言葉以前の感情を抽象画にする人
僕は彼女の名前を知らない。ただ、毎週木曜日の午後3時に、この古びた喫茶店で彼女を見かけるだけだ。
彼女はいつも窓際の席に座り、大きなスケッチブックを広げている。その手には、色とりどりの絵の具やパステルが握られている。彼女の目は、遠くを見つめているようで、でも実際は自分の内側を覗き込んでいるのだと僕には分かる。
彼女が描くのは、言葉では表現できないものだ。怒りや悲しみ、喜びや憧れ。それらが複雑に絡み合い、キャンバスの上で踊り始める。青い渦が赤い線と交差し、黄色い点が紫の面を貫く。そこには秩序がありそうでいて、実は完全な混沌なのかもしれない。
僕は黙ってコーヒーを飲みながら、彼女の筆の動きを追う。時折、彼女は顔を上げ、僕と目が合う。そんな時、彼女はかすかに微笑む。それは、まるで「分かる?」と問いかけているようだった。
僕には分からない。でも、分からないことが心地良かった。
彼女の絵が完成する頃、外は夕暮れ時だ。彼女は静かに道具をしまい、僕に会釈をして店を出ていく。僕はいつも、彼女の背中が見えなくなるまで見送る。
そして次の木曜日、僕たちはまた同じ場所で出会う。言葉を交わすことなく、絵と沈黙だけが僕たちを繋いでいる。
それでいい、と僕は思う。なぜなら、彼女の絵の中には、言葉以上の何かがあるから。
と思う2024年7月26日23時18分に書く無名人インタビュー847回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは ふわふわすふれ さんです!
年齢:20代前半
性別:女性
職業:体調不良で退職して気づいたら美大受験生になってた人です
X:https://x.com/softsouffle7
Instagram:https://www.instagram.com/fuwafuwasouffle7/
現在:やりたいことができてる、自分の人生のために生きてるっていう、すごい嬉しい、楽しい、高揚するような気持ち。
qbc:
今、何をしている人でしょうか?
ふわふわすふれ:
これって、言い方は何でもいいんですよね。
qbc:
そうですね。
ふわふわすふれ:
今年どう生きるかが問われてる人。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
っていうのも、昨年末に退職をしていて、今も無職で。ってなってくると、やっぱり今何をするのかがすごい大事になってくるかなっていうふうに思っていて。なんだろう、何から話したらいいのか。
流れとしては、昨年の12月に退職して、入院して退院をして、ちょっと療養して。当分は働くっていう感じではないかなと思って。それで今年の2月ぐらいに、元々美大に行きたかったので美術の勉強をしたいなっていうことで、美術の専門学校に行こうと考えてたんですけど。2月の26日に、美大と美術専門学校の進学フェアみたいなのに行って、作品――ポートフォリオみたいなものを美大の講師の方にもちょっと見せたりしたら、「美大も目指せますよ」っていうことだったんで、ちょっと夢だった美大を目指そうかなみたいなことが、2月から始まって。
それと、ちょっと時系列が前後しちゃうんですけど、私、大学では哲学の勉強をしていて、もうこれが私のバイブルだっていう哲学書を見つけて、それが西田幾多郎の『善の研究』という本だったんですけど。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
その本の、なんだろう、「ここまで卒論で書きたかった」みたいな答えというか、気付きみたいなのを入院中に得ることができて。もう1回やっぱり、この『善の研究』の本を読み返してみたいし、やるなら読書会という形で、しかも名前も「食書会」と名前をつけて、味わいながら食べるように、いろんな人を巻き込みながら、西田幾多郎の『善の研究』という本を読んでいきたいという風に思って、3月から読書会を開催しています。
qbc:
なるほど。
ふわふわすふれ:
その読書会は、今年の3月から月1で開催してるんですけど、第1回が終わったときに、「生きてて良かったー」って、生まれて初めて思って。そのぐらいすごい楽しくて。
哲学の研究方法って主に2パターンあるっていう風に私は大学時代に教わったんですけど、一つが解釈論文って言って、何ですかね、そのテキストの意味を正確に理解するっていうことをやっていくっていう論文のスタイル。
もう一つは、自分で哲学的なテーマを問いを立てて、それを論拠に基づきながら、自分の考えを展開していく、例えば「自由とは何か」とか、あとはそうだな、何でもいいんですけど、「言葉とは何か」とか、そういう感じで問いを立てて、考えを論理展開していく。読書会でやってることって、その二つだなっていう風に思って。
「西田幾多郎は何が言いたかったのか」っていうことをみんなで話し合いながら考える側面と、あとはその本に書いてあることをテーマに、みんなで哲学カフェみたいに話し合う、哲学的な問題について各々の意見を言い合う、みたいなことをしていて、それがすごく楽しくて。
参加者の方からも、「オーケストラの合唱をしているようでした」っていうような感想が寄せられていて。各々違う考えを持った楽器の奏者がいて、同じ音楽、つまり同じテキスト、同じ哲学的テーマについて、音を奏でていく。それでハーモニーが生まれていく、その空間がすごく楽しくて、これのアートバージョンを作りたいと思って、今はそれができる大学を探しているところです。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
あとは時系列でそのまま言うと、美大受験といってもデッサンとかで入る受験じゃなくて、今までの活動であったりとか、面接であったりとか志望理由であったりとか、そういうところで受験が決まるタイプの受験方法で入学しようと思ってるので。
あとは今年いろいろやりたかったっていうこともあって、いろんな活動をしていて。2月から4月ぐらいまでの間に、ハンドメイドの知識ゼロのところから、ハンドメイドアクセサリーを作って、それを5月にフリーマーケットで売ってみたりとか、フリーマーケットで全然売れなかったから今度は自宅の前で売ってみたりとか。
あと、私は抽象画をメインに描くんですけど、似顔絵ってイラストで大体描かれてるじゃないですか。そのイラストの代わりに、抽象画であなたの印象を書きますっていう、初めて会った人の抽象画を描く活動を6月にやったりとか、あとは美術館のボランティアをやったりとか、あと7月に個展を控えていたりとか、それで今現在っていう感じです。
qbc:
今、どんな気持ちですか?
