このまま今の自分を生きていきたい人
今回ご参加いただいたのは ダブリュー さんです!
年齢:50代前半
性別:男
職業:コンサル
現在:これ以上はちょっと日本にいられないとか最近は思ってるところです。
ゆいぴ:
ダブリューさんは今、何をされている方でしょうか?
ダブリュー:
私は今、コンサルをしております。
ゆいぴ:
何のコンサルですか?
ダブリュー:
記者会見のコンサルです。
ゆいぴ:
記者会見コンサル?具体的にもうちょっとお伺いしてもいいですか?
ダブリュー:
上場企業とか政治家とかがクライアントにいるんですけれども。もしも何か事件事故などで炎上するというようなことがあった場合に、記者会見を開かなければいけませんよね。そういうときにこんなふうな記者会見だと、さらにひどい目に遭いますよと。悪い記者会見の例としては、何年か前の日本大学のスポーツ系体育会系みたいな悪いインタビュー。あんなふうにすると、もうその組織そのものが吹っ飛ぶということもあるので、そういうのをちゃんと事前に練習したり勉強したりして、そういうことないようにしましょうねっていう。そういうコンサルタントです。
ゆいぴ:
ふうん。そのお仕事はいつからされてるんですか?
ダブリュー:
5年ぐらい前から。私が社会に入った一番最初の仕事が新聞社なんですね。その後、5年ぐらい前まで大学の講師をしていました。大学の講師を辞めて、辞めたときにお付き合いのあったコンサルの会社を経営している人に「ダブリューさん、大学辞めたんなら僕の仕事を手伝ってよ。」って言われて始めた。
ゆいぴ:
自分でやろうと思ったというよりは誘われて始めた?
ダブリュー:
そうです。
ゆいぴ:
そこは特に抵抗なく始められたんですか?
ダブリュー:
新聞記者の仕事に比べれば遥かに楽ですし、それに私もこれからどうしようかなみたいなところに誘っていただいたことですから。自分ができる範囲で、その人がせっかく誘ってくれたんだから、頑張ろうかなみたいな気持ちはあるんですけど。また違った本当にやりたいことは別にあるので、その方向を今模索したいなと思ってるところではあるんですね。ただ健康状態に問題を抱えてしまっているので、健康状態が良くなるまでは今のことを続けていこうという感じです。
ゆいぴ:
コンサル以外で他にやってること、仕事のことでもいいですしそれ以外のことでもいいんですけど、何かありますか?
ダブリュー:
YouTuberやろうと思って動画作ったんですけど、健康状態がダメになったので治るまでちょっと休もうと思って結構時間が経っちゃってる状態です。
ゆいぴ:
YouTuberっていうのはどういうジャンルの?
ダブリュー:
岡田斗司夫みたいなことをやろうと思ったんですよね。
ゆいぴ:
あー。何かきっかけがあったんですか?
ダブリュー:
きっかけは人に言われたんですよ。そういうのをやれって。
ゆいぴ:
人に言われたときどう思いました?
ダブリュー:
博士号を取ったらやろうと思ってたんです、前から。人に言われたときはまだ取ってなかったんです。それで2021年の夏に博士号を取って、大学を辞めてから博士号取るまでに2年ぐらい時間があったので、その間にある程度コンテンツ作ったりとかしてたんですけど。博士号を取ったときには健康状態が非常に悪かったのでそのまんまになってます。ですからせっかく博士号を取ったんだけれども、それを活かすことができない状態で今過ごしてます。
ゆいぴ:
先ほどから「健康状態があんまり良くない」ってお話をずっとされてますけど、それはどのような状態ですか?詳しくお伺いしても大丈夫ですか?
ダブリュー:
はい。背骨がぐちゃぐちゃなんですね、簡単に言うと。なんで背骨がぐちゃぐちゃになったかっていうと、合わない枕を2ヶ月ぐらい使っちゃったんですね。それで背骨がぐちゃぐちゃになったんですけれども。なんでそんな合わない枕を使ったのかっていうと、大学を辞めてしばらく母と一緒に暮らすことにしたんです。というのはずっと母のことを避けていて。何されるかわからないから避けていたんですけど。もうだいぶ自分も年も取ってきたし母も年を取ってるし、あと博士号を取るっていう目標が近づいてきたので、いつまでも母を遠ざけずにちゃんと親孝行しようと思ってしばらく一緒に暮らすことにしたんですね。
そしたら母がおかしな枕を買ってきたんですよ。私はそれ断ろうと思ったんですけど、断ったんですけど、いろいろあの手この手で延々と押し問答を引かないんですよ。毎日いくつもいくつも何度も何度も押し問答するんです。これは嫌なんですっていうことを何度も何度も、そういうことをいろいろ言ってくるのがもう疲れてしまったので、押し問答をするぐらいなら我慢してこの枕を使おうと思って2ヶ月使ってみたら背骨がぐちゃぐちゃになったんです。全身にすごい激痛が走り、歩くのもままならぬみたいな感じになってしまったんですね。体カチンカチンでマッサージ行っても全然指入らないんですよ。訳わかんないみたいな感じだったのを、それからもうだいぶ何年か経って、ものすごいとてつもないお金をかけてですね、何百万円とかけて、テスラの車が買えるんじゃないかぐらいのお金をかけて、今だいぶ良くはなったんですけど。ここで治療の手を緩めると元に戻ってしまう。だから必ず完治させなければならないのに、まだまだ時間がかかる。だからとてももどかしい思いをしています。
ゆいぴ:
それは病院で診断された症状なんですか?病気っていうわけではない?
