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エゴを超えた先に自分と世界が融合した世界があると思う人

むかしむかし、ある山奥の村に、求道(ぐどう)という名の若い僧侶がおりました。求道は日々、自我を捨て、悟りを開くことを目指して修行に励んでいました。しかし、どれほど努力しても、自分の欲や執着から逃れられないことに悩んでいました。
ある日、求道は夢の中で不思議な声を聞きました。「汝、滝に打たれよ。そこで真理を見るだろう」と。
目覚めた求道は、村はずれにある大滝を思い出しました。彼は迷わず滝へと向かい、その冷たい水に身を投じました。
滝に打たれながら、求道は突然、自分の体が透明になっていくのを感じました。そして、周りの自然と一体化していくような不思議な感覚に包まれたのです。木々のざわめき、鳥のさえずり、川のせせらぎ、すべてが自分の一部のように感じられました。
その瞬間、求道は悟りました。自我にとらわれていた自分が、実は世界と一つであったことを。エゴを手放した先に、自分と世界が融合した美しい世界が広がっていたのです。
求道は滝から上がると、すっかり穏やかな表情になっていました。村に戻った彼は、人々に優しく接し、自然を大切にする心を説きました。そして、「自分と世界は別ものではない。すべては一つなのだ」と教えました。
村人たちは最初、求道の言葉の意味が分かりませんでした。しかし、彼の穏やかな態度と深い慈しみに触れるうちに、少しずつその真意を理解していきました。
やがて村全体が、互いを思いやり、自然と調和して生きる場所へと変わっていきました。人々は自我を超えた先にある、世界との一体感を感じ取るようになったのです。
そして求道は、最後にこう言いました。「エゴを超えれば、自分も世界も、すべては一つ。その境地こそが真の幸せなのだ」と。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月20日2時21分に書く無名人インタビュー866回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 三木康司 さんです!

年齢:50代後半
性別:男性
職業:イノベーションスクール経営
営利活動 AI時代のいきがいを追求:zenschool(ゼンスクール)

非営利活動 禅とマインドフルネスの世界最大の国際カンファレンス:Zen2.0

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プロフィール


現在:禅をベースにしたちょっと問答みたいな感じで、その社長さんがどういうことやりたいなみたいなところから、新規事業を引き出すというか、一緒に作っていくみたいな、そんなことやってます。

qbc:
今何をしている人でしょうか?

三木康司:
今何をしてる人…Zen2.0という非営利の禅とマインドフルネスの国際カンファレンスを運営しつつ、中小企業の新規事業の立ち上げのお手伝いの仕事をしている人です。

qbc:
どれぐらいの比率で動かれてるんですか。

三木康司:
非営利の方が8割ぐらいですね。本業は2割ぐらいですかね。はい。

qbc:
本業はどっちですか。

三木康司:
本業はその中小企業の新規事業の立ち上げ。

qbc:
それが2割くらい?

三木康司:
それが2割くらい。

qbc:
そうすると本業ってどういう意味で使われてるんですか?

三木康司:
本業、まあ要は、お金を稼ぐ方はその2割ぐらいの時間でやってて、収入にならないのが8割の時間を使ってるっていう。

qbc:
中小企業の新規事業の立ち上げは、何か特殊なことはありますか。

三木康司:
特殊なことは社長さんの相手が多いので、ちょっと前までは製造業が多かったんですけども、最近はサービス業とかITとか、コンサルティングみたいな方も割と増えてきてますね。

qbc:
一般的な中小企業向けのコンサルティング?

三木康司:
コンサルティングというかイノベーションの学校みたいなのをやってまして。そこも禅をベースにしたちょっと禅問答みたいな感じで、その社長さんがどういうことやりたいなみたいなところから、新規事業を引き出すというか、一緒に作っていくみたいな、そんなことやってます。

qbc:
その禅っていうのは何なんでしょうかね。

三木康司:
そうですね、ちょっと前の過去の話に戻りますけども2008年とか9年ぐらいだったかな、リーマン・ショックってのがあって、それで私あるベンチャーの役員やってたんですけども、そのときに上場のお手伝いというかそういうのも役割であったんですけども経済危機で、非常に業績が悪くなってしまったので、給料高い方がやめてくださいみたいな感じになってちょっとリストラという形になったんですけども。
それまでの9年間にベンチャーなので夜も昼もなく働いていたっていうところがあって、それで非常にその突然のリストラということが非常にショックで、ちょっと鬱の状態になりまして、自分の心を取り戻すために自宅で坐禅っていうのを始めたところ非常にメンタルが落ち着いてきて、その禅の最中に本当は仏教ではそれは良くないということになってるんですけどいろんな雑念っていうのが、湧いてくるんですけども、その雑念の中に新規事業のビジネスのアイディアがどんどん出てきているので、そういったの瞑想、禅と対話を通じて、その方の心本当にやりたいことを取り出すっていう手法を今13年目から、2011年から13年目なんですけども、それがzenschool(ゼンスクール)というイノベーションを取り出す学校っていうのをやっています。
そういった意味での禅を使った新規事業の創出っていうのをやってます。

