんが書いてる記事だから読んでみようかな、っていうような。

有野優樹 :
そうですね。今まで書いてた有料記事って、役に立ちそうだからっていう感じで買ってもらえることが多かったんですけど、1年ぐらいになってから、内容というよりかは有野が書いてる記事だから読んでみようとか、あとは応援、ぶっちゃけ内容には興味ないけど。頑張ってって意味で、有料記事買いましたっていう声とかを聞くようになって。「そっか、僕だからっていう理由で選んでくれるようになったんだ、そういう人が現れるようになったんだな」っていうのが大きかったですね。

toki:
それってかなり大きな変化ですよね……! その状態に辿り着くまでって、一筋縄ではいかないなと思うのですが。有野さんが書いているから買おうという人が増えたということについては、どうのように思われますか。

有野優樹 :
シンプルにすごく嬉しい!一つのコンプレックスとして自分ってあんまり応援されない人間だなっていうのがあったんですね。でも例えば‥そうだな、これを見ました、怪談ライブ聞きに行きましたっていう声が増えてきて。それまでは自分の文章や喋りの価値がないのかなと、落ち込む時期が多かったですけど、わざわざお金払ってまで自分の文章を読んでくれる。それも内容がどうこうというよりかは、あなたが書いたからっていうので読んでもらえるって、感慨深いものがあるっていうか、自分の文章にお金を払ってもいいと思う人が現れたっていうことは、応援してもらえてるっていうこと、自分って応援される人間なのかなってちょっとでも思っていいのかなっていうのは思い始めました。

toki:
有野さんという一人の人として認知される状態を作ることができたっていうのは、何がそこに繋がっているんだと思いますか。

有野優樹 :
去年、『怪談のシーハナ聞かせてよ』っていう怪談番組に出させていただいたことと、チラズアートさんが作られている『新幹線0号』っていうゲームがあるんですけど、それに声の出演をさせていただいたからですかね。
シーハナ見ましたよとか、新幹線0号やりましたっていう声があってから、怪談好きやゲーム好きの人にぼくがナレーター、怪談を喋る人って知ってもらえました。

toki:
この2年間で着々と活躍の場を広げていらっしゃいますね……!

有野優樹 :
ありがとうございます。しぶとく頑張っています。

toki:
この2年間振り返って、有野さんとしてこれは大きかったなっていう出来事とか、これは話しておきたいなっていうものがあれば、ぜひお聞きしたいんですけれども、いかがでしょうか?

有野優樹 :
無名人インタビューさんだからとか、tokiさんだからっていうわけではなくて。tokiさんに前回のインタビューもしていただいたじゃないですか。そのときにすごく嬉しかったことがあって。このインタビュー、文章媒体で出るわけじゃないですか。

toki:
そうですね。

有野優樹 :
インタビュー後にtokiさんに、今回文章にするのがもったいないです、要は声が素敵ですねっていうことを言っていただいたことが僕すごく印象に残ってて。何度か取材だったりインタビューをしていただいたことがあったんですけど、こういう評価、感想をいただいたことが初めてで嬉しかったんです。2年ぐらい経った今でも昨日のことのように思い出せるぐらい。2年の間で、現場とか友人から含めて一番嬉しかった言葉ですね。

toki:
そうだったんですね……!
私もそのあとがきを書いたことはすごく覚えています。

有野優樹 :
声のお仕事をやるにあたって、こういうふうに言ってくださった方がいたんなら、もうちょっと頑張ってみようかなとか思えました。落ち込んだりとか、もう僕この仕事終わりかななんて思って卑屈になってしまうときがあったんですが自分を鼓舞するような言葉にもなったので、すごく印象に残ってた出来事です

toki:
ありがとうございます。

有野優樹 :
こちらこそです。

toki:
質問に戻るのですが、有料記事を買ってもらえることが多くなったとか、結構前向きな話もお伺いしたんですけれども、一方で悩みを感じることもあったというお話でしたよね。
どういったときに、そういう不安とかを感じられることが多かったのでしょう。

有野優樹 :
養成所や専門学校の同期が活躍してるっていう情報が入ってくると、同じ教室で一緒の先生に習ってたはずなのに、なんでこんなに差が出てしまうんだろうかと比べて落ち込むっていうことは結構ありましたね。

toki:
なるほど。

有野優樹 :
逆に、ていうか、あの、お伺いしてみたいことがちょっと一点あって。tokiさんから見た僕の印象。人柄でもいいですし、note読んでみての何となくの解釈でもいいですし、今シンプルに声を聞いてでの印象でもいいですし、何か有野ってこんな人間なんじゃないのかなとかこういう印象を抱きましたみたいなことあったりしますか。

toki:
そうですね……。良い意味で「変わっていない」、っていうとすごい失礼にあたるかもしれないんですけど。でも、根本の部分は変わっていらっしゃらないのかなっていうふうに感じて。

