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デジタル言語学者の人に、聞いてみた【文明とは何か 質問編】

今回ご参加いただいのたは 得丸久文(とくまる くもん) さんです!


この記事には、講義があります。
講義編はこちら!

子供の言葉の教育ってどうしたらいいの?

qbc:
ありがとうございます。皆さん何か質問がありましたら、ぜひ質問してください。

mii:
得丸先生ありがとうございました。今私の置かれてる状況もあって、すごい興味深い話がいっぱいあったんですけど。私今台湾に住んでて、息子が2人いるんですけど。4歳と5歳なんで文字を獲得する段階なんですね、ちょうど。上の子はひらがな・カタカナ読めるんですけど、下の子はまだ全然興味がなくて読めてなくって、どうしようみたいなところもちょっとあったりっていうのが日常であって。

そういうのもあってちょっと今日のお話聞いてて、文字を獲得する段階で、文字列と音節列を行き来するこの能力が読み書き能力だっていうところのお話とか。ちょっと本筋と外れるとこなんですけどすごい興味深くて、文字を教えようというよりかは、もうちょっと音読とかそっちの、音読じゃないけど本読んであげるとか絵本読むとか、あと子どもとお話するとか、そういうふうに文字を音として入れるほうが先で、もっと言葉の刺激を入れてあげたほうがいいんだなって思いました。

私元々日本で小学校の教員をしてたので、文明の下部構造のところのお話で、教育機関で夕方に寺子屋で論語とか、そういったものを暗唱してっていうことがあって、それから文字を覚えるっていう話かなって思うんですけど。そういう学校の役割みたいなのも、ちょっと自分の中であって、他のところの部分のお話も、なるほどなるほどっていうふうに、知ってたところと知らなかったところが結びついて、すごく興味深くお話を聞かせていただいてとても面白かったです。ありがとうございます。

得丸久文:
お子さん、いい時期だと思うのでたくさん読み聞かせて、あるいは言葉遊び、しりとり遊びとかいろんなことやっていくと、あとひらがな積み木とかね。そういうのがあれば、絶対言葉を覚えると思うし。言葉を覚えたら、文字も自然に覚えていくと思います。

mii:
まず心の中の言葉を、言葉遊びとかそういうふうな子供が興味を持つような形で、増やすことがすごい大事なんだなってすごい思いました、今のお話聞いて。インダス文明か何かで、文字がなかなか残らなかったのが、紫式部がいなかったからじゃないかみたいな話があったとき、そこがすごい面白いなと思って。確かにその面白さっていうのが、言葉を繋げていくのにすごい大事なんだなってすごい思いました。ありがとうございます。

文化人類学ってなんなんでしょう?

ふわふわすふれ:
本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。聞きたいことなんですけれども、人間が偉いわけじゃないっていうのが大事っていうふうに最後におっしゃってたと思うんですけど、この考え方の背景にあるのは、やっぱり文化人類学的な流れも研究されてきたからなんですか?それともちょっと日本的な、日本思想の影響もあるのかなみたいなことを感じたんですけど。
人間だけが偉いわけじゃなくて、人間が偉いわけじゃなくて、やっぱり自然の中に人間を位置づけたりとか、人間も動物であってみたいな考え方から、文明であったりとか、環境問題みたいなのを考えていくっていうのは、すごく日本思想の跡みたいなのを個人的には感じたんですけど、どうなんでしょうか?

得丸久文:
ありがとうございます。文化人類学っていう学問は、僕はあんまりたくさん読んでないし、好きじゃないんですね。なんでかって言ったらね、多分ね、文化人類学とかね、あと国際関係論、言語学もそうなんだけど、おそらく第二次世界大戦のときのアメリカのスパイのね、年金代わりに大学のポストを与えたんだと思う。だからね、いろいろ言う割にはね、なんか目指すものがないんだよね、文化人類学っていうのは。この村では、こんなことやってますって書いて、そういう報告して終わりみたいな。なんかそういう気がしててね。

鈴木孝夫先生の『言葉と文化』(岩波新書)の冒頭にね、インディアンの言葉を研究しているアメリカの先生が家に来るんですよね。これ訪問目的は多分鈴木先生の家庭環境をスパイするためなんだけど。なんでインディアン語をやってるかっていうとね、第二次世界大戦中にアメリカ軍は、ナバホ語を暗号に使ったんですよ。つまりインディアンを各地において、ナバホ語で指令を受け渡すわけ。そしたらね、絶対に破れないんだ、その暗号は。日本軍は、薩摩弁と会津弁か何か使ったっていうんだけどね。それも破れなかったんだけど。
だからそういう人が、白人の先生だけど、鈴木先生のご自宅にインディアン語をやった人が来たっていうんだけど、戦争中に暗号としてインディアン語をやったからなんです。それを理由にハーバード大学に就職して、鈴木先生に伺ったところ、その人は結局死ぬまでたいした仕事をしないで終わっちゃったって言ってました。だから言語学、国際関係論、文化人類学っていうのはそういう点で、なんとなくかっこいいような感じがするんだけど、結局目指すものがなくて何か適当なことを言って終わりみたいな。「あんた何がやりたいの?」みたいな学問に終始している気がするんですよね。