qbc:
今、具体的にどういうことをされてるんですかね。

三木康司:
具体的にはこちらの鎌倉にあるスタジオの方に来ていただいて、大体2日ぐらいのコースなんですけども、上限3名までしか受けられないんですけども、ここでビジネスの関係でなかなか本音が言いにくいっていうところもあるので自己開示っていうのはですね、自分の人生みたいな。まず半日以上かけてやってですね、そのそこで話されたことは基本的に、秘密ということで、お互いに守秘義務を結んだ中で、そのそれぞれの社長さんの生い立ちとか、今抱えている悩みとか、これからどういうことやりたいのかみたいなのも3人に共有して、それで何でも言える環境になった後に、初めてあのちょっと短めの瞑想を30分ぐらいちょっとガイドさせていただいて、その中で本当に自分のやりたいことっていうのがちょっと取り出すようなワークがあるんですけどそれをやって、それを今度その後具体的な事業プランの方に組み替えていくっていう作業をして、大体その2日間が終わった後には大体自分のやりたい事業というのはある程度取り出せてるので、それを1ヶ月ぐらいかけてその後フォローアップして、実際に事業計画にしていただいたものを1ヶ月後に発表していただいてその発表を聞くのは基本的にそこのzenschool(ゼンスクール)の卒業生限定で、そこは秘密が守られるという前提で発表していただいて、さらにその発表の後6ヶ月間、定期的に、その3名の方がオンラインあるいはリアルで集まって自分の事業の進捗を共有しながら、お互いにバックアップして事業がローンチするまでサポートすると、そういったことをやっています。

qbc:
この3人の方っていうのはそこで初めましてっていう方達?

三木康司:
そうですね、ほぼほぼ初めまして。簡単なバックグラウンド情報はそれまでに共有してますけども基本的に初めてです。

qbc:
今のスタイルになってから何年くらい経ってますか?

三木康司:
そうですね、スタートしたのが2011年の震災の月からなので、そのマインドフルネスっていう瞑想を使うようになったのは、たぶん2012年とか13年ぐらいだったかな。そんな感じですね。

qbc:
じゃあ3名で始めて自己開示からやろうみたいなそういうメソッド的な部分も、その2011年、12年当時にガチっと決まってたんですか。

三木康司:
それはもう13年ぐらいかけてだんだんバージョンアップしてきて、今の形式に落ち着いたのがこの5、6年ぐらいですかね。

qbc:
5、6年くらい。なるほど。その安定してきたというかフォーマットができた段階でどんな感じになってますかね。

三木康司:
どんな感じっていうのは?

qbc:
受けてきた人たちの感じとか。

三木康司:
その卒業生の中に、具体的な社名を挙げるかどうかわかんないですけど空飛ぶ車を作った人がいるんですね。大手自動車メーカー出身の方で。
それまでもその社内の方でそういうことに取り組んでこられたんですが、やっぱり10数年前に空飛ぶ車作りなんてぶっ飛んだことは大手メーカーの中ではちょっとタブーというか馬鹿にされていたっていう感じで、結局、プロジェクトが取り潰されるということになってそれでこう(企業を)辞められて、僕らのzenschool(ゼンスクール)の方に来られて、本当にそれをやりたいのかどうかっていうことを対話しながら、結果やっぱりやりたいことになって。
卒業後自身の会社を作られて、僕らもそこまでいくとは思ってなかったんですけども147億円調達されて、今多分結構メディアとかでも有名なってるんですけども、実際に2号機まで作られて、もう飛行機の車の準備をいろいろされてるっていう方がいらっしゃったりとか。
あとは別の方は20数年間自動車メーカーで、部品メーカーで働いていた方がいらっしゃるんですが、こちらに来られたのが51か2(歳)ぐらいのときでして、その自分が3次元の設計技術を持ってるっていうことが、自分では大したことがないと思ってたらしいんですけども、一般的に見るとすごい能力がある方だったんで、瞑想と対話の中から、その人が本当にやりたいことっていうのが宇宙開発っていうキーワードが出てきて。
卒業後1年半ぐらいで月面探査のロボット開発されて、開発するのはそんなに誰でもできるとは別なんですけど、プロトタイプまでは行くんですけども、その方はご自身でNASAとかのその関係者に動画とかメールでいっぱいアプローチをして、実際に月面探査というNASAから外注というか民間に下ろされてるので、その月面探査の委託を受けたベンチャーの記者に、一応載せてもいいよっていうか、契約をしたっていうことになってですね。

qbc:
何かハード的な面っていうよりか、受けられた方ってどんな気持ちになられてるというか、どういう表情をしているというか、どんな経験をされるんですか。

三木康司:
結局自分のやりたいことっていうのに今までずっと蓋をしてきた感じの方がほとんどなので、そこをもう開放していいんだっていうモードになるので、すごい清々しい感じで、ものすごいエネルギッシュな感じで活動を始める感じですね。

qbc:
ある意味社長だから好きなことをやってるんじゃないのかっていうふうに思うんですけど、何で我慢してるんですかねその人たちは。

三木康司:
さっきの2つの例は、最初の例はもともとひとりは元サラリーマンで、もうひとりの人も元サラリーマンなので。

qbc:
あー、起業のタイミングっていう感じ?