例えば、青ヶ島に行かれたりとか、noteを毎日更新するとか、意思を固めて何かに挑戦をするという姿勢はお変わりないんですけど、でもやっぱりその裏で、実は青ヶ島に来ることに対して不安を感じていたりとか、毎日更新する中でも、「自分の出す文章は人に読まれるんだろうか」と、人知れず悩みを抱えていらっしゃったりとか。“人間味”というんでしょうか、根本のお人柄は在り続けていらっしゃるのかなと思いました。

有野優樹 :
嬉しいですね。前そんな人じゃなかったのにとか思われなくてよかった。そこの真面目さ、誠実さっていう部分では、ずっとこれからも死ぬまで変えたくない、周りの人にそういうふうに思ってほしいなっていうところはあったので、そう言っていただけるのはすごくありがたいですし、嬉しいですし、やっぱりtokiさんにインタビューしていただいてよかったなっていうのは思ってます。

toki:
ありがとうございます。すみません、有野さんのインタビューなのに私がベラベラと喋ってしまいまして。

有野優樹 :
いやいや。こちらこそいろいろ急に質問してしまって申し訳ない。でも嬉しいかったです。ありがとうございます。

未来:これっていうよりかは、なんか、有野だよねって言われるような人になっていきたい。

toki:
では最後に、有野さんの未来についてお伺いしていきます。⚪︎年後、こういうふうになっていたいとか、こういうことをやりたいなっていうような、未来へのイメージって、今何かお持ちですか?

有野優樹 :
仕事のイメージ、仕事の展望として、まずこれはやりたいなっていうのがあって。怪談語りのDVDに出演したい。自分が語っている姿を映して、怪談の詰め合わせみたいなDVDを出したいなっていうのは、仕事の夢として一つあります。

プライベートの夢としては、海外に行きたいっていうのが一つあって。どこの国かっていうとドイツ。すぐにはね、仕事的だったり経済的な問題だったりすぐには行けないとは思うんですが、いずれかっていうか、何か近い将来行きたいなとは思ってます。

toki:
ちなみに行き先がドイツなのはなぜですか?

有野優樹 :
ミーハーなんですが、ベルリンの壁、ノイシュヴァンシュタイン城を生で、肉眼で見たいからですね。

toki:
そうなんですね。ちょっとお仕事に話も入ってきてしまうかと思うのですが、青ヶ島にも行く経緯について伺った時に、「別に関東を中心に活動しなくてもいいのかな」ということに気づいたとお話しされていたかと思います。
そうやって、いろんな土地に行ってそこで暮らすことって、声のお仕事にはどのように関わってくると思われますか?

有野優樹 :
例えばナレーションで、ドイツのベルリンの壁のナレーション読む、みたいなことだったりがあるかもしれないじゃないですか。
その時に実際に行ったことがある人といったことがない人だと、読み方がね絶対変わってくると思うんですよ。イメージだけなのと現現物を見たことがある人って。厚みというか、味っていうか。

海外をたくさん回られてる先輩にお話をお伺いしたときに読み方が変わったって言ってたので、いろんなところに行ったり喋ったり、現地のものを食べたり。それをすることによって芝居やナレーション、それこそこういうフリートークに爆笑という意味ではなく、面白さっていうのが出てくるんじゃないのかなって。

toki:
なるほど、ありがとうございます。
青ヶ島からはもう帰られるっていうことなんですけれども、帰ってからはどのように過ごされるご予定ですか。

有野優樹 :
関東で声のお仕事だったり、怪談イベントをやっていきます。でもまたどこか違う地域に行って、今回青ヶ島みたいな1ヶ月とまではいかないかもしれないですけど、転々としていけたらいいなっていうのは思ってますね。文章を書いたり、喋り以外で自分の意思を伝えるコンテンツにも力を入れていきたいなっていうのは思ってます。

toki:
今のお話聞いて思い出したんですけど、喋り以外の自分のことを伝えるきっかけになったのが、流行病になって、声が出なくなったときがあったっていう話だったじゃないですか。

もし声が出なくなったときにって考えたときに、他にどういう仕事をするかとか、そういう発想じゃなくて、手段は「文章」に変わりながらも、やっぱり「自分の一部分を伝える」っていうところは変わらないんだな、と思いまして。そのあたりについて、何か考えることや思うことはありますか。