だから、人間が偉いわけじゃないっていうのは、東洋思想であり日本思想に近いと思いますけど。問題は、やはりデカルトとかチョムスキーが言ってる文法がおかしいわけです。デカルトは『方法序説』の中で、「人間はどんな馬鹿でも文法が使えて、動物はどんなに賢くても文法が使えない。文法を使うためにはごくわずかの理性しか必要とされない。だから動物には理性がない。」というふうにはっきりと書いているわけです。デカルトの問題は、人間も動物であるっていうことを忘れてるし、それから理性の定義がないから、要するに文法を使ったらそれで偉いみたいになっちゃってるわけ。

でも文法ってのはそうじゃない、もっと別のものだと思うんですね。だから文法を使って偉いから、人間が全部の土地を人間のために使っていいとか、野生動物は全部人間が早い者勝ちでとっていいとか、そういうことをやって鯨が減ったり、バッファローもいなくなったんだよねアメリカで。そういう勘違いが起きてるわけですよ。

今でもそうだよ。今でも。ちょっと栗林さんに言ったけど、この間ね先月インドで、ユネスコの世界遺産会議があってね、南アフリカで11番目の世界遺産としてピナクルポイントっていう洞窟が世界遺産になったんだけど。そこでは人類の進化を示す化石は発掘されてないんだよね。
そこは、アメリカのアリゾナ州立大学がお金をたくさん使って発掘したんだけど、そこを世界遺産にすることによって、本当の言語進化が起きた、ブロンボス洞窟とかクラシーズリバーマウス洞窟というものを、世界遺産に入れないという、世界遺産のすり替えが行われたわけ。誰がそんなことをやったかよくわかんないけども、本当のことを隠して、人間が自然に言語を獲得したっていうことを、隠そう隠そうという人たちがいるわけです。

僕たちは動物じゃない、ということは人間は神様がつくったもので動物じゃないっていう意味になる。この間の2回目のインタビューでも言ったけど、動物じゃないってことは、人間は神様が作ったから何やってもいいという話になる。動物は人間に使われるため、殺されるために生まれてきたっていう考え方になるわけですね。そこら辺りの歪みがやっぱり世界をおかしくしてるっていうふうに思うわけですね。
それは日本思想なのか東洋思想なのかわかりませんけど、特にやっぱりヨーロッパ近代の、デカルト以降の考え方が植民地を広げたりして、間違ってるんじゃないかと思いますね。

ふわふわすふれ:
ありがとうございます。あとは私は哲学を勉強していたので、古典をきちんと読むっていうことの大事さをすごく大学の先生にも教えられたところで。誰々という哲学者において哲学することが、解釈論文というスタイルで大事なんだよっていうことをおっしゃられたのを、すごく思い出して。
古典以外にも読んだりとかすることもあるわけじゃないですか、現代で。そういうときに情報の取捨選択みたいなところで、気をつけるべきこととかあれば教えていただきたいです。

得丸久文:
それはねとても大事な質問で。古典だってね、やっぱり間違ってることもあるわけですよね。例えば、孔子の論語とかね、孟子なんかもとてもいいけど、やっぱり全部が全部いいとは言えないかもしれないわけですよね。
それを、吉田松陰は『講孟箚記(こうもうさっき)』(講談社学術文庫)の中で、とにかくどんな立派な本だって鵜呑みにしてはいけない。自分の頭で考えなさいっていうことを、はっきり書いてますよ。なかなか読書でそういうことを言う人は少ないんだけどね。で、どういうふうに選ぶかっていうと、やっぱりね本っていうのはね、読んでみないとわかんないんですよ。良い本も悪い本もね、読んでみないことにはわかんない。
その読むときに、やっぱ1回ははじめから終りまで全部読まないと良いとか悪いとか言っちゃいけないと思う。1回通して読んだとき、やっぱりこの人は本当に自分で思ったことを書いてるとか、あるいはいい加減なこと書いてるかとか、あるいはゴーストライターがいるかとか、人のものをパクッたとか、寄せ集めとか聞き書きを書いてるとかね、そういうことに気がつかなくてはならない。そういった雑な本がいっぱいなわけですよ。本屋で1000円ぐらいで売ってる本なんて大体そういうの、誰がこういった彼がこう言ったっていうふうに書いてる本ばかりですよ、そういうのはよくないわけですよね。
やっぱり自分の頭で考えた、一生懸命考えた結果を書いているっていうことを感じる本だけを選んで読まなければならない。そしたらね、間違っててもいいわけ。仮に間違ってても、この人はこういうふうに、こういうふうに生まれ育ってこういうふうに考えたから、こういうふうに書いてるんだなと。
でも今は時代が違うから、もうそれは駄目だね、こう考えるべきだとかね。そういうふうに読者が自分で訂正できるわけです。だから、本人が自分の頭で一生懸命に書いたこと。嘘なくね。嘘偽りなく書いたこと。いい加減な引用をしてないことね。
大体引用なんてのはするときに、例えば誰がこういったっていうときに、本当にそれが正しいかって言って、確認してから引用してる人ってあんまりいないですから。安易な引用をしている人は、やっぱり信用できないですよね。だから本当に本を読むのは難しい。良い本が少なすぎるから。