ふわふわすふれ:
いろんな気持ちです。なんですかね。その、やりたいことができてる、自分の人生のために生きてるっていう、すごい嬉しい、楽しい、高揚するような気持ち。そういうのもあるし、その一方で今まだ無職なので、どっかに所属したいっていう気持ちもあります。そういう焦りもあるし。
今、行動しつづけないと、次どういう職に就くのか分かんないですけど、今就職するにしてもバイトするにしても、今何かしておかないと次につながらないし、みたいなことを思ったり、今人生が問われている、美大に行くにしても、今動きつづけなきゃいけないし、みたいなことをすごく感じる、焦りみたいなのもあったり。
あとは本当に寂しすぎて、「おはよう」と「おやすみ」を言うLINE公式アカウントとか立ち上げて、毎晩寝るときに「今日もお疲れ、おやすみ」みたいなことを知らない人に向かって配信したりしてますね。そんな感じです、気持ちは。ワクワクと、不安と、寂しさと。
qbc:
喜怒哀楽で言うと何でしょう?
ふわふわすふれ:
喜怒哀楽で言うと、えー。喜びの方が大きい気がします。喜びと、不安です。
qbc:
大学を卒業した後、何年働いたんですか?
ふわふわすふれ:
大学卒業して1年半働きました。
qbc:
それで入院というのは、何の病気になったんですか?
ふわふわすふれ:
何の病気になったかっていうのは、ちょっとなんて言うんですか、去年の7月にコロナになって、その後遺症で咳が止まらなくなって、販売職だったんで、咳が出ると結構体力使うんですよね。それで体力が削られて、どんどん消耗して、そのままメンタルもズルズル消耗して、それで休職して退職で入院。なので、いざ入院してみて、精神科の病院で、催眠療法っていうのを受けたんですよ。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
催眠療法って言うと、めちゃくちゃ怪しい名前の感じがすると思うんですけど、別に前世の記憶とかそういうのじゃなくて、リラクゼーションみたいな形で、ヨガみたいに呼吸を深めていって、体の力を抜いていって、そこから事前に主治医と打ち合わせをした内容で、想像を働かせていくみたいな感じで。
例えば、私が「君たちはどう生きるか」っていう映画を見た感想を主治医に話したら、主治医もその映画を見てくれて。あの映画の、扉を開けるシーンがすごく印象的だったから、「じゃあ扉をイメージしてもらって、そこから扉を開けてどういうイメージが広がっていくのかやってみましょう」みたいな感じで、呼吸法みたいなのをやって、イメージでドアを開けます、みたいなのをやったら、川のイメージが広がっていったんですよ、すごく。
qbc:
うんうん。
ふわふわすふれ:
川と一体となる自分を感じたりとかして、そういうので何かこう、呼吸が深まって、喘息が治ったんですよ。結局、喘息はストレス性で続いてたみたいで、きっかけはコロナだったんですけど、それでなんか元気になってって、今に至るみたいな感じです。
qbc:
先ほど、生まれて初めて「生きてて良かった」って思ったと仰ってましたが、その前までは、ざっくり言うとどんな人生だったんですか?
ふわふわすふれ:
いや、幸せだなと思ったこともあるし、楽しいなって思ったこともあるんですけど、生きてて良かったなとは思ったことがなかったというか。
qbc:
そんなに、めちゃくちゃひどい人生だったというわけではなく?
ふわふわすふれ:
一応、ハードライフだったなっていうのはあるんですけど。生きてて良かったっていうのと、幸せだなっていうのは、また違う感覚なんだっていうのを知りました。最近。
qbc:
違う感覚っていうのは、どういう感じですか?