ダブリュー:
一番最初の病院ではヘルニアと言われました。次の病院ではストレートネックと言われました。その次の病院では訳わかんないとかいろいろ言われて、今の病院では胸椎症みたいな事を言われています。
ゆいぴ:
今もその症状があって生活に支障が出てる感じ?
ダブリュー:
そうです。重いものを持つことができないし、長時間パソコンに向かうこともできないし、歩く速度もゆっくりなんですね。パッと見普通に歩いてるように見えるんですけど、ものすごくゆっくりでご老人にも抜かれていくんです。
ゆいぴ:
結構大変ですね、それは。
ダブリュー:
それで母に「あなたが買ってきた枕でこんなことになったんだ。」みたいなことを言うと、私は枕を買ってきただけで使えとは言ってない、使ったお前が悪いんだとか言われるわけです。
ゆいぴ:
そこでまた押し問答みたいな?
ダブリュー:
そうですそうです。私がどんなことで苦労してきたか、ちょっと今垣間見えたと思います。
ゆいぴ:
なるほど。他にやりたいことがあって今はちょっと健康状態が悪いので、っていうお話されてましたけど、そのやりたいことについて今お話できますか?
ダブリュー:
私は大学講師を台湾でやってたんですね。台湾で日本史の講師をしていて、カトリック系の大学で。台湾は親日と反日がせめぎ合うところなので、長く住んでるとすごく消耗するんですね。私も無理と思って2019年に帰ってきて、台湾のカトリック系の大学の博士課程に所属はしていて、そこの博士論文さえ書けばいいという状態で帰ってきたんですけれども。それで博士号も取ったので、やっぱり博士号を持った自分として活躍がしたいんですね。当初は日本に帰ったら評論家活動でもしようか、とかいろいろ考えていたのが体が悪くなってしまって。ちょっと停滞していたんですが今考えてるのは、ヨーロッパに行きたいと思っていて。体が治ったらヨーロッパに行って、ヨーロッパの大学で活躍の場を探す。日本にはYouTubeとかそういうので、SNSを使って情報発信ができると理想的だなとは思ってます。
ゆいぴ:
なんでヨーロッパなんですか?
ダブリュー:
高校生のときにアメリカに留学したことがあって、アメリカのことは多少わかったと。台湾で仕事をして台湾とアジアのこと、中華圏のことは多少わかった。次はヨーロッパかなと、そんな感じです。
ゆいぴ:
行ったことないところに行ってみよう、みたいな感じです?
ダブリュー:
ヨーロッパは旅行はしたことがあるんですけれども、住んだことはないので。やっぱり住まないとわからないことがあるんじゃないかなっていう。
ゆいぴ:
活動拠点が海外なのはなんでですか?
ダブリュー:
日本に帰ってきてびっくりしたのは、パッと見は無職みたいな生活になっちゃったんですよ、しばらくの間。そのときに道を歩いてたときの視線の厳しさとかすごくて。今はコンサルの仕事をしてますので結構家でできるんですよね。クライアントのところには時々行くんだけれども家でできるので、昼間近所を歩いたりとかできるんですけど、ものすごい目で見られると。それで例えば電車に乗ったら…、インタビュアーの方が女性でいらっしゃるからあんまり酷くない言い方をしようと僕は今考えてるんですけれど…。
ゆいぴ:
はい。
ダブリュー:
例えばスマホを持ってると、こいつ盗撮しようとしてるんじゃないか?という目で見られると。子連れのお母さんなんかは、あそこに男が1人で歩いてる!みたいな、子供をサッと遠ざけるとか。そういうのが日常的にあるってことがわかったんです。日本はそうなってると日本に帰ってきてわかって。これは精神的にもたないんですよ。日常的に自分が汚いものであるかのように扱われるっていうことを、生まれて初めて日本に帰ってきて経験したので。精神的にもたないので、これ以上はちょっと日本にいられないとか最近は思ってるところです。
ゆいぴ:
ふうん。
ダブリュー:
それで、僕は中性的な服を着るのが元々好きだったんですけれども。中性的な服を着ているとすごい目で見られちゃうんですね。こいつはなんかおかしなことを考えてる奴なんじゃないか、というすごい目で見られるっていうことをしばらく経験した。これ以上はもう自分の好きな服を着るのは無理だと思って、今は普通の男性に見える服を選んで着ています。
ゆいぴ:
中性的な服って例えばどんな服のことですか?
ダブリュー:
例えば、コートと帽子を女性物にしてそれ以外は男性物みたいな感じにしてました。
ゆいぴ:
なるほど。
ダブリュー:
僕は女装趣味はないんだけれども、中性的なものが好きだったんです。
ゆいぴ:
じゃあ自分の趣味とか好きなこととか、ハマってることとかって何かありますか?