デジタル言語学でも一番難しかったのは、ジョン・フォン・ノイマンという数学者の本で、中央公論の「世界の名著、現代科学II」の中に、ジョン・フォン・ノイマンの講演録が30ページぐらいあるんですけど、何回読んでもわかんないよ。
「この人頭おかしいんじゃないか」って思ったね、最初はね。「全然わかんないよ、これ」と思った。読んだはずなのに、なにひとつ頭の中に残っていなかった。でも読んでいく中で、繰り返し繰り返し読んでいく中で、「これはわかる」とかね。「これってどういうことかな?」みたいなことが、ちょっとずつやって100回読めば少しわかるようになるみたいな。そういうふうにして読むのが一番いい本だと思うんですね。
だから、ジョン・フォン・ノイマンなんておそらく20世紀の人類の中で最も頭が良かった人だと思うんだけども、そういう人が書いたものを、骨が折れるけれども、謙虚に、繰り返し読む。わかんないけど、でも嘘は書いてないし、いい加減なこと書いてないし、人からの聞き書きではないと。「なんか書いてあるな、この言葉なんだろう?」みたいな感じで、その言葉をいつも念頭に置いておくのね。すると、「あ、これと関係あるかな?」みたいなことが見えてくる。

さっき概念っていう話をしたけど、ピアジェ、ジャン・ピアジェっていう教育心理学者、発達心理学者の『知能の心理学』って本があるんですけど、その中で彼は、群のこと何度も書いてるんですね。群の足し算とか掛け算ということを、何度も書いてある。「一体何が言いたいの?」ってわかんなかった、ずっと。もう本当に10年ぐらいわかんなかったです。でもいつもそれは念頭に置いといて、「あ、ピアジェは概念というものを正しく使うためには、概念が群の要件を満たしておくということが大事だから、群ということを持ち出したのかな?」とひらめくんです。

つまり、概念には、例外がないっていうことが大事だとか、定義がはっきりしていなければならないというのがあって、そしたら概念は数学的な群の要件を満たす。数学で言うと、群は演算について閉じているんです。演算について閉じているって言うのは、つまり、群の足し算とか群の掛け算をやった後に生まれた新しい概念も、やっぱり群である。群の要件を満たす。そのことを閉じてるって言うんです。つまり、概念操作をした後に、それも概念が生まれるっていうことで。優位な、意味のある概念操作ができる。そのためには、概念は群の要件を求めなくてはいけないっていうようなことを、多分ピアジェは考えてたんだと思うんですよね。

そういった感じで、良い本っていうのはね、もう取り付く島がないぐらいわかんないんですよ。最初。でもそれを置いとかないで、常にそばに置いとく。で、思い出して読むとか、そういうのがいいんじゃないかなと思います。

文明の「質」とは何か?

本州:
ありがとうございました。インタビューを編集して、前回の特別講義を編集して、今日の話を聞いて、ようやく30%ぐらい分かったのかなっていうところが、正直なところです。でもすごい今日のお話も面白かったです。

私の今日の一番の発見というか驚きは、文字体系が文明の性質を決めるっていうところで。それを聞いたときに、性質じゃなくて、質を決めるって言えるのかなって思って。
っていうのは漢字が最後発文字で、効率的で優れていると。ぱっと見ただけでわかるから優れているっていうふうにおっしゃってたと思うんですけど。っていうことは、何と言えばいいのかな。文字に優劣があって、かつ、文明にも優劣があるって言えるのかな?っていう。
すごいちょっとうまく言えないんですけど。
例えばよく言うじゃないですか。日本語はひらがな・カタカナ・漢字の、3つも使っていてすごく複雑だから、インテリジェンスが高いとか言う人も、私も実際そういう言ってる人も見たことあるし。優劣っていうものを、性質じゃなくて質の高さとか低さは、文字とか文明に当てはめることができるのかなと。すごく説明が下手で申し訳ないんですけど。