ふわふわすふれ:
私が幸せを感じたのって、初めて恋人ができたときなんですけど、それが24のときで。彼と過ごしてる時間はすごく幸せで、例えば、なんだろう。喫茶店に行って、ガラッて扉を開けたら、店員のおばあちゃんが「あっ、人来た」みたいな感じで、新聞を慌てて置いて。店には、「忘れ物」って書かれた箱が堂々と見えるように置いてあったりとか。本物の昔の黒電話みたいなのが置いてあったりとか。すごい流れてる音楽も、平成、今の音楽じゃない、懐メロが流れてたりとか。お会計のときも、「お会計分かんないからちょっと計算して」って言われたりとか。あとはもう出てくるものも「The 喫茶店」で、カレーとかももう、誰もがイメージするカレーのど真ん中みたいなカレーが出てきたりする喫茶店に、2人で行って。
彼と過ごしてるときに感じてたのは、現代とは違う場所にいるっていう感覚がすごいあって。女性でもなければ男性でもなければ日本人でもなければ帰国子女でもなければ、会社員でも、何者でもない。ただそこに私と彼がいる。ただ、そこにいるっていう。そういう、何気ない幸せみたいなのをすごく感じてた。それ以上でもそれ以下でもないみたいな、そういう感じのことがすごくありましたね。
一緒にただ寝癖のついた髪で、朝のパンを食べながら美味しいねって言い合ったり、本当に何でもない、そういう時間が幸せだったというか、ただそこにあるだけの日常がすごく幸せだった。それが私にとっての幸せだったんですけど。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
「生きてて良かった」っていうのは、何なんだろう。生きてて良かった。なんか今まで苦労して、いろんな喜びとか悲しみとか、そして退職したこと、退職も本当はしたかったかって言われると、もちろんそのまま社会人生活を続けていきたかったし、みたいな気持ちもあるし、いろんな後悔もあるけど。そういう中でも、生きてて良かった、報われたっていうか、「今まで生きてきた人生の全部が今意味を持っている」っていう風に感じられたというか。なんか言葉にうまくできなくて、申し訳ないんですけど。
qbc:
そう思ったタイミングって、読書会の後ですよね? 内容と関係ありましたか?
ふわふわすふれ:
内容とは、そんなに関係ないですね。生まれた空間というか、楽しかったみたいな。なんか、本当に自分のやりたいことをできてるっていう気持ちも、生きてて良かったっていうことなのかもしれません。その西田幾多郎っていう人は、「自らの必然性に従って生きることが最も自由なことである」っていうようなことを言ってるんですけど、それってどういうことかっていうと、自分の心の声を聞いて、自分自身を作っていくっていうことだっていう風に私は思っていて。
qbc:
うんうん。
ふわふわすふれ:
あの、K-POPの「ITZY」って知ってます?
qbc:
分かんないですね。
ふわふわすふれ:
ITZYっていう、K-POPのすごい有名なガールズグループがいるんですけど、その人たちの曲の中に「WANNABE」っていう曲があるんですね。その中に、「誰が何と言おうと私は私なんだ、私はただ私になりたいんだ」っていう風に言ってる歌詞のところがあるんですけど、それってすごい深いことだと思ってて。
それってまさに、誰が言おうと私は私、私は私になりたいんだ、私になる、私を作るっていうのは自らの必然性のうちに生きることだと思うし、読書会をしたり、アートの道を目指したり、自分が目標としてたワークショップなり何なりをやっていくっていうのは、まさに自分の人生に正直に、今、生きていこうっていうことをしていて。だから、生きてて良かったって思えたし、今も思えてるんだと思います。
qbc:
ご自分の性格について、人からはなんて言われます?
ふわふわすふれ:
えー、なんだろう。「真面目」はよく言われます。真面目とか、変わってるとか、あとは「明るい」も言われます。意外と。
qbc:
それについて、自分ではどう思ってます?
ふわふわすふれ:
自分では、意外と明るいなって最近思うようになりました。その、まさに読書会を通して、「私、人と関わるのが好きなんだ」っていうことに気づいて。これから先も、人と関わることを続けていきたいなってすごく思ってて。
qbc:
意外とっていうと、自分では明るいと思ってなかったってことですか?
ふわふわすふれ:
いやもう、そうですね。明るいとも思ってなくて、日陰を歩いてきたってすごい思ってたのと、すごく暗いと思ってましたし、人も嫌いだと思ってましたし、ニコニコするのも別に好きじゃないと思ってたし。
qbc:
実際のところ、明るくはなかったんですかね?
ふわふわすふれ:
実際にでも、社会に出る前は明るくなかったと思います。すごく自分のことが嫌いだったので。
qbc:
社会に出たっていうのは、就職のことですか?
ふわふわすふれ:
はい。就職一回して、社会に出るまではすごい暗いと思ってたし、実際暗いし、人と喋れない時期とかもあったりするぐらい。私、世間に対する怒りとか、そういうものもすごい強く抱いていたし。
それが、いざ社会に出て就職したら、販売職をやってて、販売職ってニコニコしたりとか明るく元気にとか、そういうことをやっていかなきゃいけないじゃないですか。そういうことをやってみたら意外とできるんだっていうか、私こういう面も持ち合わせてたんだっていうことに気付いたりはしました。
qbc:
話の流れを切っちゃいますけど、先ほど仰った「世間に対する怒り」とは何でしょうか?