ダブリュー:
趣味は映画を観ることとか本を読むこと。映画と本。あとは旅行。今ハマっていることが本当は健康だったらもっとその道を追求しているはずなんですけれども、今は余裕を全部治療に突っ込んでるっていう。
ゆいぴ:
その治療を全く抜きにして。完全に治療が終わったときに一番にしたいことって何です?
ダブリュー:
音楽の勉強がしたいです。
ゆいぴ:
へえ。何の音楽ですか?
ダブリュー:
基本、基本がしたい。ピアノが弾けないのでピアノを習いたい。日本に帰って何かやりたいなと思って、ゴスペルを習いに行ったんですね。ゴスペルは楽しかったんですけど、ゴスペルの練習すらちょっと心身がもたない。体力的にもたないので今は休んでます。歌は結構上手いって言われるので、上手いだけだとつまんないからちゃんと勉強しようと思ってゴスペル始めて。そういうのやってると楽譜も読めるようになってくるし面白いんですけど、ゴスペルで楽譜が読めるだけじゃなくて、ちゃんとピアノで楽譜を覚えた方がもっとしっかり正確に音が取れるだろうなと思ってピアノやりたいんですよね。自分でバイエルの3まで練習したことがあるんですけど、やっぱり自分でやるだけでは限界があるっていうのがわかってきたっていう。
ゆいぴ:
音楽自体には前から興味があったんですか?
ダブリュー:
そうですね。20年ぐらい前に新宿区区民第九っていうのに参加して、ベートーベンの第九の練習をしたりとかっていう意味では歌にたぶん興味があって。アメリカ留学していたときに、毎朝1限は歌のクラスだったんですね。そういう授業があって毎日歌っていて、そこでたぶん歌がすごく自分にとって染みついたんだと思うんですけど。歌がたぶん好きなんですが、でもやっぱりピアノも弾けて歌える方がいいっていうのにすごく憧れてるんだと思います。
ゆいぴ:
ふうん。歌を歌ってるときってどういう感情なんですか?
ダブリュー:
感情としては、そのときはもう演劇をやってるのと同じです。
ゆいぴ:
へえ。
ダブリュー:
気持ちいいとかそんなんじゃなくて、頭の中で次はこの歌詞でこういうふうに上げていかなきゃいけない、とか。ここはこういうふうにここへ落としていかなきゃいけない、とか考えながら頭ん中で図面を描いてるような、図面を思い浮かべてるような感じで。そうだここはこうやんなきゃ、みたいな感じでやっているのがすごく集中するので面白い。集中するのが気持ちいいんだと思います。なのでカラオケで気持ちいいのとはちょっと違うと思います。
ゆいぴ:
それはまた別なんですね。
ダブリュー:
はい。私台湾で演劇の勉強したことがあるんですけど、演劇って当時は中国語でセリフを言わなければならないという絶望的なことをやったんですが、やっぱりものすごく集中してたので感情が動くとかそういうのないんすよ。もうめちゃめちゃ集中して計画書通りにできるかどうかっていうのを自分に課すってのはものすごく強い思い出になったので、歌を歌うのもそんな感じでできることを私はたぶん望んでいるっていう。
ゆいぴ:
ちょっと質問を変えて、自分自身はどんな性格だと思いますか?
ダブリュー:
自分の性格ですよね。好き嫌いが激しい。
ゆいぴ:
それは何に対してですか?
ダブリュー:
どんなものでも。たぶんそれは発達障害と関係があるんだろうなと思いますけど、好きなことに対する集中力はすごいです。いわゆる過集中という症状があって、集中しすぎる。過集中なので、何かに集中して一点突破するっていうのは割と人生設計としてやりがちなことです。逆に嫌いなことはもう集中もできないというか全く頭に入ってこないし、1分1秒でも関わりを持つのを避けたがるんで。
ゆいぴ:
人間関係においてもそうです?
ダブリュー:
そうです。
ゆいぴ:
自分の性格について、ダブリューさん自身ではどう思いますか?
ダブリュー:
私は自分のことが好きなので。これでいいと思います。
過去:それが異常なのか正常なのかもわかんないんです。ただひたすら苦しい。
ゆいぴ:
子供の頃はどんな子供でしたか?
ダブリュー:
物静かな子供で、ずーっと本を読んでました。本を読んでないときはぼんやりしてました。で、運動が全然できないし。学校の授業中に騒がしい子がいるじゃないですか、ああいうのにもうまく交わっていけないので。ぼんやりしてました。
ゆいぴ:
ぼんやりっていうのは何か考えてるんですか?
ダブリュー:
いや、単に外の景色を見てぼんやりするとか。
ゆいぴ:
覚えてる中で一番古い記憶ってどこですか?
ダブリュー:
それは学校ですか?それとも学校関係なく?