得丸久文:
難しい質問だと思うんですけど。今、中国が多分アメリカを追い越してるよね。僕は人工衛星とか宇宙開発の世界をみてきたんだけど、中国は最初はアメリカの真似ばっかりやってたんだ。だけど、あの人たちがすごいのはね、人の真似するときにね恥ずかしそうにしないのね、堂々と真似するのね。
「これ真似だから」「へえ同じなの?本当に同じ?」「もう全部同じ。」っていうぐらいの胸を張って堂々と真似すすんですよ。それでやり方を覚えて、それからだんだん自分のものを作っていくとかね。なんかそういうことやっててね、人工衛星の作り方で。
日本なんてねアメリカとちょっと変えて、日本の独自性を打ち出した衛星を作ったりしてた。それは、なんかちょっとやっぱり弱いというかね、あまり意味のないところにわざわざオリジナリティを求めようとするっていう感じです。そういうことは中国の人たちはしないんですよね。だから、そういう点で言うと、中国ってのはやっぱり新幹線だってね、事故は最初起こしたけど、今や4万キロぐらいあるんでしょ。地球1周分ぐらいもう、中国の新幹線走ってるって聞いたけど。なんかすごい力持ってる人たちだと思いますよ。

ただ一方で環境破壊とか、それから平気でね変なものを人に食べさせる。ミルクの中に何か変なものが入ってたりとかするから。そこら辺どうなのかなって。孔子や孟子の教えが中国の人たちに今伝わってるのかなとか思ったりするんだけど。古典がね生きてるのかとかね、わかんないから。僕も中国はもう20年ぐらい行ってないかな。最近はね、中国もなかなか電子マネーとか持ってないと生きていけないとか、そういう話も聞いてるけど、行ってないからわかんないんですけどね。

ただ、文字が質を決めるという点においては、やはり両雄は漢字と英語でしょうね。日本語ももちろんそれなりによくできた言語なんだけど、世界制覇というか世界支配というかですね、そういうことができるだけの能力を持っている言語は英語か、中国の漢字、漢語だと思いますよ。英語は、アルファベット26だけで全部の言葉を表現できるっていうのがすごい。漢字に近いですよね、ある意味で。throughとねthoroughとねthoughとかね似たようなのを見て、ぱっと違いがわかるでしょ。だから形で覚えちゃうわけですよね、英語も。toughとthroughとthoroughとthoughとかがね、ぱっと目で見て違った音に聞こえるとこは漢字に近いかもしれない。

その辺で結局その2つが世界言語になった。世界言語はこの二つかもしれないですよ。日本語もよくできてるんだけど、なんかちょっと弱いよね。結構雑だもんね。同じ漢字でもいろんな読み方があるし。概念の使い方とかもねかなり雑。それに日本人って何か偉そうな先生が間違ったこと言っても、誰も批判しないしね。そういうぱっと批判できる、「これ間違ってますよ」っていうようなことを言える言語が本当はいいわけですよね。
そういうことは、どの言語でもみんなしないのかもしれないけど、英語とか中国語のほうが日本語よりやりやすい気がしますけどね。話が答えになってないかもしれませんけど。

パキスタンはね、ウルドゥー語です。それはヒンズー語に近い。だけどヒンドゥー語とウルドゥー語の違いは、パキスタンはアラビア文字を使ってるんですよ。要するにインドとパキスタンが分離したときに、パキスタンはイスラム教国になったんで、文字をアラビア文字にしたんですね。これはすごい不便だと思いますよ。だから識字率が50%くらいです。
それでね、パキスタンの学会行ったときにね、正書法を何とかして作りたいっていう人がいたわけ。でも簡単じゃないんだよ。本当に簡単じゃないの。読み書きの正書法の体系を作るっていうのは、本当に難しい。1人じゃ絶対にできないですよ。
だから、文字改革やったっていうのがトルコのアタチュルクなんかがね、アラビア文字をアルファベットに変えたりしたでしょう。あるいはインドネシアがね、アルファベットに変えたとか、結構な苦労して、その結果トルコとインドネシアは伸びてる国ですよね。

だからそういう努力をした国ってのはやっぱり、それなりの発展があるっていうような気がします。アフリカなんてもう、旧宗主国の言葉、例えばモザンビーク行ったら、モザンビークの大学の購買部で教科書は全部ポルトガル語しかないわけね。そうなってるわけですよ。もう旧宗主国の言葉しか選べない。そういう意味でやっぱアフリカは発展しないですよ。一度植民地化されて、それが長期に及んで破壊されつくしてしまったこともあるんでしょうけどね。アジアのトルコとかインドネシアなんかは、伸びている。タイなんかタイ文字を使ってるんですけど、それでも伸びてますよね。

だから、質の比較ってのは簡単じゃないと思うんだけど、やっぱり文字とか文字体系を大事に思っていて、国民とともにそれを使っていこうっていう国は、やっぱり伸びてますよね。ちょっと答えになってなくてすいません。

人類が滅亡するって本当ですか?