有野優樹 :
根本、どうしてももう表現したいんでしょうね、きっと。
お芝居だったり、ナレーションだったり、ラジオだったり。表現したいっていうのが根本にある。あとは何かを作りたいとかね。声が出なくなってしまったとき、声以外の表現、文章に行くか、パントマイムをするのか、絵を描くのか。パントマイム教室に通うとか、今でも正直興味があるので、言葉を使わない、いわゆる非言語のコミュニケーションで表現も一つできたらいいなっていうのがあるので、そのうちパントマイム教室とかに通ってやってみたいなっていうのも一つあります

toki:
表現したいっていう気持ちがすごい強いんだなと思ったんですけれども、どういうことを表現したいとか、どういうものを受け手には受け取ってほしいとか、そういったものって何かあるんですか。

有野優樹 :
5年前かな、自分の祖父が亡くなったんですね。そのときに、亡くなる寸前、酸素マスクをつけて、息も絶え絶えになって、もうちょっとでもう駄目になってしまうかななんていうときに、祖母の名前と僕の名前を呼んだんです。祖母の名前を呼ぶのはわかるじゃないですか。自分の奥さんですからね。次に孫である僕の名前を呼んだっていうところにすごくくるものがあったんですね。

自分がそういう状態になったときに、どうしても伝えたいことって何だろうって思ったときに、SNSで誰かの文句を書くとか、言いがかりをつけるとか、何かそういうことじゃなくて、一番お世話になった人にありがとうって伝えるなとか、好きな人にあなたのことが好きだよっていうことを言うとか、ちょっとした冗談を言って笑いを取るなとか、なんかねこのポジティブなワードが出てきたんですよ。

そのときだからって考えるんじゃなくて、日常生活、仕事、いつでもその状態にして、誰かの文句を言うとかじゃな、こんなことがあったんですよねなんて言って笑ってもらえたら嬉しいなっていうのがあるんです。

そこが表現の種というか根本になってるような気がするので、自分が死ぬときにそれを言いたいかどうかっていうのが表現の基準になってるっていう感じですかね。

toki:
普段発する言葉から、「死ぬときに言いたいかどうか」を意識していらっしゃる。

有野優樹 :
そうですね。そりゃイラッとすることとかあるじゃないですか。でも、そのときに今それわざわざ言いたいこと?ととめる。道で肩がぶつかったとしましょう。
そのときに「お前謝れよって」それどうしても今言いたいこと?って思うわけですよ。すると、いや、それよりもせっかく口から言葉を出して喋るんだったら、そんな人に文句を言うよりも、いつも一緒に遊んでくれる友人に、楽しい時間を過ごさせてもらってありがとう、って言った方がいいなって思ったりするので。
それはいい人ぶるとか八方美人でいるとかそういうわけではなくて、今それどうしても言わなくちゃいけないこと?っていうのは、もう1人の自分に喋りかけてるような感じですかね。

toki:
なるほど。「表現」っていう言葉の中に、そんな気持ちが込められていたんですね。ありがとうございます。

毎回インタビューでは「もしもの未来」についてお伺いしているんですけれども。もしも一生声が出ない、話せないという状況になったとしたら、有野さんはどのように生きていこうと思いますか?

有野優樹 :
字を上手くします。自分の思ってることを伝える手段として文書を使うようになってくると思うんですけど、毎回毎回、スマートフォンやパソコンが使えるわけではないと思うので。筆談のときに、字が下手くそだったらこれ何?と、余計な時間が生まれてしまうので、硬筆検定みたいなのをやって、字を上手くする努力をしますね

toki:
字を上手くした後は、どのように過ごされますか。

有野優樹 :
文章の部分でいうならnoteなりブログなり、文章で自分の気持ちを表していく、表現していくっていうのは絶対やります。本だったり、コラムだったりの営業をかけますね。あとは手紙や遺書を残す。いつなにがあってもいいように。

toki:
ちょっと気になったんですけど、声優とかナレーターのお仕事って「これを読んでください」とか、イベントのMCでも「こういうふうに進めてください」っていう、クライアントからの要望に沿ってお仕事をするわけじゃないですか。その一方で、自分で文章を書いて発信するとなると、自分自身で何を発信するか、何を表現していくか、決めていけるわけですよね。つまり、声のお仕事と、文章を書いて伝えることでは、少し表現の方向性が違ってくると思うんです。
それに関連して、伝えたいことの内容も声のお仕事か、文章を書くことかで少し変わってくるのかなと思ったのですが、そのあたりいかがですか?