ゆいぴ:
関係なく。
ダブリュー:
3歳ぐらいのときに、自分の掛け布団を蹴飛ばしていたのが一番古い。ただ、ずっとそれが一番古いと思ってたんですけど、もっと赤ちゃんのおしめを替えてもらうときに、親戚のおばちゃんとか母親とかいろんな女性が来て私のおしめを変えますよね。しょっちゅうおしめ替えに来やがってと思っていて、すごくそれがストレスで嫌な気持ちになっていて。そのときにおしめを替えやすいようにすれば早くおしめ交換が終わるのでお尻を上げたんですね、私が。それでちょっと大人が驚いてるのを覚えてるのは、それがたぶん一番古い記憶だと思うんです。
ゆいぴ:
だいぶ前ですよね。すごいですね、そんな昔の記憶を。
ダブリュー:
はい。自分も思い出したときに、これは本当なんだろうか、自分で勝手に生み出してないだろうか、とか思ったこともありますけど。たぶんこれは間違いなくそうだと。
ゆいぴ:
幼少期の頃に印象的だったこと、思い出でも記憶でも、何かありますか?
ダブリュー:
それは良い思い出ですか?悪い思い出ですか?
ゆいぴ:
全てひっくるめて。
ダブリュー:
何歳ぐらいまでの?
ゆいぴ:
そしたら小学校にしますかね。
ダブリュー:
小学校ですか。小学校5年生6年生のときに、私の担任が男性の体育の先生で。私のことに目をつけていて、毎日私を殴ったんです。私だけを殴る、みんなを殴るんじゃなくて。3人4人、目をつけられてる中で私が一番殴られていて。それがよくわかんない理由で殴られるんですね。お前のその目つきは大人を馬鹿にしてるだろうとかそういう理由で殴るんですね。それで残れって言われて、九割方毎日居残りをさせられて、誰もいない教室で正座させられるんですね。大体1時間ぐらい続くんですけど、正座させられていろいろ尋問されると。教師は椅子に座って尋問する、で教師の目の前に私は正座していると。尋問される際に答えが気に入らないと殴られるんですね。ところがどんな答えを言っても気に入らないので殴られるんです、それで黙ってしまうんです。そうすると黙るなって言って殴られるんですよ。もうなんて言っていいかわかんないから「はい」って言うんです。そしたらお前は「はい」しか言えないのかって殴られるんです。これが2年、ほぼ毎日続いたんです。
それで1回父と母がそれぞれ別々に呼び出されたんですけど、帰ってくると先生が正しいっていうわけです。なんで正しいのかっていうと先生の説明だとお前はそこに生きてるだけで座ってるだけで人をイライラさせたり、腹を立たせたりする人間だというふうに言ってたと。だからちゃんと先生が指導してくれるんだから、お前は先生の言うことを聞きなさいみたいな話になる。親はその教師の言うことを信じて、私の言うことは信じないわけです。教師に特別に指導されているから、やったー得したーくらいに思ってるわけです。私は叩かれるんだ殴られるんだってことを言うんだけれども、男はちょっとぐらい殴られるぐらいなんだ、みたいなこと言われちゃうわけです。それぐらい耐えろっていうふうに言うわけです。でも毎日殴られるし言葉の暴力もすごい。その教師は毎日人格否定してくるんです。これを言っても親は、お前は大げさなんだって言って聞く耳を持たない。普通は大体教師にいじめられても、お母さんがわかってくれたとかそういう話は世の中にいっぱいあると思うんですけど、教師にいじめられてもお母さんはわかってくれなかったっていうのはあんまりないパターンで。
黒柳徹子さんって学校でいじめられてたんですけど、あの人はいろんな大人が手を差し伸べてくれたんですよね。私は大人が一切手を差し伸べてくれなかったっていう。大人たちで話をつけてとことん私追い込んだ、追い込んでるって自覚もない。それをみんなの目の前で、クラスのみんなの目の前で私のことを殴りますから、みんなも私のことを馬鹿にしてくるしいじめてくるんですよ。朝になると職員室の前に行列ができるんです。行列ができて教師が出てきたら「ダブリューくんが昨日はこんなことをしていました。」「ダブリューくんがさっきこんなこと言ってました。」みたいなことを何人も順番に報告していくわけです。それで教師が、ダブリューちょっと来いって、例えば給食の後のお昼休みの時間とか放課後とかに、お前こんなことしてたらしいなとかこういうこと言ったらしいなとか言って殴ると。私が何を言っても、どんなことを言っても弁明にならない。何を言っても殴られるので弁明が成立しないんですね。これが2年続くとやはり心身は病む。心はそこで死んでしまいます。ちょっともうついでなので、聞いてる側は大変かもしれないですけど言わせてほしいんですけど。
ゆいぴ:
はい。
ダブリュー:
当時、私は家で姉からも虐待されていたんです。母が姉を虐待していたんですね。父がDV男で、お酒を飲んで母を殴る蹴るしていたと。母は姉を言葉と暴力で虐待していたと。だから姉は私を虐待したんです。家の中にはその先がないので、私より若い人がいなかったので、私は虐待することはないんですけど。最終的に全部私が引き受けることになるわけですね。姉は自分がされた嫌なことを全部私にするわけです。
姉は父親似で不細工で、私は母親似だからそこまで悪くないんですけど。姉は5歳離れているんですけど、そうすると私が小学生のときは中学生とか高校生とかなっていくので、思春期入ってくるので、外で男の子に不細工とか言われて帰ってくるわけです。そうすると私に「お前は不細工だ。」って言うわけです。毎日言われるわけです。お前死ね死ねって毎日言われるわけですよ。私が悔しいからって言い返すと、なんだと!みたいな感じで包丁を持ち出してきて、包丁を振り回すわけです。なので言い返すと大変なことになるからひたすら耐えるみたいな。母にそれを訴えると、母は聞こえないふりをするんですね。なので母はネグレクトなんです。母の、幼少期の私に対する虐待はネグレクトなんです。
ゆいぴ:
なるほど。
ダブリュー:
しかもさっき枕の話をしたじゃないですか。ですから、ネグレクトにして過干渉なんです。
ゆいぴ:
それはその先もずっとそのような状態だったんですか?