三木康司:
社長といっても、ひとり社長ですから。

qbc:
あ、なるほどなるほど。三木さん自身は10年以上続けられて、どんな感じで、ご自身のやられていることを感じていらっしゃいます?

三木康司:
一般的なイノベーションの学校とか大学院とかそういうの日本にたくさんあるんですけど、これある有名なイノベーション教育を掲げてらっしゃる大学の先生から聞いたところによると大体2年間で600人ぐらいの卒業生が出るらしいんですね。
その中で、そういう世の中にインパクトを与えられるようなイノベーションを出せる人が1人いるか2人いるかぐらいだし600分の1とか2とか。

qbc:
そんな確率高いんですか。

三木康司:
その大学院の方はね。某有名大学の。そういうふうにおっしゃってましたけど。

qbc:
600分の1めちゃくちゃ確率高い気がするんですけどね。

三木康司:
うん。我々はまだ220名しか卒業してないんですけど、今挙げた220分の2あるいは、本当はもっといろいろ他にもいろんな方がいらっしゃるんで大体、トータル220分の10件〜15件ぐらいはぶっ飛んだイノベーターを出してる感じだと思うんですよね。
だからそんなのはとてもちょっと一般的には信用されないっていうか、それ嘘でしょっていうか、そういうインパクトが出せるようになってきたことが自分でもどういうロジックになってるかわかんなかったので、いろんな大学の先生と共同研究したりとかして、ある程度データが出たんです。まだちょっとそこのメカニズムはよくわかってない。だから正直まだよくわかってないっていうか。
でもこれは日本の禅っていうのは日本の中に、中国から来たものですけど伝わってたものなので、そういった考えをもとに、そういったイノベーションのメカニズムが解明されたらそれはすごい学術的にも、インパクトがあるかなと思って、ちょっとその解明を一緒に今度しようっていうことでスウェーデンのRISE(Swedish research creating sustainable growth )https://www.ri.se/en というイノベーションの国立研究所みたいなのがあるんですけど、そこと今ちょっと共同研究をするっていうことに話が展開しておりますという感じですね。

qbc:
三木さんのご趣味はどんなことでしょう。

三木康司:
趣味は坐禅とトレランと、あとはちょっと最近やってるんですけどサーフィンとかですね。

qbc:
トレラン?

三木康司:
トレランはトレイルランニングで、山を走る。

qbc:
あーはいはいはい。

三木康司:
この鎌倉に住んでるので結構、海が多いので、山は多いですよね。

qbc:
なんかどれぐらいの割合で体を動かされてます?

三木康司:
トレランが大体週1くらいでやってて、あの山のエネルギーって言うんすかね。それがすごいポジティブな、心理的にもポジティブなインパクトですね。

qbc:
どこら辺を走っておられるって聞いても大丈夫ですか。

三木康司:
鎌倉の裏山なんですけど、鎌倉宮っていうところがあって、突き当たって左の奥の方から入っていく山道があって、そっから、何ですかね、山の名前わかんないけどちょっと山頂の方に登って行ったら、鎌倉から横浜の方へ抜ける道があるんで、そこを下っていって大体12、3キロぐらいですかね。それがルーティンコースになってます。

qbc:
ありがとうございます。性格を周りの人からなんて言われますか。

三木康司:
性格…適当ですね。

qbc:
周りの人から適当って言われます?

三木康司:
うん、多分(適当)と思われてると思います。(笑)

qbc:
自分自身では?

三木康司:
自分自身でも適当だと思いますね。

qbc:
身近な人、家族、パートナー、親友、その距離の近い人から言われる自分の性格ってあります?

三木康司:
近い人からも適当って言われてたような気がするし…。(笑)

qbc:
どんなところが適当なんですか?

三木康司:
ちょっと夢みたいなことをよく語っているので、そんなの本当にできるのみたいな。(笑)
そんな感じですよね。

qbc:
その他何かあります? 適当っていうと、だらしなさみたいなイメージもありますけどそういうわけではない?

三木康司:
だらしなさはないと思うんですけど。
自分で、診断されたわけじゃないんですけど多分、アスペルガー傾向が強いので、ちょっと能力的にハンディキャップがあるんですね。例えば人の名前を覚えられないとか、人の顔を覚えられないとか、記憶力が非常に悪いというか、そういう感じなので。
ただその物事に集中したときはすごい集中するみたいなので、集中してるときはすごい能力を発揮してるらしいんですけど、よくわからないです自分では。

qbc:
集中してないときは適当だっていう?

三木康司:
集中してないときは対人的に問題があるような、感じなんじゃないすかね。

qbc:
なるほどね。

三木康司:
なんか誤字脱字とかも多いし、人の顔を覚えられないし、名前も覚えられないしみたいな。

qbc:
好きな食べ物について教えてください。

三木康司:
好きな食べ物…。あ、でも最近ちょっと玄米ともち麦の配合にはまってて、そういう、あとはお味噌汁とか何か普通の日本の和食、自分で漬物を作ったりとかして、そういうシンプルな感じの和食が好きですね。

qbc:
外食はされます?