ふわふわすふれ:
いっぱいあります、ほんとにいっぱいあって。例えば、ちょっとメンタルを病んでたりもしたんで。そういう、精神疾患の人に対する世間の眼差しとかにもすごく怒りを感じてたし、あとは何だろう。帰国子女なんですね、実は。なので、「帰国子女だから」っていう目で見られることへの怒りもすごかったし。
あとは、「こうしなきゃいけない」みたいなものを日本に帰ってからすごく感じるようになって、周りに合わせなきゃいけないとか、こういう社会規範があるとか、そういうものに、すごく日本に帰ってきてから縛られるようになって、そこに対する怒りとかもありました。正直な話。
qbc:
どこから帰ってきたんですか?
ふわふわすふれ:
イギリスから帰ってきました。
qbc:
何歳のとき?
ふわふわすふれ:
中学~高校の間なんで、12歳ぐらいから17歳ぐらいまで。
qbc:
そのときに、イギリスに行ってたということですかね。
ふわふわすふれ:
そうです、行ってました。
qbc:
なるほど。性格の話にまた戻って、家族やパートナーや親友、距離の近い人から言われるパーソナリティってあります?
ふわふわすふれ:
でも、やっぱ真面目、変わってる、ぐらいは言われるかなと思いますね。
qbc:
好きな食べ物は何ですか?
ふわふわすふれ:
好きな食べ物はいっぱいありますけど、パンといちごと桃と、あとはこってりしたものも好きで、フライドポテトとかも好きです。
qbc:
パンは何を買うんですか?
ふわふわすふれ:
パンはなんだろう、パン全体が好きです。
qbc:
好きなパンの順位をつけてもらっていいですか?
ふわふわすふれ:
順位? 難しい、どうしよう。
qbc:
まず、ソフトかハードかってありますよね。
ふわふわすふれ:
じゃあ、比較的ソフトなものの方が好きかもしれない。順位はつけられない。よく食べるのはクリームパンとかメロンパンとか。
qbc:
じゃあ、お好きなのは日本のパンってことですね。
ふわふわすふれ:
そう、日本のパン。日本のパン、美味しいです(笑)。
過去:ちっちゃい頃の方が、帰国子女みたいな子でした。もう積極性。パワフル。エナジー。パッションの塊、みたいな感じ。
qbc:
覚えてる範囲でいいんですが、子どもの頃って、どんな子でしたか?
ふわふわすふれ:
ちっちゃい頃の方が、帰国子女みたいな子でした。もう積極性。パワフル。エナジー。パッションの塊、みたいな感じ。
qbc:
生まれたときはイギリスにいたんですか?
ふわふわすふれ:
いや、生まれたときは東京で、そこから神奈川に引っ越して。それで、中高の間だけイギリスにいました。
qbc:
なるほど。でも、生まれたときからパワフルな感じだったという。
ふわふわすふれ:
パワフルだったんですけど、イギリスに行ってから、英語できなくて、あとは何かいろいろ自分で考えごとに耽るようになって、静かになっていった、みたいな感じで。小さい頃はもうパワフルで、真面目で優等生だけどもガンガン自分の主張をするし、授業中もガンガン手を挙げるし、リーダーみたいなこともガンガンやるし、友達と喧嘩もするし。
「あゆみ」っていう、小学校の頃の成績表みたいなのに、いろいろ何か学校の先生からのコメントとか書いてあるじゃないですか。それを最近になって読み返したら、クラスの修学旅行か何かのグループ分けのときに、みんなが納得できるグループ分けにならなかったらしいんですよ。で、そこに私が名乗りを上げて、「みんなが納得できないんだったらもう1回グループ分けし直そうよ」みたいなきっかけを作ったって書いてありました。
qbc:
そんな具体的なこと、書いてあるんですね。
ふわふわすふれ:
はい。そんなことが書いてありました。
qbc:
そういう性格なのはなぜでしょう?
ふわふわすふれ:
母親がそういうタイプだからと思います。
qbc:
お父様は?
ふわふわすふれ:
父親は、何だろう。怒りっぽい、みたいな。勉強ができる。父親も、変わった人でしたね。ちょっと、人との関わり方がうまくないというか。
qbc:
ご両親からは、どういう風に育てられたと思ってます?
ふわふわすふれ:
結構、自由に育てられたかなと思います。大学の進路にしても、普通、哲学を学びたいって言ったら反対すると思うんですよ。「就職どうするの」みたいな、多分。普通に、哲学を勉強しても就職の道はあるんですけど、世間一般的に、「哲学を勉強すると就職できない」みたいなイメージが広がっていて。そういう中でも、「哲学の勉強でもいいよ」みたいな。
元々、私は美術史を勉強しようと思って大学に入ったんですけど、「美術史を勉強して何になるの」とも言われなかったですし。それで大学入ったあとに突然、美術史から哲学を勉強する方向に変えたんですけど、それも特に何も言われなかったですし。私は私のやりたいこととか、我が道を行くタイプっていう。
あ、思い出した。めっちゃ両親から言われるのは、「頑固」って。頑固って言われます。
qbc:
はいはい。
ふわふわすふれ:
なので親からは、最終的な決断とかはもうすごくなんか任されてきたというか、放任してくれた、見守ってくれたっていうのはあります。
qbc:
ご両親はどんなお仕事をされてるんですか?