有野優樹 :
文章の場合、なるべく廃れない言葉遣いをしようっていうのが一つ心がけてるとこではあるんですよ。

本屋さんに行ったときに、このジャンルの本ってあんまりなくならないなっていうジャンルがあったんです。それって何かっていうと節約本とダイエット本。これはずっと残り続けてるなっていうのを思ったんです。

いつの時代でも節約術とダイエット術っていうのが知りたい人がいるからずっと残ってる。バズりとかブレークみたいのはしないだろうけど、この先も出続けるジャンル。じゃあ自分が書けることで残り続けるものはなんだろうかと考えたんです。

フリーランスになったときにどうやってその仕事をやるか、声優事務所を辞めてフリーになったときに、一番最初に考えたことがフリーランスでどうやって声の仕事を取っていくのかしりたかった。

今後も事務所を辞めてフリーになる人とか、養成所やめて事務所に入らないでずっとフリーでやっていく人ってこの先出てくるだろうなって思ったので、爆発力はなくても、ずっとその需要がある読まれ続けるような内容にしようというのが文章の意識です。

喋りの意識はテンション感。新鮮さとか、第1印象っていうのを意識するように喋っています。逆にそこを意識しすぎてもあざとくなっちゃうので、芝居がかったように何々だよね、みたいなのはやろうとはしないですけど。喋りっての割と反射神経だったりとか、その場でポンッて出たものなので、そこの感覚っていうのは大事にして、それがもう滑ろうが受けようがどうでもいいんですよ。

これ滑るかもしれないから言うのやめとこうかなとかっていうんじゃなくて、突っ込んだりとかボケたりっていうのは、何でもいいからやってみる。条件として、人のことを馬鹿にするとか、何かちょっと下にするような、何々さんより何とかさんの方がすごいですよね、みたいなそういう言い方はしないようにはして、笑いを取りたい。滑った後も別に僕が滑る分にはいいんですよ。帰ったら落ち込めばいいだけで。

そういうのは喋り手としての仕事だなと思うので、このリアル感と練る時間を大事にするっていうのは、喋りと文章で分けて考えてるとこかもしれないですね。

toki:
うーん、なるほど。すごくわかりやすく教えていただきありがとうございます。
有野さんがそこまでして自分の気持ちだったり、自分の声を届けていきたい、表現していきたいと思う根元って、何だと思いますか。

有野優樹 :
月〜金の普通の会社員の仕事ができないからです。生きていく上でお金を稼がなきゃいけないわけじゃないですか。ある意味「消去法」っていうところもあるかもしれないです。普通に月〜金で勤められないから、喋って書くことに必死になってる。

toki:
では、「消去法」をしていったときに、最後に「表現する」っていうところが残るのは、なぜだと思いますか?

有野優樹 :
結局は、有野って面白いねとか言ってほしいんだと思います。あいつに喋らせると面白いねとか、文章を書かせると面白いねっていうのを言って欲しくてやっえます。

toki:
わかりました。ありがとうございます。
そろそろインタビューも終盤になりますが、最後に何か言い残したことや、もうちょっと話したかったことがあれば、お伺いしたいんですけれども、いかがでしょうか。

有野優樹 :
怪談を喋ったり、ナレーターをやったり、芝居をやったり、イベントのMCをやったり文章を書いたりして、結局有野は肩書きとしては何なの?っていうときに、なんかたくさんいっぱい喋ってる人って言えるようになりたいですかね。

有野だよねって言われるような人になっていきたい。

toki:
ある意味、肩書きが自分自身の名前になるみたいな。

有野優樹 :
いいですね! 「肩書き有野優樹」。かっこいいな、そういうふうになりたいですね。

あとがき

2年の時を経て、2回目のインタビューに応募してくださった有野さん。

前回のインタビューも私tokiが担当させていただいたのですが、そのときのお話は今でもよく覚えていて、日常のふとした瞬間に思い出されることがあります。
特に「何をやっているかよくわからない人になりたい」というお話。人生を通して何かしらの肩書きを得なければいけないものだと思い込んでいた自分にとって、「そういう生き方もあるのか」とまさに目から鱗のお話でした。

今回のインタビューでも、「これ」っていうよりは「有野だよね」と言われる人になりたいと終盤に語っておられて、インタビュー中にも述べたましたが、やはり大事にしている根っこの部分はお変わりないのだなと。

自分を表現したい、何かを伝えていたいという気持ち。
そして「有野優樹」という名前で、何かに縛られずに色々なことをやって生きていきたいという信念。
その“根”の部分をしっかりと張りながらも、色々なところに枝を伸ばし続けて、自分という樹木を大きく育てていっている。
インタビューを通じて、そんな印象を抱きました。

これから先、有野さんがどのようにご自身の枝を伸ばしていかれるのか。
今後を私自身も楽しみにしていたいと思います。

ご参加いただきありがとうございました…!!

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
次回の無名人インタビューもどうぞお楽しみに。

【インタビュー・編集・あとがき:toki】

【編集:夕星】

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