ダブリュー:
ずーっと続きました。
ゆいぴ:
実家にお住まいになられてたのは何歳ぐらいまで?
ダブリュー:
高校卒業するまで。
ゆいぴ:
それまでずっとそのような状態だったと。ダブリューさん自身はどういう気持ちでいたんですか?
ダブリュー:
物心ついたときからそうですから、それ以外を知らないのでわかんないんです。それが異常なのか正常なのかもわかんないんです。ただひたすら苦しい。毎日布団の中に潜り込んで泣くわけです。それで自分を慰めるんです、泣くことで。私、中学受験も高校受験も失敗してるんですね。ですから姉も母も私のことは馬鹿だと思っていて、大学受験のときは放置されてたんすね。ところがこれは良い意味で放置されていて。全く邪魔されずに、高校のときは不登校気味になってましたから、ほとんど家でずっとコツコツ勉強していたんです。眠くなったら寝るという生活をしていたんですけど。母も姉もこいつは寝てばかりいると思ってたんすね。なので自分のペースで勉強できたんです。結果として大学受験だけは成功して、第一志望に入ることができた。それで私の人生は変わった。その瞬間、かなり大きく変わったとは思った。思ったけれども、まだまだ家族の呪縛ってのはそう甘いもんじゃないってのは、またいろいろ聞かれたら答えます。
ゆいぴ:
第一志望に受かってその後にご実家を出た?
ダブリュー:
そうですそうです。それでも時々やっぱり家族に会うじゃないですか。姉に将来どうしたいんだっていうふうに言われて。大学に入って大学教授っていう職業の人たちに初めて会ってすごく痺れてですね。私もこんなふうになりたいと思ったので、大学教授になりたいって言ったんすよね。どうしたらなれるんだ?って。それは大学院に進んで博士号を取ってってなるから普通4年でみんな卒業するのを、もっと十何年とかかけてなっていくんだよ、みたいな話をしたんですよね。いやね、お前舐めてんのかと。お前早く卒業してお母さんに仕送りしなくちゃいけないのに舐めてんのか、っていうふうに言うわけです。姉は短大だったんですね。だから私が4年制に入ったことを許せないわけです。しかもその後も大学院に行って自分の望む進路を歩むなんてことは許せないわけです。
で、当時お金はあったんです。これももうむちゃくちゃな話、父親が死んで生命保険がドーンと入って当時お金があったので、学費の心配がなかったんです。だけども、お母さんに仕送りしなきゃいけないじゃないかって言われたら、それは表面的には正論ですから、そうかーと思ったんです。ただ私は自分が普通の人とは違うってことはわかっていて、体力がすごく弱ってるし、小学校のそういう経験から自分はいつどこでどんなふうにいじめられるかわかんないってのはよくわかってるから。人間関係がうまくやっていけないこともわかってるので会社に入ってうまくいくはずがないってのは私わかってたんですね。だけれどもお母さんに仕送りしなくちゃいけないんじゃないかと言われたら、それはそうだと。大学教授になると大体40歳ぐらいまで半分ニートみたいな生活してる人がほとんどですから。大学院生って半分ニートみたいなものなので、そういう人がほとんどですから、それを容認してもらえないとなれないんですよ基本的には。時々すごい才能があってそうじゃない人もいるけどもそれは例外であって、大体40歳ぐらいまでそういうふうな人がほとんどなのでそれをダメだって言われたらそうだと。
しょうがないと思って就職しようと思って。でも私は世間知らずですからどこに就職していいかわかんないんですよね。例えば今だから商社ってかっこいいと、商社が非常に良い就職先だということはわかるんだけど、商社が何の仕事をしてるかもわかんないんですよ。銀行も、銀行員がどんな仕事をしてるか想像つかないんですよ。銀行は窓口に座ってる人のことしかわかんないんです。だから関心が湧かないと。で、私の父親が2回逮捕されていますから、犯罪者なのでたぶんまともな就職先は実はないんですよ。なんだけれどもどうしようかと思って、僕は本を読んだり映画を見たりが好きだからそっちの方で就職しようと思ったんですね。マスコミをいろいろ受けて、結局新聞社1個だけ受かった。新聞がまさかあんなハードワークだってことを知らなくて、しかもパワハラがすごいと。パワハラに耐えられない奴が馬鹿なんだっていうところなので。私のような発達障害だと言動が普通ではないので、お前は仕事舐めてんのかみたいな話になると。自分では誠実に一生懸命やってるのに、あいつこんな奴なんですよっていうふうに告げ口しに行くやつが出てくる。もう無理ってなって辞めさせてくださいって言って。辞めるときにものすごいひどいこといっぱい言われるんですね。会社ってそういうところなんですね。説得されて、それでも辞めるっていう意思を貫き通すと、すごいひどいこと言われて心身ボロボロになって。私はでもやっと辞められたと思ったんですね。