ふわふわすふれ:
父は会社員で、母は派遣で働いたり、働かなかったりみたいな感じです。
qbc:
特殊な職業というわけでもなく。
ふわふわすふれ:
全然ないです。
qbc:
子ども時代、どんな遊びをしてました?
ふわふわすふれ:
絵を描くのが好きだったので絵を描いたりとか、体動かすのが好きで、ドッジボールして。ドッジボール大好きで得意だったんですけど、体の動かし方が変なので、めちゃくちゃ投げ方でからかわれたりとか。
あと、自分で遊びを考えるみたいなのもすごく好きで。例えば、よくやってた人もいると思うんですけど、いろんな目を描いて、いろんな鼻を描いたりとか、いろんな口を描いたり、いろんなお洋服を描いたり、顔の輪郭を描いたりして、それを全部おばあちゃんとかに選んでもらって、その組み合わせで絵を描くみたいな遊びとか。
qbc:
目って、eye?
ふわふわすふれ:
そうです。全部いろんなパーツをいろんな形で描いて、お洋服もいろんなお洋服を描いて、それを選んでいって。今で言うと、パーツでアイコン作るみたいな感覚と一緒です。そういう遊びをやったりとか。
あとは、小学校5年生のときに、仲良かった女の子2人がいて。そのときに、何だかわかんないんですけど、ピーナッツでイラストを描くのに私ハマってて。そのイラストのタッチみたいなのを、その仲良かった2人にも広げて、ピーナッツのイラストを大量に作ったんですよ、謎に。どうしようってなるじゃないですか。
それで、謎に「ピーナッツ株式会社」っていうのを3人で名乗って、クラスの中で。それで、木工用ボンドを、プラスチックケースとかアクリルファイルの上とかに乗せるというか、ちょっと出して放置しておくと、シールみたいになるんですよ。それを通貨として利用して、みんなにボンドでボンドシールを作ってもらって、イラストを買ってもらうっていうのをやって。
いっぱい通貨として使っているボンドシールがたまっていくので、これの使い道どうしようってなって、黒板の裏に、鳥居と賽銭箱みたいなのを作って、お祈りするみたいなのもやってました。そんな子でした。
qbc:
なるほど。中高のことも聞きたいんですが、海外に行った理由はなんだったんでしょう?
ふわふわすふれ:
父の仕事の都合で、突如、異国の地に連れ去られたっていう感じなんで。別に留学したかったとか、高い志で、みたいな感じではないんです。
qbc:
自分の意志じゃなかったという。
ふわふわすふれ:
自分の意志じゃなかった。突然、英語で話さなきゃいけない環境に飛び込んで。
qbc:
海外へ行くと決まったときは、どんな気持ちでした?
ふわふわすふれ:
新しい環境は当時すごく好きで、とにかく当時はもうパワフルだったんで。すごい楽しみでしたね。
qbc:
イギリスのどこへ行ったんですか?
ふわふわすふれ:
ウィンブルドンに住んでました。
qbc:
ウィンブルドンは名前だけ聞いたことあるんですけど、どの辺ですか?
ふわふわすふれ:
そうですね。ロンドンからちょっと外れてる、ちょっとのどかなところ。
qbc:
都市的なイメージでたとえると、どうです? 東京で都会っていったら、東京駅から山手線の沿線の中って感じですけど。
ふわふわすふれ:
都会とか、そういう感じでは全然ないです。
qbc:
それじゃあ、浦安とか?
ふわふわすふれ:
そうですね……どのくらい離れてる感じなんだろう。
qbc:
逆に大阪ぐらいとか?
ふわふわすふれ:
いや、そこまでじゃないです。東京の、町田?(合ってるかわからない)
qbc:
あ、町田。それはわかりやすい。なるほど。ある程度落ち着いた感じ。
ふわふわすふれ:
そうですね。一応、大きい括りのロンドンには入るけど、外れのほうです、みたいな。そういうところに住んでました。
qbc:
はいはい。
ふわふわすふれ:
イチゴも有名らしいんですけど、ウィンブルドンのイチゴは食べたことがないです。
qbc:
ウィンブルドンでの中高は、どんな感じでした? それまで元気だったのが、海外でどうなったのかっていう。
ふわふわすふれ:
海外では言葉が通じないので、自分で考える時間っていうのがすごく増えて、1人で。例えば、リンゴが目の前にあったら、リンゴって赤いなとか甘いなとか、そういうことぐらいしかみんな考えないじゃないですか。でも、その中に、「このリンゴは誰々の陰謀によってできてる」みたいな人とかいて、そういう人が身近にいて、すごいびっくりして。
やっぱりイギリスってもう、本当にいろんな意見の人と一緒に生活するので、自分の当たり前が崩れていくというか。みんながみんな同じことを考えてないんだ、みたいなのをすごく感じるようになって。そこから、本当にこれは存在してるとか、これは正しいですって言えることは何なんだろうみたいな、哲学的な問いにのめり込んでいくみたいな時期が、中学高校だったかなと思います。
qbc:
日本に帰ってきてからはどうだったんですか?