夕星:
ちょっと初めての言葉がたくさんあるので、これからちゃんと勉強しようというふうに思っているところなんですけど。ちょっと話とずれてるのかもしれないんですけど、前のインタビューのときに1986年にもう、滅亡のスタートが切れてるっていう感じの話をされていて。それっていうのが、文明の発展が停滞している、停滞というか。その何ていうんですかね。例えば正しい道があってまっすぐ続くところが、逸れてしまってるみたいな感じのっていう意味なんですかね?発展しないとか滅亡するみたいなところの定義じゃないですけど。

それが知りたいのと、あと逆に、思い出したのは手塚治虫とかで、文明が発展しすぎて崩壊するみたいなイメージがあるんですよ。良い発展をしたとしても・・・。それは良い発展じゃないのか。
火の鳥とかで文明が崩壊して、AIが逆転というか、人類を滅亡させるみたいな感じで、また初めから始まってナメクジの社会になってみたいなのを、すごい思い出したんですけど。何かそこって結局良いというか、正しく発展していったとしたら、半永久的に続くのか?結局良い発展をしても、ずれてしまって発展をしていっても、結局文明っていうのはどっかで切り替わるものなのかな?っていうのを。ちょっと話が違うかもしれないですけど、そのへんを思ったっていう。

得丸久文:
いえいえ、それぐらいずれてるほうが、返って面白いです。86年になぜ人類は滅亡していると思ったかというと、やっぱり最大の問題は人口爆発ですよね。つまり、1960年代から、僕らが小学生の頃、72年のストックホルムの国連人間環境会議っていうのがありましたけど、あのときに国連のウ・タント事務総長っていう、ビルマの方ですけど。人口が35億もいるって言ったんです。35億もたくさんの人間がいて、世界は大変だって言ったわけですね。今、80億だよ。

2002年のヨハネスブルグサミットのときに、北沢洋子さんっていう、女性のエコノミストでアフリカ問題をやってらしてね、学生の頃から知ってて、僕はとっても好きだったんだけど。彼女にね、もうこんなに、人口同時60億だから、「こんな人口やっぱりまずいですよね?」って言ったら、彼女がね「いや、90億まで大丈夫。」って言ったんだよね。それに対しては失礼ながら「本当かな?」と思った。
それで、じゃあどこがPoint of No Returnというか、もう破綻しかない人口爆発が今起きていて、もう戻れないポイント、もう破綻するしかない。つまり、食べれない。人間が食べるものがなくなる。それで戦争が起きたり、まさに戦争が今起きつつあるわけだけど。人口を減らせばいいとか。

Point of no returnっていうか、もう戻れない、何やっても遅いっていうもう破滅が決定付けられていた。それはやっぱり86年だなと思うんですよね。「もう80億いるのに、まだみんな生きてるじゃないですか」っていう人いるかもしれないけど、どんどん死ぬ人も増えてるわけだし、大変なわけです。だから人口爆発という点で、50億人を超えたのが86年ですね。

それが一つの節目かなと思ったわけです。文明が発展すると崩壊するしかないということをさっきおっしゃいましたけど、多分文明の定義によるわけですよね。まさにここで今お話したように、文明というのが、人間がひたすら学ぶことによって、過去の人々の書き残したことを学んで、今生きる人が正しい知識に近づけるということであれば、自然と調和しながら、自然をリスペクトしていく文明になると思います。
蚊取り線香ぐらいたいてもいいけどさ。なんでもかんでも虫を殺したりとかねしたら、やっぱり受粉もしないわけだから。カボチャも実らないわけだから。そういう自然と適度な調和を保ちながら。ひたすら人間が学ぶ。お金貯めたいとか、ブランドバッグ持ちたいとかね。そういう物欲に引っ張られないでね。嘘ついてでもお金儲けたいとか、そういうことしないでね。