三木康司:
外食は近くに美味しいカレー屋さんがあるんで、カレーとか食べに行ってそれをなんか、カレーを食べに行ってるっていうかそこの店主の人が面白いんですよね。仏画を描く有名なカレー屋さんで、仏画が飾ってあったりとか、店主と話をするためにそのお店に結構通ってます。

過去:その期間は本当に朝から東京のベンチャーの方に行って、働いて夜、湘南の大学院の方に戻ってきて、論文書くみたいなのをやろうとしたんですけど、3ヶ月ぐらい続けたらもうガリガリに痩せちゃって、やばいこれ死ぬわと思って。

qbc:
過去について聞きたいんですけど、お子さんの頃はどんな子どもでしたか?

三木康司:
アスペルガーだったと思うので、私立の男子校に中高から通ってたんですけど、間違えて進学校に入っちゃってですね。それで、常に成績がビリから2番手の6年間続けてですね、あの途中で退学させられそうになったりとか、成績があまりにも悪くて。
っていうぐらい成績悪くて、黒歴史というか、もう記憶力がめちゃくちゃ悪いんで、あの、大体中学とかね、その記憶力じゃないすか。試験とか。
漢字とか書けないとか、そんな感じの黒歴史の6年間ほとんど記憶がないですっていう。何かつらすぎて。
なんかしかも男子校だったので、そういう、青春期はあんまりいい思い出がないっていう感じですね。

qbc:
うん。本当はちっちゃい頃、幼稚園とかいわゆる最古の記憶というか。

三木康司:
最古の記憶は、何かもの作りみたいなすごい好きだったみたいで、レゴとか。
とにかく友達と「遊ぼうよ」と言われても「いやちょっと今日はやることがある」と。早く家に帰ってレゴをひたすらジメジメとした六畳の日本間でそんなものを作っては、楽しんでましたね。

qbc:
何作ったかって覚えてますか?

三木康司:
建物とか、あと宇宙船とか、車みたいなのとかそういう感じ。人となんかいるのよりは、ひとりで何かやるのがすごい大好きな、ほぼ自閉症的な感じですね。
あ、それでその結果かわかんないけど、小学校の図工はすごい常に得意科目で、授業が終わっても何か黙々と作り続けるみたいな。なんかいろんなものを作り続けるみたいな。

qbc:
何か生まれ育った風景ってどんなところだったか教えて欲しいです。

三木康司:
生まれ育ったのは東京の割と都心の住宅街で、そうですね、割といわゆるいいところ、富裕層が多いような感じの住宅街の中でいたので、公立の小学校で一緒に帰る仲間もそういう何かお金持ちのお坊ちゃん、ボンボンみたいな、がいたりとか、そういう感じで、自分の祖父も上場企業の創業社長だったりとかしてですね、なんか毎朝その祖父の家の前に行くと、迎えの車が待ってました。
社長カーっていうんですかね。トヨタのセンチュリーとかそういうやつで、そのセンチュリーの後ろに回って排気ガスの匂いを嗅ぐのが好きでしたね。(笑)

qbc:
それ、それは今も残ってるんすか。

三木康司:
いやそれはもう残ってないですけど。(笑)

qbc:
センチュリーだと違うんですかね、排気の色とかそういう。

三木康司:
割とそういう割と静かめな排気音じゃないですか。

qbc:
なるほど。

三木康司:
なんか古いというか、排気ガスの匂いが好きでしたね。冬の朝の早いときに白い排気ガスが出てくるのがなんか印象的でした。

qbc:
それ、おいくつぐらいの頃ですか。

三木康司:
幼稚園とか小学校のときとかですね、はい。

qbc:
じゃあ青年期、大学はどんな感じでしたか。

三木康司:
青年期はその黒歴史を通り過ぎて、男子校だったので、女性すごい不慣れな感じでその近くの割と女性が多い、なんだろう、キリスト教系の大学に1浪して入って、また不慣れな感じでぎこちない生活を送ってましたね。対応の仕方がわからない、女性の。

qbc:
またその黒歴史は楽しくなかったと思うんすけど、そのとき(大学)は楽しかったんすか。

三木康司
それも楽しくなかったな、あんまり。(笑)
逆張りに行っちゃって楽しくなくって。はい。

qbc:
専攻はちなみに何でしたか?

三木康司:
国際関係論みたいな。英語が得意な帰国子女の方とかいたりとかして、またそれも女性が多いんですよね。
そういう鬱々とした、好きになってもうまく口も聞けないみたいな。だけどそのキャンパスは割と華やかな感じで、だけど自分はそこには馴染めないっていう4年間を送りました。

qbc:
ちなみにどんな女性がタイプというか気になったんですか?

三木康司:
どんな女性? オタクっぽい感じで。

qbc:
相手の子が?

三木康司:
そうそう。

qbc:
オタクっぽさって結構いろいろあると思うんですけど。

三木康司:
コミュニケーションが僕と同じようにできないような感じで。

qbc:
はいはいはい。自分とは違ったタイプではなく、自分と似たタイプをっていう。

三木康司:
違うタイプは話できないから。(笑) 派手な人は話できないから。はい。

qbc:
大学時代のなんか一番印象的なエピソードとかってあります?