ふわふわすふれ:
日本に帰ってきてからは、抑圧をめちゃくちゃ感じましたね。西洋って、行動の規範というか、自分がこれやって良かったのかなとか、正しかったのかな悪かったのかな悪いことしちゃったのかなみたいなのって、割と垂直的というか。もう西洋ってやっぱり、神との関係みたいなものがすごくあって、「私は神を信仰してます」みたいなことを言わなくても、何となく、日々の生活のバックグラウンドの中に神の存在みたいなのがあって。
西洋での神がどういう存在かっていうと、キリスト教の神って結構、善悪の判断をする人格的な神みたいなイメージが結構強くて。なので自分の行動が合ってたのかとか自分はこれ正しかったのか間違ってたのかみたいな判断とかをするときに、結構、客観性を求めるというか、なんていうんでしょう、それが正しいのか悪いのかが、すごい力で、客観的に「切る」っていう感じがあるんですけど。
日本って、そうじゃないんですよ。日本ってもっとこう、水平的な関係の中にあるというか、「誰々さんに悪く思われてないか」とか、「これは一般常識からずれてるんじゃないか」とか、そういうのが判断基準になってくるのが日本だという風に思うんですけど。日本に帰ってきてから、その抑圧みたいなのをすごく感じましたね。空気感とか。
qbc:
誰に抑圧されてると感じました?
ふわふわすふれ:
誰にっていうか、もう、どこに行ってもそういうのを感じました。すごく。大学の授業を受けても、発言するにしても、その場の空気とか、入社してもやっぱりこういう振る舞いが多分、世間一般では日本では正しいとされてるから、こういう風に振舞った方がいいのかなとか。
qbc:
具体的に、何か言われたりするんですか?
ふわふわすふれ:
いや、ないです。ないけど、そういうのを感じるんですよ。すごく。感じるって言うと、スピリチュアルな感じがするかもしれないんですけど、そうじゃなくて、何なんでしょうかね、日本人全体の中にある、みんなとか世間とかっていう意識みたいなものをすごく感じる。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
思想の話で言うと、近代の思想の祖と言われてるのがデカルトっていう人なんですけど。デカルトが「我思う、故に我在り」っていう風に言っていて、まさにその自分が思うから私は存在してるっていうことだけは言えるし、自分が世界の認識の主体だっていうようなことを言ってるんですけど。
それに対して日本の思想はどうかっていうと、和辻哲郎っていう、日本の倫理学の体系を築いた人がいるんですけど、その人によると、人間って、「人」という字と「間」っていう字じゃないですか。だから人間は間柄的存在である、と。世間とか、人と人の間に、関係性として自分は成り立ってるんだよっていうようなことを言ってて。思想から見てもやっぱり、世間とか他の人とか、そういう横の繋がり的なものを感じ、考えて、行動するのが日本的なものだっていう風になんとなく思うし、そう感じてきたなって思います。
でもどちらかの思想や文化が優っているとか劣っているとかそういうことはなくて、どちらも一長一短、両方を持っていると思います。なので日本に窮屈さを感じつつも、やっぱり日本の思想とか好きだなと思うところはあります。
qbc:
なるほど。大学生活はどのように過ごされたんでしょうか?
ふわふわすふれ:
大学生活は最初、美術史を勉強しようと思ったのは、本当は美大に行きたかったんですけど、日本の美大の入試スタイルって、今は違うんですけど昔はデッサンだったんですよ。デッサンは正直、イギリスで勉強したことがなくて。その状態で受験はできないし、自信もなかったし、あとは国立の大学に行きたいっていう気持ちがあったので、一人暮らしをしたくて。それを優先して、国立の大学をメインに受けていて、せめて、ちょっとでも美術に近ければっていうことで、美術史の勉強しようということで、大学受験をして。
でもなんか、大学で美術史をいざ勉強してみたら、実際に絵を描いたりとか、アートを作るっていうことと、美術史の勉強ですることって全然違うなって思って。哲学の勉強の方が、絵を作ったりするのと似てるなって思ったんですね。哲学も、自分の考えを作っていく、そういう側面も哲学にあるので、それで、気づいたら哲学の勉強をしていて。
でもいざ哲学の勉強します、みんなと一緒に哲学徒として学びますってなったときに、どうしても何かこう、すごい興味はあるので楽しいんですけど、何となく自分と西洋哲学との相性の悪さみたいなものを感じて。哲学科じゃなくて哲学コースなんですけど、哲学コースの友達からも、「みんな哲学を勉強してる人はおかしいけど、その中でも、あなたはぶっちぎりでおかしいし、1人だけジャンルが違う」みたいなことを言われて。
qbc:
誰に言われたの?
ふわふわすふれ:
友達にです。友達に言われて、どういうふうに違うのって聞いたら、「1人だけすごいアート的な感性を持ってる」って言われて。哲学向いてないのかな、みたいに思いつつも、授業を受けて勉強して、楽しかったんですけど、勉強してってやってた中で、『善の研究』に出会って、これがマイバイブルだみたいな、哲学勉強してて良かった、みたいなことに、大学3年生ぐらいのときになって。
学生生活での一番の学びというか、良かったなっていうのは、『善の研究』と出会えたこと。私それですごく、哲学を学んでて良かったんだ、自分に合ってないこともなかったんだっていう風に思えました。
qbc:
就職自体はどういう風に選んでいったんでしょう?