この5000年来のメソポタミア以来の文明の歴史を見たら、そんな物にこだわるよりは、学ぶ喜び、伝統を学び伝統に貢献する喜びの方がいいんじゃないかっていうふうに思う。みんながそう思い始めれば、文明は、まともになっていくんじゃないかと思うんですよね。
文明というと、今までは文明とは何かがわからずに、物質文明っていうか、文明が発展した結果、物がどんどんできてきて、それを持っちゃうと嬉しいわけじゃない。犬でも猫でも。犬だってサンダル集めたりするわけだからね。そういう感じで、たくさん家にね「うちにはエルメスのバッグが20個ある」とか、そうやって数えて喜んでる人もいるわけだろうけど。みんなそういうとこあるわけですよ、やっぱり。何かたくさんあると嬉しいみたいなね。誰だってあるわけでね。

でもそういうところを乗り越えて、やっぱり学ぶ喜び・共に語る喜びとかそういうとこへ戻っていけば、文明というものが正常化していくというか、本来の文明に戻るんじゃないかなということは思っていますね。文明が発展したから滅ぶっていうのは間違いで、文明とは何かが正しく理解されていないから、間違った形で文明が利用されているから、今は滅びかけているって思う。本来文明っていうのは、良いものです。
だって、そうでしょ?百人一首をみんなで記憶だけをたよりに思い出したりするなんて、素晴らしいことだと思う。そういうものが最高の喜びだよ。僕はね、学ぶ喜びが最高の喜びだと思いますよ。いろんな喜びの中で。そうでしょ、皆さん?何か新しいことを学んで、「あー!もうちょっと勉強しよう」っていう気になるときのその自分たちの中でアドレナリンが出てくるっていうか、知恵熱が出てきてもっと勉強したいなって思う。そういう喜びが人間にとって最大の喜びだと思うんですよ。だからそっちの方へ人間が戻るっていうことがね、大事なんじゃないかなと思うんですよね。

だから今の時期は、滅びたっていうことに関して言えばね、今のままの現代社会はもう滅びてますよね。でもそしたらどうするかっていったら、そこで投げやりになるんじゃなくて、今滅びた中で、「自分ができる最大の学習はどうしたらいいだろう?」と。「何を学び、どうしたら人の役に立つか?」とか、「どうしたら人と喜びを共有できるか?」とか、そういう形に自分を持っていければいいんだよね。
だから、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。論語の言葉だよね。朝、自分が何やればいいかわかったら、もうその日の夕方死んでもいい。やっぱりまだみんなそれがわかってないわけですよ。みんな。

テレビとかね。テレビとか最近特に質が悪いと思ってもう見てない、うちにはないけど。見るとね、もう心が乱されてね、もう耐えられなくなっちゃいます。そういうものから距離を置いて、静かな環境を求めて、学習とかそういう喜びへいけばいいと思う。どうなっても、例えば食べるものがなくなったら、少しずつ分ければいいとかね。なんかそういう、みんなで楽しめる方法を、少しでもみんなが楽しめる方法を考えていく。

食べるものなくなったから盗みに行く、とかじゃなくてね。みんなで楽しくなるような方向に持っていけるようなことをやったら、文明・人類が滅びていたとしてもその中で、喜びある日々が、人生があるんじゃないかなとかね。そういうふうに思うんですね。ちょっと答えになったかどうかわからないですけど。

夕星:
ありがとうございます。

qbc:
何か追加でまだ聞きたいことあります?

夕星:
今お話聞いてて、貨幣社会っていうとちょっと大きいかもしれないですけど、そういうのと関係あるんでしょうか?貨幣社会というか、社会主義と資本主義だったら、経済の発達速度が違うみたいな。文明とはまた少し違うのかもしれないですが・・・。

得丸久文:
答えになってるかわかんないけど、日本の戦後ってね、実はものすごくサラリーマンが恵まれた社会なんですよ。戦争に負けたときに何が起きたかっていうと、株式持ち合いっていうのが起きたのね。外資に株を乗っ取られないために、会社が別の会社の株を持つようにして、株主がどこにもいない社会ができた。それを株式持合っていう。例えば、日商岩井っていう会社があったら、その株式は他の会社が持って、その会社の株主は日商岩井だとかね、なんかそんな感じで。なんて言うの、どこにも人間がいない、どこにも生身の人間生身の株主がいない社会ができたわけ。だからすごい長い間、日本は株式配当をしなかったんですよね。日本の株式社会は配当しないってのは有名だったわけ。だから株っていうのは上がり下がりでやるだけで、配当利益は期待しないっていうのがいわゆる90年ぐらいまで続いた。