三木康司:
大学時代に、何かそういう鬱々の感じを払拭するために、劇団に入ったんですね。

qbc:
学内の?

三木康司:
それはインターカレッジの劇団で、英語で劇をする劇団だったんですね。
そこで初年度はスタッフをやって、2年目かなんかに、キャストとして出たんですけどそれが割と楽しかったですね。いろんな他学の学生と一緒に、ひとつのものを作り上げる醍醐味みたいな。それにハマってましたね、そっちの方に。
だからうちの団体もこのインターカレッジのサークルのようになって、割と禅とマインドフルネスの国際カンファレンスもたぶん同じような流れで、やってるのかなっていう。

qbc:
カンファレンス自体を実施し始めたのってどれくらいです?

三木康司:
プロジェクトがスタートしたのは2015年からで、2年間準備をして、2017年に最初のカンファレンスを始めました。

qbc:
7回目ってことですかね。

三木康司:
今年8回目ですね。

qbc:
今年8回目。おめでとうございます。

三木康司:
ありがとうございます。

qbc:
そして大学卒業後は?

三木康司:
大学卒業は大手のコンピューターメーカーに滑り込んで、そこでまともに働いたのは3年ぐらいですかね。あと2年間は大学院の方に行かせてもらったので。

qbc:
在籍したまま?

三木康司:
そうですね、在籍したのは。

qbc:
大学院は何に入られたんですか。

三木康司:
普通の国内の大学院にインターネットとかそういうのを使った経営みたいなのを学ぶっていう。自分でお金を出してそっちの方に入ってました。

qbc:
なるほど。で、卒業されると?

三木康司:
卒業して戻るということになったんですけども、修士の研究がわりと上手く行って、社会的な評価も受けたので、そのまま博士課程に在籍するってことになって、博士に入ったのはいいですけどやっぱり研究者向きではなかったみたいで。なかなか研究成果も出ないで、結局9年ぐらい、修士も含めて在籍したんですが。

qbc:
大学院に?

三木康司:
修士が2年でちょっと半年ぐらい留年しちゃったので。博士課程に入って、結局6年。途中でその仕事が忙しくなっちゃって。ベンチャーに入ったので。

qbc:
何歳くらいの時ですか。

三木康司:
28とか29とかですかね。

qbc:
あれ、社会人なって3年ぐらい働いたんですよね。

三木康司:
社会人になって3年ぐらい働いて、入ったのが28だったかな。

qbc:
あれ、そっから9年?

三木康司:
大学院に入ったのが1995年。そこから何だかんだで9年いたんですけど途中で2年ぐらい休学したのかな。仕事が忙しくなっちゃったりとかして。

qbc:
あ、働いてはいた?

三木康司:
もちろん。その博士課程の途中からベンチャーの方に入って。

qbc:
あーなるほど。そういうことですか、はいはい。

三木康司:
ベンチャーと博士課程両方やってた感じですよね。

qbc:
それが20代後半くらい?

三木康司:
20代後半ですね、そうですね。

qbc:
ベンチャーに入って、学校と。

三木康司:
30とか31とか、そうですね。でもついてる教授が国の仕事をすることになっちゃって、ちょっともうあんまりこっちの面倒見てくれなくなっちゃうんですね。博士課程の学生の。そうすると研究の露頭に迷って、論文も書けないし、ひとりで放置されてる感じなので。
で、そこであるベンチャーの方から声がかかって、そっちの方行くかっていうことで、その会社の方に就職をしつつ、大学にも籍を残しつつ。

qbc:
2000年ですか、それ。

三木康司:
そうですね、2000年ぐらいですね。

qbc:
インターネット企業が華やかな時代ですね。

三木康司:
うん、そうそうそうそう。

qbc:
ホリエモンとか?

三木康司:
ベンチャー界隈では、すでにホリエモンとかいたかな。その2000年の後ぐらいかな。

qbc:
うんうんなるほど。その期間ってどんな感じでいたんですかね。駆け足気味になっちゃうんですけど、そろそろ。

三木康司:
その期間は本当に朝から東京のベンチャーの方に行って、働いて夜湘南の大学の方に戻ってきて、論文書くみたいなのをやろうとしたんですけど、3ヶ月ぐらい続けたらもうガリガリに痩せちゃって、やばいこれ死ぬわと思って。休職をしたりとかして。あ、休学したりとかして。

qbc:
なるほど、学校の方を休んだ。で、そのベンチャーをたたむってことですか?