それでしばらく母のところで休んで。中国語の勉強がしたかったから台湾に留学したいんだって話をして。友達とかにも、僕は台湾に行くんだ、中国語の勉強するんだ、だから会社辞めるんだって話をしていたんですよ。でも母が、家から出るなって言うんですね。家から出ると、せっかく良い学校に行って良い会社に入ったというふうにみんなに言って私はすごく自慢をして鼻高々で生きてきたのに、あそこの息子さんは会社辞めてぶらぶらしてるわよ、って言われるのが嫌だから外へ出るなと。外へ出れないのは困るじゃないですか。それで、姉が結婚して九州にいるからそこに行けって言うわけですね。九州は全然土地勘がなかったので。でも台湾へ渡航するまでのしばらくの間、ちょっと半年ぐらい休みたかったので、しばらくそこで休もうと思って。まさか姉も今さら子供のときと違って、おかしなことはしてこないだろうと思って。
姉のところに行ったら、その初日の夜に「お前学校の先生になれ。」って言うんですね。私、教育免許持ってないんですよ、教員免許持ってないけど学校の先生になれと。私は小学校でそういういじめられ方をして、中学はちょっと省きますが中学も結構ひどい目にあってて、高校では不登校気味でずっと中学受験も失敗して高校受験も失敗して。中学受験も母に言われて受験させられたんだけど、受験するためには塾に行かなきゃいけない、中学受験って特殊ですから。それ専門の勉強しなくちゃいけないのにそういうのも全然しないまま受けて落ちたってことなんすけど、いずれにせよそういうのがあったから学校に良い思い出が全くないんですね。だから学校の先生になんかなりたくないんですよ。大学に入って大学教授は素晴らしいと思ってかっこいいと思って大学教授になりたいと思って、それはダメだと。それを目指すのはダメだと。お前絶対なれるのか?って、絶対なんかこの世にないからやってみないとわかんないじゃないかって言ったら、お前そんなことでいいのか?みたいな。無理矢理に私を追い込みかけてくるわけですね。
それで私が断ったらどうなったかっていうと、毎日朝から姉は大声で叫び続けるわけです。それでひたすら私を誹謗中傷する。お前はどんなにひどい人間なのか、どんなにダメな人間なのか、お前みたいなダメ人間を私は心配してこうやって職業まで決めてやってるのになぜ言うことを聞かないのか。お前みたいな弟がいて私は恥ずかしいんだと、ずっと喚き続けるんです。4ヶ月経つと私も眠れなくなって、友達にも説明できないんですよ。おかしな家族だっていうこともちょっと言えない、今だったら言えるんだけど。家族がおかしいってことも言えないし、かつ自分がせっかく友達に説明して、出発するんだ頑張ってねって言ってもらってたのに、やっぱり方向転換しましたなんて言えないんですよ。だから友達にも会わなくなったんです。それで眠れなくなって精神科に入退院を繰り返したんですね。時々退院して、何ヶ月か台湾に語学留学に行かしてもらったりみたいな、そんなことをしばらくしたんですね。
ゆいぴ:
それはおいくつぐらいのときのお話ですか?
ダブリュー:
27歳のときに会社を辞めて、それから数年間です。ある時は母の実家で2年間一歩も外に出なかったんです。姉のとこにもいられないし、母のとこにいるしかないんだけども母は外に出ないで欲しいって言うから。医者はうつ病ですねと。ゆっくり休むしかないですよ、と言われて。うつ病ってちゃんと外に出て日光を浴びてよく歩いて、とかしないと治らないんですよ実は。なんだけれども外に出るなと。こんなのどうにも八方塞がりもあんまりじゃないかと。その一つ一つ、そうやって小さいいろんなことを要求して私の人生を追い込みかけてくるってのが私の立場から見た母と姉なんですね。様々な無理難題を言って追い込んでくる。ただ、台湾の翻訳会社にアルバイトに行ったときに出会った日本人の女の人がいて、その人はしばらくして日本に帰ったんだけれども。私もそうやって母のところで死にかけてたんだけれども、その人に会ってみようかなと思って会ってみて。私は一目惚れだったんですね。だから結婚してほしいって言って。その人に結婚してもらったんです。
ゆいぴ:
ふうん。
ダブリュー:
結局ね、結婚するまでにしばらく一緒に住んだりとかあったんだけれども、子供も産んでくれたんですが、子供が1歳になる前に離婚されてしまいました。それは私に問題があるんだと思うんですけど、私の何かが悪いからなんだとは思うんですけど、自分ではわかんないんだけど。ただ子供がいてくれるおかげで私は年に1回子供に会わせてもらって、そのとき3人で会うんですいつも。年に1回だけ。
そんなんで台湾の大学院に行って。その女性が言ってくれたんですよ、台湾の大学院に行ってやれるところまでやってちゃんと博士号を取るとか。私は本当は元々の大学に残って博士号を取ってその大学の教授になりたかったんだけど。一旦ドロップアウトして戻るのはすごく大変なので、元々中国語勉強したかったんなら台湾の大学に行けば?みたいに言ってもらって。その後はずっと延々と様々なことに耐えながら、台湾で修士を取って博士を取って、博士を取る間は大学の先生をした。大学教授にはなれなかったけれども大学の講師にはなれたので、私はそれだけでも全然人生に対する感じ方が変わりました。あとは、さっき前半でお話した通りです。
ゆいぴ:
大学教授という職種に出会ったときに痺れたって言ってましたけど、それって何だったんですか?何がそんなにダブリューさんにヒットしたんです?