株式持ち合いをやったから、株主のいない資本主義だった。だから会社はやたら保養所を作ったり、社員研修とかやったり社員旅行とか行って遊びに行ったりとか、してたわけですよね。お金の使い道がないから。株主に配当しないからね。いわゆる労働分配率っていう言葉があって。労働分配率っていうのは、利益のうち何割を資本家が取り、何割を労働者が取るかという指標です。僕が入った80年代初頭の日本は、労働分配率は6割だった。労働者が6割利益をもらったんですよね。すごい高かった。世界でも珍しいぐらい。

で、結果的に小金持ちがたくさん増えたんですよ。小金持ちが。一部上場、大企業に行ったら5000万ぐらい退職金もらって、年収1000万とかで、お金たくさんあって、でも家が高かったりとかするんで、そういうのは大変なんだけど、それでもみんな持ってるわけですよ。でも、使い道をね、やっぱりお金ってのは使うためにあるから、貯めるだけではしょうがなくて、どういうふうに使うかっていうところはあんまり考えなかったね。みんなあくせく働いて、有給休暇すらとらないわけでしょ。有給休暇を取らないなんてね、馬鹿みたいなもんですよ。1ヶ月分の給料が50万円だとしたら、毎年50万円をドブに捨てるようなもんですよね、有給休暇を取らないっていうのは。

そういう社会でね、奴隷社会っていうかね。周りを気にして休まない。だから日本の良いところもあるし悪いとこもあるんだけど。それが90年代にリビジョニストっていう、アメリカのウォルフレンとかが、日本の護送船団方式とかそういうものにメスを入れてきて、コンプライアンスとか言いながら日本の会社を裸にして、株主の言いなり。ハゲタカファンドの言いなりになるように持ってっちゃったから、今日本こんなふうになって、労働者が不幸になってるわけですよね。そういうふうに社会がなっているわけ。

だから資本主義がいいかとか、社会主義がいいかとかいうのはわかんないけど、社会主義っていうのはだからそういう点では、いろいろ大変だったりするんだけど、貧しいながらもよく勉強してたよね。ロシア人の研究者はよく本読むよ。寒いとこに住んでるせいもあるんだろうけど。ちゃんと読みますよ。お金なくてもね。だから本を読むってやっぱりね、本を丁寧に自主的に、自分の目で読んでね、自分なりに読んで、それを消化していくみたいな能力が文明を発展させるわけです。

やっぱり寒いとこのほうがそれは良くて、日本っていうのはやっぱあんまりその辺がね、駄目なんだよね。やっぱり本をちゃんと読まないよね、偉い人もあんまりね。有名な知識人がワーッと宣伝されて出てきたりするんだけど、マスコミの戦略でね、でも読んで見てもあんまり面白くない。いろんな話題になってる人とかでもね。そういうとこがちょっと不幸な国です。

お金っていうのは、人間だけが持ってるわけですよね。つまり他の動物はお金は使わないし、貯金なんかしないわけで。ちょっと不自然なんだよね、お金っていう存在がね。お金をあるときは使って、ないときは使わない。それでいいわけだけど、あるときに使うときに、良い使い方をすれば、キャバレーとか行くんじゃなくてね。自分を豊かにする旅行に行くとか、本を読むとかあるいは劇場に行くとか、いろんなことに使えば良いじゃない。そういうのをあまりみんなやってこなかったよね。

もっともっと日本人はそういう知的な遊びを、もっと遊べばよかったと思うんですよ。いい意味でね。もっと世界を旅して、本に書いてある現場に行ってみようとか。まだフラメンコとかね勉強しに行く人とか、フラダンス勉強しに行く人とかそういう現場行って習ってきたりしてて、ああいうの素晴らしいと思うんだけど。そういう遊び方をね、もっとしたらね、今からだっていいよ。今だって結構みんな貯金持ってたりするわけだから、親に借りてもいいしね。とにかくなるべくね、やっぱり自分が楽しいと思うことを現場に行ったりしてね。現場に行って学ぶみたいなことをやれる民族だから、日本人は。
そうしたらもっと日本は発展するっていうかね、面白くなると思うんですけど。人目を気にしないでね。答えになってるかどうかわかんないんだけど。

夕星:
ありがとうございます。

qbc:
ありがとうございます。この辺りですかね。今回はちょっと人数も多いので、感想文は書いていただけたらなと思ってますね。当初の予定にはなかったですけれども、その方がちょっと先生にお返しができるかなと思いますのでね。

得丸久文:
文明ってね、やっぱりね複雑なんですよ。複雑だからね、本当に文明って何かわかりにくいんですよ。今回は私なりに捉えて、これじゃないかと思うようなことを話したんだけど。かなりいい線いってると思うんだけど、でもそれは逆にね、文明がものすごく大変なことであることがわかるんですよね。
文明はみんなで前に行かなくちゃいけない。力を合わせていかなくちゃいけない。そういうものでね。思ったより大変だなと思うんだけど。でもこういうのを理解して、みんながそれをみんな理解したら、もっと面白くならないかなってことを期待してますね。