三木康司:
そのベンチャーを自分で立ち上げたわけじゃないんで、やっぱ、一応9年間ぐらい頑張って、売り上げがかなり上がるような仕組みを作ったんですね。

qbc:
はい。どんなものかって聞いていいですか。

三木康司:
中小企業向けのITパッケージみたいなものですね。
一時期はそれが会社の売り上げの半分、3分の2とかになって、あ、もうこれで上場いけるみたいな感じになって、VCとかもついてたんでちょっとイケイケで、売り上げ上げすぎちゃったんすね。
ベンチャーってご存知かどうかわかんないんですけど2年連続で売上3割ずつぐらい延ばさないと、上場基準に入らない。1年目で伸ばしすぎて、3、40%か50%伸ばしちゃったんで、次がきついわけですよ、その次の年が。
それで、そのときにタイミング的にリーマンショックも来て、上場できなくなったじゃんか〜的な。

qbc:
いわゆるコンサルがあるじゃないすか。IPOコンサルでしたっけ。
なんか、そんなんか、勢いでいけるねみたいなったのか、もう視野に入れてそういうふうなルートに乗ったのかってどっちだったんすか。

三木康司:
勢いに(乗りました)、まあ商材を売り始めたので急に。ある会社と、まあ組んで。

qbc:
じゃあ、起業当初はそんなイメージはそんなになかった? そのシナリオは。

三木康司:
あ、どうでしょうね。創業当時はそういうのは、あんまり想定してなかったかなその会社は。

qbc:
ありがとうございます。
そうですね、最初にお話いただいた、もうちょっとそのどんな感じになってその鬱にまで行ったのかっていうお話を聞きたいですね。

三木康司:
まずその上場がうまくいかなくなった1年半後ぐらいに、社長からちょっと呼び出されて、あの、いわゆるやめろと言われないけども、給料半分にするか、自分で独立するかどっちかにしてくださいみたいな感じで言われて、やっぱりこれは実質的にクビかなって感じたので、独立しますみたいな。
1回、家に戻って、それでどうするかなっていうふうにいろいろ悩んでる中でまあ9年間結構一生懸命やったのにとかそういう思いも出て来て、それでちょっと朝起きられないみたいな。

qbc:
それおいくつのときなんですか。

三木康司:
39(歳)とか、ぐらいですかね。38とか39とかですね。

qbc:
その時は何か組織に属してはなかったですか?

三木康司:
ああ、そのベンチャーには属してましたね。

qbc:
なるほど。その独立準備っていうところで籍は残していたけど、みたいなところですかね。

三木康司:
そうですね。だからある程度時間くれるよみたいな感じで。そんな感じでちょっとメンタルが落ちちゃって起きれないみたいな感じになってそれで、どうしようかなっていうところで。
ネット検索して、「心が不安な方はこちらへ」みたいなそういうホームページがあったり、こういう本読んだ方がいいみたいなページがあったりして、そのときにあの知ってるかどうかわかんないけど天外伺朗さんっていう元ソニーの常務の方がですね、AIBOとか開発した方で、ソニーコンピュータサイエンスラボラトリとか作った方が瞑想の本を出してたので、その方の本を手にとって、瞑想っていう可能性に気づいて。
本だけではちょっとよくわかんなかったんで、その当時まだできたばっかりのYouTubeの中に瞑想とか坐禅とかってキーワード検索をして。日本のお坊さんの坐禅の動画が出てきたんですけど、日本のお坊さんの坐禅の動画って何か形だけで、こうやってこうやって足を組んでこうすればいいっていうだけで、心の中で何が起きるかとかそういう説明が一切ないんですよ。
すごいわかりにくかったんで、ちょうどアメリカ人で若い方が坐禅を解説している動画がYouTubeに上がってたのでそれを見ながら、坐禅のトレーニングをスタートしました。それはとてもわかりやすかったので、自分の心がその坐禅をしてるときにどういうことが起きるのかみたいな解説もあったりとかして。
3ヶ月ぐらい座ってたら、なんか調子が良くなってきて、ベッドからも起きられる感じになって、どんどん自分の事業のアイディアもかなり出てくるようになって、それを、坐禅中に出てきたアイディアをどんどんノートにメモしてったんですね。
その中で、その当時出ていた3Dプリンターとかレーザーカッターを使って、Makersっていう、ひとりで物作りする人がこれから出てくる。っていう人たちを助ける会社として、創業しようってことになりまして。
で、まあ宣告から半年ぐらい余裕を持ってたので、半年後に起業して、っていう形になります。

qbc:
その頃の気分ってどんな気持ちで過ごされてましたか。

三木康司:
気分は焦ってますよね。だから、事業の売り上げが全くなかったので。何をして創業したのかっていうのは一応そういう形ではありますけど、売り上げが0の感じなので。
それで大田区とか、足しげく通っていく中である中小企業のリーダー的な社長と出会って、そういう人たちが7社ぐらいあったのかな。その人たちがやっぱり新商品開発したいっていう思いがあった。それをサポートする講座を作りますっていうことで最初その大田区の補助金をいただいて最初のを立ち上げたんですが。

qbc:
ふうん。

三木康司:
それが全然提供したけども結局出てくる事業アイディアとかは面白くないっていうか、(そういう)物が多くて、その講座がその後数回続いたんですけど結局目新しい使用品とか製品が出てこなかったんですね。
ちょっと一緒にやってたのが今の私のビジネスパートナーともうひとりデザイナーさんがいたんですけど、結局そのデザイナーさんともちょっと仲が悪くなっちゃってですね。その人が担当してた事業、商品企画っていう時間がちょっと余っちゃったんですね。2日くらいですね。