ダブリュー:
もう死んじゃったんですけど有名な人がいて。その人の授業に出たときに、あまりにも有名なので出てきたときに拍手が起きたんですよ。そのときにその先生は、みんなよく来たな、みたいな感じのポーズをとってくれたんですよ。それがものすごくかっこよかったんです。
ゆいぴ:
きっかけとなる教授の方がいたんですね。
ダブリュー:
はい。
未来:私は今の自分が好きなので、このまま今の自分を生きていきたい。
ゆいぴ:
近い未来からもっと遠い10年20年30年先の未来を考えて、最後にダブリューさんが死んでしまうっていうところまで考えたときに、未来に対して持ってるイメージとか考えてることとかって何かありますか?
ダブリュー:
ヨーロッパに行きたいって話をしたじゃないですか。
ゆいぴ:
はい。
ダブリュー:
なのでヨーロッパに行ってしまったらできればずっとヨーロッパにいたい。一生ヨーロッパで暮らしたいと思っていて。例えば年に2ヶ月ぐらいだけ日本に帰ってくるというような生活に憧れています。向こうの大学で仕事を得るのでもいいし、あるいは何か原稿を書くような仕事ができるならそれもいいと思います。今、体が悪いじゃないですか。それで体が悪い状態をどこに行けば治るだろうかと思って、整形外科に行ったりあるいは神経内科に行ったりしたんですが。そのときにあるお医者さんに「あなた将来設計どうなの?」と聞かれたときに、書き物をしたいみたいな話をしたら「君ね、僕の方が才能あるよ。」とか言い出したんですねその人が。だから何言ってるんですかと。私は文系の博士号まで取ったのに、書き物をしない方がおかしいでしょって。それは医学部出て医者以外の仕事しようかなって言ってるようなもんですよって言ったら、それもそうだなってなったんですけど。
書き物で仲間も少しはいる、一緒にやれるとこまで頑張ろうっていう仲間がいるので少しは。その仲間といろんなことがどこまでできるかっていうのはやっぱ試していく。今51歳なので、若くはないけれどまだ全然頑張れる年齢ではあるはずですからそれを頑張りたいと。ですから早く体を治したい。体が治ればYouTubeも再開したいし、原稿書くチャンスも探したいし、そういうヨーロッパで活動する可能性も探りたいっていうそんな感じですね。
ゆいぴ:
書き物っていうのは、何かこういうものを書きたいみたいなのは決まってるんですか?
ダブリュー:
姉に就職しろって言われたときに大変だと思ったんですね。就職したら絶対うまくいかないことはもうわかってましたから、どうすれば就職しなくてよくなるんだと思って考えて、大学を卒業する前に小説家デビューすれば就職しなくてよくなるだろうと思ったんすよ(笑) で、すごくたくさん書いたんですよ、大学在学中に。送ってもだんだん予選に通過するようになったりしていったので、今また体力が戻れば小説も書きたいし。あとは例えば、博士論文は第二次世界大戦に関することで書いたんですけど、そういう博士論文に関係することとか。あるいは一応これでも台湾に長く住んで中華圏の専門家みたいに自分で思ってますから、そういうことでもやっぱり何か書けることがあるかもしれないし。外務省の外郭団体から補助金を貰って、仲間と小冊子を出したこともあるんですね。そういうのって絶対お金にならないのはもうわかってるので、儲けようと思ってするのではなく、やっぱりちゃんと自分のワークとして残しておきたいっていう。そういう感じのことをやっておきたいってのはありますよね。
ゆいぴ:
小さいことでもいいんですけど、チャレンジしたいこととか挑戦してみたいこととか、やってみたいことってありますか?
ダブリュー:
ドキュメンタリー映画を撮ってみたいです。
ゆいぴ:
それはまたなんで?
ダブリュー:
フィクション映画って金掛かりすぎて絶対撮れないってのがあるんですけど。渋谷にドキュメンタリー映画の監督の勉強ができる学校があって。人に、そこ行ったらいいかな?みたいな話をしたら、そんなの金取られるだけだからやめろと言われたんすけど。そういうところに行って作り方の基本だけ学んで、あとはGoProかなんかで撮る。東京都内の台湾人には多少知ってる人がいるので、その人たちにインタビューして東京の台湾人みたいなドキュメンタリー映画作って。そんな長いのは無理だから70分ぐらいの作品にして、それを関係者で観るみたいな。あるいはオンラインで観てもらうみたいな感じのことをしようかなとは思ってるんですけど、ヨーロッパに行く前に。これも健康が回復しないとできない。
ゆいぴ:
それは何のために?何か伝えたいことがあってそういう映画を作りたいって思ってるんですか?