この先もっと複雑なんだよ。この後。これ4回目ですよ、5回目が概念。6回目がビットで、7回目が前方誤り訂正という。教科書が間違ってるときにどうやって直すかって話になるからね。前方誤り訂正なんて皆さん聞いたことないでしょ?Forward Error Correction。これはデジタル通信専門用語ですよ。そこまで行くんだけど。ちょっとそれはね、大変すぎて。でも、今本当にね、音節から文字、文字からビットで、1億倍ずつ複雑になるぐらいの感じで考えておかないといけない。

qbc:
本日もありがとうございました!!!!!

この記事には、講義があります。
講義編はこちら!

感想コーナー

本州感想

本日も貴重な講義をしていただき、ありがとうございました!
インタビューでも、前回の特別講義のときも、今回の特別講義でも感じたことですが、「用語の定義」は非常に重要だなと思いました。しっかりとした定義が共有されて初めて議論ができる。定義は議論の土台になるし、これがないとそれぞれの理解で・前提で話が進み、言いたい放題で何の収穫もない。議論という名の揚げ足取りで終わり、真のcriticalなどどこにも存在しなくなってしまう。定義がしっかりしていないと、時間を無駄にする。個人的にはそのように感じました。
今回、文字と文明というテーマでお話しいただきましたが、約1時間の講義、それから質問の時間も全てが、「文明とは何か」「文明の定義は何か」という複雑で壮大な問いへの伏線で、精密な網目のように張り巡らされ絡み合っていて、自分の頭の中でそれぞれがつながった瞬間(そんなに多くはないですが)が爽快でした。私は今「学ぶ喜び」を全身全霊で感じているのかもしれません。今ようやく得丸先生のお話の30%ぐらい(もしくはそれ以下)を理解できたところだと思っているのですが、分からないなりに「言語について考えることは、人間という生き物について(我々はどのような生き物か)考えること」というのを体感できていることは確かなので、非常に幸せです。
次回の講義も楽しみにしております。ありがとうございました。

ふわふわすふれ感想

音節が「消えない音節」という名の文字になったことにより生じた現象が文明であるというお話を伺った。文字の誕生により、書き残されたものは著者が死んでも、時空を超えて生き続ける。それを「不死」であるという言葉で説明されていた。私はそこに、深みを感じたのであった。不死は言い換えれば、永遠ということである。不死、永遠―そういった言葉に出会った時、哲学を勉強したことがある者ならば、実在や愛という言葉が頭を過ぎるのではないだろうか。ロマンチックすぎるだろうか。
戦争や環境破壊・汚染といった重大な問題を我々は抱えて居る。しかし、一人一人が自らを動物であり自然の一部として捉え、日々学べば、未来に希望はあるかもしれない。学ぶことを通じて分断を乗り越えることができるかもしれないと講義を拝聴して希望を持てたのである。そのような世界は、愛の世界なのではないだろうか。「哲学」はギリシャ語で「フィロソフィア」である。フィロソフィアとは知を愛するという意味である。学ぶことは愛なのだと改めて感じた次第である。

mii感想

前回のお話を拝聴した時に、デジタル進化、DNA、RNAの話などが私にとってはイメージしにくく何度も読み返しましたが、今回は直接お話を聞けて、かつ自分の現在の興味の範囲につながるところが多く、前回より理解できました。今後のお話を続けて聞くことで前回と今回のお話と繋げて考えると、前回分かりにくかった部分もよりはっきりしてくるのかもと思いました。他の参加者の質問について、私も同様に抱いた疑問もあれば、私の中になかった疑問も出て来て、考えをまたかき混ぜられて楽しかったです。

夕星感想

日本語という言葉や文字で他者とコミュニケーションをとることが当たり前すぎて、それがどのように生まれたのかということを深く調べたことはなかったのでとても興味深かったです。
今回、文明と文字の関係について講義を受けて、この世界の始まりを改めて知ったように思います。
正直古代4大文明と聞いても、今までは「違う世界の出来事」「教科書の中の出来事」といったようなイメージで、自分から遠いものという感覚が強かったのですが、今のこの世界はそれらの世界の地続きなんだと感じました。
日本人がいて、日本語があって、日本という文明(というのか文化)があることが当たり前になっていますが、この文明を半永久的に存続させるにはどうしたらいいんだろう、逆にこの文明の衰退を早める要素ってなんだろう、と考えるきっかけになりました。

qbc感想

デジタル言語学というコンセプトで人類史をぶち抜くロマンあふれる言説です!!!!!

【編集:本州】

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