qbc:
ああ、その講義の。

三木康司:
はい。何をするかって考えたときにその私が坐禅でいろんなアイディアが湧いてきたっていうのを思い出して、坐禅をして、ちょっと事業のアイディアを取り出してみましょうっていうプログラムをそこに組み込んだら、一気にいろんな商品のかなり面白いアイディアが出てくるようになって、それでそれが結構面白いねってことになって。
出てきた商品企画のものは割と中小企業だからすぐプロトタイプまで行くわけですよ。それをその当時まだできたばっかりのクラウドファンディングというのにそれを載せると。
多分、中小企業として初めてクラウドファンディングのお手伝いをしたと思うんですけども、それで400万近くのお金が集まったりとかして。半年か1年後に自社のクラウドファンディングも立ち上げることになって、で、ここで受講した人がどんどんそこにプロジェクトを上げるっていう流れができた。

qbc:
はいはい。なるほど。じゃあ禅ありきだったんじゃないんですね。

三木康司:
まあ禅もあったけどもそういう仕組みを使ってたっていう。

qbc:
ああ、ごめんなさい。その最初にデザイナーの方と仲が悪くなって講座に穴が開いたっていう時点では禅は目次に入ってなかったですよね。

三木康司:
入ってないですね。うん。

qbc:
じゃあもう偶然ですかそれは。

三木康司:
全く偶然ですね。

qbc:
禅をビジネス利用しようと思ってなかったってことですかね。自分がその回復する手助けにはなったけれども。

三木康司:
考えてなかったですね。

qbc:
あ〜なるほど。どう思われますか、今そのことを振り返ってみて。

三木康司:
うーん、まあだからたまたまなんですけど、もう導かれたのかなっていう感じがしますよね。

qbc:
どう、いついなくなっていつそれをやろうって決めたかって何日間ぐらいの間とかって何か覚えてらっしゃいます?

三木康司:
ちょっと覚えてないですね。(笑)

qbc:
過去についてあと2つ質問したいことがあって、ご両親からどのように育てられましたか。

三木康司:
かなり甘やかされて育ちましたね。

qbc:
うん。

三木康司:
兄貴がいたので、兄貴はかなり期待されてたんですけども、私は何も期待もされてなかったんで、やりたいことはどんどんやってればいいんじゃないのみたいな。いわゆる典型的な次男の育てられ方。
かなりの愛情を受けたと思います。くださったと思います。はい。

qbc:
今、つまみ食い的にですけど、人生を振り返っていただいて転換点ってどこにあると思いますか?

三木康司:
転換点はリストラですかね。

qbc:
うん、うん。転換点はいくつも置いても大丈夫です。

三木康司:
そのリストラと、その後のその今禅とマインドフルネスの国際カンファレンスを立ち上げるタイミング、2015年にプロジェクトスタートしたので、何かリストラされたのが2009年ですね。2009年のリストラと2015年の禅とマインドフルネスの国際カンファレンススタートです。
マインドフルネスの国際カンファレンスで、かなりいろんな立ち上げに苦労したんですけど今はすごい仲間がたくさん増えてるんですね。ボランティアのメンバーが。コミュニティが非常に豊かになってきて、本当にオンラインで毎日話しますしあとリアルでも頻繁に会って、みんな作業したりとかご飯食べに行ったりとか、ちょっと拡張家族的な感じですね。

未来:最初に本当に目に見えるぐらいの、手に触れるぐらいの、鮮明さでビジョンが自分の頭にインストールされたのでその逆算をしてるっていうか、そんな感じですよね。

qbc:
未来について、5年10年30年、最後自分が死んでしまうというところまでイメージして今どんな未来を思い描いていますか。

三木康司:
とりあえず今立ち上げたZen2.0という国際カンファレンスが、国内だけでもある程度知名度が上がってきたんですけど最近かなりヨーロッパの方から連絡をいただくようになって「ヨーロッパでやらないの?」とか、お声掛けをいただいたりとかし始めたんですね。
だから来年以降、もしかしたら小さいZen2.0 in Europeっていう国際カンファレンスをヨーロッパでやってみたりとか、それが他の地域にも展開したらいいかなと思って。
今は日本の鎌倉でやってますけど、それがヨーロッパのどこかの、例えばスイスのどこかの街であったりとか、あるいはドイツのベルリンとかだったりとか、場合によってサンフランシスコであったりとか、バンコクであったりとかっていう感じにその、どんどんその心がいかに重要かっていうことを世の中に伝える国際カンファレンスどんどん立ち上がっていって、そこにいろんな人たちが集まってくるので、世界の人々と、日本の科学者とか、経営学者とかお坊さんとか、研究者とか、そういう人たちのネットワークをグローバルに繋いでいくことで、いろんな叡智が多分集まってくるようになると思うんですよね。
それを将来的にリアルの場所を作るかどうかわかんないんですけどもオンラインとかで結び付けた、まあ大学的なもの、「心」っていうものと、それをテクノロジーでどうやってアップデートさせるのかっていう可能性について、国をまたいでいろんな教授陣がいて、そこに世界の人が学びに来る。オンラインで学びに来て、例えば鎌倉のお寺に集まったりとか、その後リアルで集まったりとか、ヨーロッパのどこかの教会に集まってまた対話したりとか、そういうようなちょっと瞑想とかマインドフルネスをベースにした大学的なもの、教育機関みたいなものを作れればいいかなと思ってます。

qbc:
構想の部分でいうと、いつ頃から出来上がったものですかね。その禅の導入自体が偶然だったわけじゃないすか。もう実際に人がこうカンファレンスとして集まってきて、最初はお仲間数名とつくったとおっしゃってますけど。どうやってそのシナリオやプランが出来上がっていったんですかね。