ダブリュー:
うーん、むしろ私の心境の整理だと思います。
ゆいぴ:
ドキュメンタリー映画を作ることがダブリューさんの心境の整理とどう繋がるんですか?なんでそれを作ることで心境が整理される?
ダブリュー:
私は十何年も台湾に暮らしたので、台湾人には良い思い出もあれば悪い思い出もあります。日本では全然知られていない日本人虐殺映画とかもあるんですね。向こうですごく話題になったんですけど。それについて私の率直な感想を言ったら、そこにいた人全員に嫌われて全員にFacebook外されたりしたんですけど。じゃあいったい私はどんなふうに台湾人と向き合えばいいのかみたいなことを考えたときに、今の自分と東京の台湾人とちゃんと対話を重ねていき、そういった台湾人との間の自分の中で消化しきれないものとかを消化したりとか。あるいは日本人もすごい台湾大好きって言ってても全然わかってない。台湾のことを知らない人があまりにも多いのでそういう人たちに、でも本当の彼らの心の声はこの辺なんだよ、みたいなことをやっぱり明らかにしたい。明らかにすることによって私は日本人に対して何か問いを投げかけることができるから。それでまた一つ、自分のこれまであったいろんなトラウマをちょっと解消するみたいな、そんな感じだと思います。
ゆいぴ:
こういう自分でありたい、みたいなそういう理想の姿ってありますか?気持ちの面でもいいんですけど、そういうのってあります?
ダブリュー:
私は今の自分が好きなので、このまま今の自分を生きていきたい。ずっといろんな人が、お前は今のままじゃダメなんだって言ってきたわけです。姉もお前はダメなんだ。学校の教師もお前はダメなんだ。会社の上司もお前はダメなんだって言うので、そうなんだろうか?自分はそんなにダメな人間なんだろうか?と思いながら生きてきたんだけれども、今この歳になって「俺はこれで全然いいじゃないか。」って思って。ずっと子供の頃から自分が好きで、自分が好きなことのどこが悪いんだと思って生きて。やっぱり自分が好きでいいじゃないかっていうふうに今思ってるから、もうこのまま今の自分を大事にして生きていきたいっていうふうに思ってます。
ゆいぴ:
ダブリューさんは自分のどんなところが好きなんですか?
ダブリュー:
好きなことは好きと言い、嫌いなことは嫌いと言うところです。
ゆいぴ:
それの何が良いと思います?
ダブリュー:
私はすごく倫理観というものを大事にしていて。席を譲るとか、募金をするとかっていうのを自分で出来る限りやろうと思ってるんですね。日本に帰ってきて、実はそういうのはみんなやらないっていうか、あんまりやってると変な目で見られるってわかったんですけど。でも俺のやってること間違ってないじゃないかっていうふうに思ったんですよ。たぶん自分が嫌いだと自分変えなくちゃって思うんでしょうけど、自分が好きなのでこれでいいじゃないかみたいな感じかな。ちょっと今のでご納得いただけたかどうかわからないですけど。
ゆいぴ:
もし自分のことを好きになれないダブリューさんだったとしたら?
ダブリュー:
死んでると思います。
ゆいぴ:
極端ですけどそれはなんで?
ダブリュー:
これまで何があったかっていうのを話したじゃないですか。短い時間だから事実関係を話しただけですけど、そのときの私の心境というのはもはや生きた心地はしません。次々次々と信じられない、普通の人が経験しないようなことが次々と起こってくるわけです。周囲の人間はどんどん悪意を持って、お前が悪いんだお前が悪いんだって言ってくるわけです。ですから、自分が好きじゃなかったらもう生きていけないと思います。今日まで私が生きてこられたのは、私が私のことを好きだったからです。好きじゃなかったら死んでます。
ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのは聞いていて、人生のことを話していただいた上での言いたいことでもいいですし、読者へ伝えたいことでもいいですし、インタビューの感想でもいいんですけど、最後に言いたいことが何かあればお伺いします。
ダブリュー:
そうですね。お前は悪い奴だって言ってくる人は、全員そいつが悪い奴だぐらいに思って、自分に対する批判全てスルーすることが正しいっていうふうに思ってください。たぶん批判されて苦しんでる人はいっぱいいるはずですから、あなたへの批判は全て正しくないぐらいに思ってください。っていうことですかね。そしたら読んだ人は少しは、もしかしたら楽に生きていけるかもしれない。
あとインタビューの感想としては、私はゆいぴさんに話を聞いてもらうことによって自分の中に化学変化を起こせるんじゃないかと思う、って話を冒頭にしたと思うんですけど。それを期待しながら話していって結局突き詰めると、自分は今変わる必要はなかったんだと。変わりたいと思ってインタビューしてもらったのに変わる必要はなかったんだっていうふうに辿り着いたのが、私はとても新鮮でした。もちろんゆいぴさんに聞いていただけたことに対する感謝はとてもあります。
ゆいぴ:
こちらこそ、ありがとうございます。
【インタビュー・編集:ゆいぴ】
#無名人インタビュー #インタビュー #大学 #博士 #うつ #海外
マガジンで過去インタビューも読めますよ!
インタビュー参加募集!
いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!