ふわふわすふれ:
あの、何となく、今までお話を聞いてても、ちょっと変わってるなって思います? そうでもないですか?
qbc:
それは、日本人的な基準で答えてほしいっていう質問です?
ふわふわすふれ:
そうです。はい。
qbc:
それは、つまはじきにされるタイプじゃないですか。
ふわふわすふれ:
ふふふ(笑)。そう、結構つまはじきにされるタイプで。
qbc:
無名人インタビューっていうのは、その枠がない世界でやってるので、全く何も感じないですけど。
ふわふわすふれ:
元々の、栗林さんからいただいた質問ってなんでしたっけ。
qbc:
私の質問は、就職で販売職を選んだのはどうしてかなっていう。
ふわふわすふれ:
幼少期から大学生活を経て、何となく私は変わってるんだなって思って、そして何となく、みんなと同じようなオフィスレディーにはなれないんだなっていう感覚があったのと、抽象的なことをしたくなかったっていうのがすごくあって。目の前に物とか人がいたりとかすることじゃない、データとか、マーケティングとか、そういうことをしたくなかったというか。
そうじゃなくて、もっと目の前に商品があって人がいて、体も心も動かしながら働く、そうやって、常にリアルを感じながら働ける職業って何だろうと思ったときに、接客業かなと思って。接客業でも飲食はちょっと厳しそうだな、つらそうだなっていうのがあって、販売職をしてみたいなと思って。販売職の中でも、いずれ転職をするだろうなと思ってたんで、専門知識が身に付きそうな分野の販売職に就きました。
未来:アートで居場所を作りたい、人の居場所を作りたい。そして、ちょっと強めのパンチラインの言葉で言うと、最終的には宗教を作りたいみたいな。
qbc:
未来について聞きます。5年10年30年40年、最後死ぬっていうところまでイメージしてもらって、どんな未来をイメージしてますか?
ふわふわすふれ:
今、やりたいことがあるので、それに向かえたらなっていう意味でイメージしてるのは、アートで居場所を作りたい、人の居場所を作りたい。そして、ちょっと強めのパンチラインの言葉で言うと、最終的には宗教を作りたいみたいな。どういうことかっていうと、別に本当に教祖になりたいとかそういうことじゃなくて。
qbc:
うんうん。
ふわふわすふれ:
この言葉は引用なんですけど、よしもとばななさんと河合隼雄さんが私大好きで、よしもとばななさんは小説家で、河合隼雄さんは臨床心理学の人なんですけど、その2人の対談本があって。
好きな2人が対談している、買うしかないって、買って読むじゃないですか。その本で、よしもとばななさんが高校時代の話をされていて。高校時代はなんだかとてもつらかったと、自分は学生生活に馴染むことができなかったみたいな話をしてて。
ばななさんは大人になってから小説家になったので、小説の取材で、新興宗教の取材に行ったらしいんですよ。みんなが集会してるときに取材したらしいんですけど、みんながばななさんの知らない歌を歌ってワーッと盛り上がって、知らない教えでワーッと盛り上がって一体になってて、それを隅で見ている疎外感みたいなのを覚えたらしいんですけど、その光景が高校生のときと同じだったっていう風に、よしもとばななさんが話していて。
それに対して河合隼雄さんが、「日常会話も一種の宗教ですからね」っていう風に言ってて。それを読んだのが去年の11月とか12月なんですけど、だから私は働き続けられなかったんだな、みたいなことを感じたし。今まですごい浮いてたんだな、みんなと日常会話とか日常性っていう意味での宗教性がちょっと違ったんだなっていう風に思って。
そういう人って、この世の中にいっぱいいると思うんですよ。その哲学的な感性だったり芸術的な感性であったり、またその他、別の感性であったりを持っていて、何となくこう世間にフィットできない、そういう人たちの居場所をアートで作りたいっていう風に思ってるし、自分と同じような人たちも見つけたいしっていう意味で、宗教を作りたいというか。そういうふうに感じてます。それが死ぬまでの目標ですね。
qbc:
なるほど。
ふわふわすふれ:
方向性としては二つ考えていて。一つは、私は抽象画を書くんですけど、自分に合った表現方法と出会ったっていうのがすごく自分の中では大事なので。自分に合った表現方法に出会えてない人みたいなのって、この世の中にいっぱいいると思うんですよ。触れてないだけで。
本当は文章を書いてみたら、すごく感情が出せるとか。詩を書いてみたら、感情を出せるとか。私も俳句を始めて、意外と俳句楽しいなとか思ってるんですけど、そういうのがあったりとか。なのでその表現方法と出会える場所作りみたいなことと、あとはその読書会のアートバージョンみたいなのを作りたいっていうふうに今は思ってます。
qbc:
読書会のアートバージョンっていうのは、アートを対象にするってことですか?