三木康司:
その2015年のカンファレンスのスタートする2ヶ月ぐらい前に、鎌倉の海を歩いてたら、巨大な龍神雲が出てきてですね。

 (2015年、鎌倉材木座海岸で出会った巨大な龍神雲 撮影は三木康司)

これはちょっとスピリチュアルな話になっちゃうんですけど、なんかこう、もう明らかに龍の形なんですよ。その目みたいのがあってそこにまた瞳みたいな形のものがあったりとかして、その瞳に睨まれた感じがして、それも撮影したりしたんですけど。なんかそれを「何かやれ」みたいなのが来たんですね。「やっとけ」みたいな。
「何をやればいいんですか」みたいな感じで、わかんなかったんですが、何かこうつき動かされるものがあったので。それでとにかくこの鎌倉から世界にその禅の叡智を発信するカンファレンスを仲間と一緒に立ち上げたっていうところが何かきっかけかなと思います。

qbc:
それがなかったら、カンファレンスは生まれなかった?

三木康司:
多分ね。

qbc:
カンファレンスになったのは何でですかね。
その壮大なものというか、イメージは多分その龍神雲で受けたと思うんすけどそれがカンファレンスなっていくっていうのは、何のドライバーが必要だったというか。

三木康司:
一番最初のミーティングのときの写真が残ってるんですけど、そのときにこういうことやりたいねっていう箇条書きで書いたホワイトボードの写真が残ってるんですけど、今そのカンファレンスは鎌倉で一番位が高い建長寺様というお寺でやらしていただいてるんですが「建長寺様をお借りしたやりたいね」っていう希望だけは書いてあったんですけど、だけど全くそのネットワークも人脈もないっていう。でも今、8年、9年でそれを見返してほとんどそこのホワイトボードに書かれてたことが実現されてたんですね。
だから先にもうビジョンが降りてきて、ビジョンがもうビジュアルとして自分の頭の中にあったので、あとはそのビジョンを成立させるために、どういう人に会ってどういうお願いしたりとかどういうお寺に行ってどういうアプローチしたらいいのかっていう逆算で全部動いてるっていうところが何か、ある程度こう動いたきっかけかなって。
最初に本当に目に見えるぐらいの、手に触れるぐらいの、鮮明さでビジョンが自分の頭にインストールされたのでその逆算をしてるっていうか、そんな感じですよね。

qbc:
建長寺さまはいつから会場として使わせていただいているのですか?

三木康司:
2017年から。

qbc:
もうそんな結構早いタイミングで。

三木康司:
その2015年にビジョンが降りてきて、そのときは何の建長寺様っていう鎌倉で一番権威のある大きなお寺を使わせていただけるなんてほとんど一般の私には不可能だったんですけど、いろんな人のツテで許可をいただいたっていうところから始まったんです。

qbc:
今改めてこの今の事業やられてるとき、どんな気持ちでやられてるんですか?

三木康司:
そうですね。戦争とか金融不安とかね、地震もありますし環境問題もありますけども、僕の考えでは全て人の意識が引き起こしている事象なのかなっていう気もするので、まずそういった人の意識を変えるために、このカンファレンスに来ていただいて自分なりに気づきを得てそれで自分のリアルの世界に戻って活動していただけるような気づきの場を提供できたらいいなと思ってます。
本当に社会、世界、地球にとっては微々たることかもしれないんですけども、1人が変わるとその前にいる10人とか20人が変わっていくと思うので、そんな種を作る。そのためにこのカンファレンスをやってる感じかな、っていう感じですかね。

qbc:
もしもの未来の質問というのをしていて、もしも今またゼロに戻ったら何をしますか。禅は失ってないけどカンファレンスがなくなって、具体的なやることがもうなくて、またひとりに戻ったら。

三木康司:
また同じように仲間を集めると思います。あのビジョンを熱く語って、また同じことをやると思います。

qbc:
やり直すってことですね。

三木康司:
何度でも、やり直します。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問がですね、最後に言い残したことはっていうので、遺言でもいいし、読者向けメッセージでも、何かインタビュー振り返って独り言みたいなのでもいいので、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

三木康司:
そうですね。自分の、何て言うんですかね。自分自身っていうエゴを超えた先に自分とその世界が融合した世界が、あると思うんですよね。
人はこのエゴのために動いていくのがリアルの世界だからしょうがないけど、自分がその世界の一部だというふうに思うことができれば、社会のために活動するっていうことは、結局自分のためになることになると思うので、何かそういう気持ちでいろんな事業とか、社会活動とか、していくと、小さなところからかもしれないけども、世界は変わり始める気がするので、そういうことを、もし気づいていただければいいかなというふうに思います。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

禅強し!

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:meadow】

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