ふわふわすふれ:
そうですね。アートを媒介として、哲学の読書会みたいな、情緒的なつながりのあるコミュニティを作りたいっていう風に思ってます。
qbc:
その未来の、すふれさんの気持ちを想像してみるとどうですか?
ふわふわすふれ:
未来の私の気持ちですか。絶対楽しいと思います(笑)。楽しそうだなって思う。もうその未来を想像するだけですごくワクワクするし、仮に美大に受かったとして、美大でその目標を叶えるためのことを学べたりとか、人脈を作ったりとかできたらいいなってすごい思いますし、美大に行くことも楽しみだし、そして最終的にアートによるコミュニティ作りが達成できた未来もすごい楽しそうだなと思って、今すごい自由を感じます。
qbc:
直近で予定されてる個展について、お話しいただいてもいいですか?
ふわふわすふれ:
はい。個展はですね、タイトルが「 (ぴゅあ)>ぴゅあえくすぺりえんす〜知覚以上言葉未満展〜」というものにしてまして、このピュアエクスペリエンスっていうのが、まさに『善の研究』の言葉を拝借してつけたものになります。
『善の研究』は、純粋経験という概念について体系的にずっと述べている本になるんですけども、その純粋経験っていうのを英訳すると、ピュアエクスペリエンスになるので。原宿で個展をやる予定なので、原宿のテイストに合わせて、ひらがなで「ぴゅあぴゅあえくすぺりえんす」っていう、ちょっとポップな感じにタイトルを決めました。
その個展では、純粋経験とは何なのかっていうことが大事になってくるんですけど。純粋経験って、例えば音を聞いたりとか、色を見たりとかする、まさにそのとき、私今こういう音楽を聞いてるなとか、この音楽好きだな、この色綺麗だなとかそういう言葉的、言語的な働きが生まれる前の状態のことで。対象は、音楽とか絵とか演劇だったり作業であったり、何でもいいんですけど。
つまり、意識を向ける対象に対して、自分が没頭している状態――対象に意識を向けたとき、自分の主観と客観が完全に合わさっている、感動の光景がただそこに漂っているだけの状態のことを、純粋経験って言うんですね。なので、言葉以前の状態。
qbc:
はい。
ふわふわすふれ:
私の抽象画の制作はいつも言葉では説明しきれない、言葉未満の、言葉以前の感情を映し出すように、すごく意識しながら制作をしているので、そういうとびきりの喜怒哀楽じゃないですけど、とびきりの感情を、切実な感情たちを込めて描いた絵たちを展示する予定になっています。そのために空間自体も、皆さんに純粋経験していただきたいと思っていて。
例えば額縁とかも自分で作ったりとか、あとはその、そうですね。こんな感じで、これ、キャプションと言って、展覧会の作品の横にタイトルとか書いてある白いボードみたいなのあるじゃないですか。それもこんな感じで自分で手作りしてみたりとか、あとは友人に、自分の個展のイメージに合わせて楽曲を作ってもらったりとか、川の絵をすごく描いてた時期があるので、川のインスタレーションを作ったりとか。
あとは自分自身の衣装――衣装じゃないですけど服装も、展示の雰囲気にあったポップなものにしようかなと思ってたり、イヤリング、今日もつけてるんですけど、こういうのも作ったのを販売したりする予定があります。
qbc:
ありがとうございます。もしもの未来の質問というのをしていて、もしも宗教家になったとしたら、宗教法人名って何にしますか?
ふわふわすふれ:
私、別に宗教家になろうとはしてなくて。
qbc:
その集まりというか、集まった人たちというか、そこに名前はなんてつけます?
ふわふわすふれ:
そうですね。どうしようかな。「居場所」とかがいいですけどね。やっぱり「みんなの居場所」とか。誤解していただきたくないのは、やっぱり宗教を作るっていってもその、本当に教えとか教義とか宗教を作るとか教祖になるとか法人化するとかそういうことではなくて、日常性を同じくするというか、そういう意味での宗教ですね。
名前で考えてることとしてはやっぱり、サードプレイスって言って、普段の居場所とは違う、心を落ち着ける場所みたいなものを作りたいと思ってるので、サードプレイスだったり居場所であったりとか、そのコンセプトを伝えられるような名前をつけたいと思いますね。
qbc:
はい。最後の質問ですね。最後に言い残したことはっていうので、遺言でもいいしインタビュー感想でもいいし読者メッセージでもいいんですけども、最後に言い残したことがあれば、お伺いしております。
ふわふわすふれ:
そうだな。ちょっとでも、あんまり気付かない。なんだろう。このインタビューがどういう形になるのか全然想像つかないんですけど、もし興味を持っていただけたら嬉しいなと思うのと、受験頑張りたいなっていう気持ちで、頑張ります。そんな気持ちです。
そして、作品もそうですけど、人との会話はやっぱり「ナマモノ」でだからこそどう転ぶのか分からないところがあって、今日のインタビューも自分でも話すと思ってもなかったようなことを話し出す自分がいて不思議な体験でした。
qbc:
ありがとうございます。
ふわふわすふれ:
ありがとうございます。
あとがき
抽象画は好きですね。
【インタビュー・編集・あとがき:qbc】
【編集:なずなはな】
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