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鬱と心の病のマガジン

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鬱と心の病のマガジン!!!
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記事一覧

障害は障害で私の個性なんだから人

電車に乗っていたり、あるいは公共施設にいくと、「誰もが生きやすい社会を」という言葉をよく見かけるようになりました。 それはもちろん、生活していく上でのバリアや障壁は無くしてくべきではあるのですが、 「生きやすい」って、具体的にどんなものなのだろうな、とときたま考えることがあります。 生活していく上での意図しない誰かとの摩擦がない状態なのか、社会通念の違和を感じないことなのか、はたまた「これもいいよね」といった、いわゆる多様性云々の話なのか。 「生きやすい」「生きづらい」なのは

双極性障害Ⅱ型の人

むかしむかし、ある村に、波乃子(なみのこ)という娘がいました。波乃子の心は、まるで海のように、時に穏やかに、時に荒々しく揺れ動いていました。 波乃子の心には二つの風が吹いていました。「上り風」と「下り風」です。「上り風」が吹くと、波乃子はたくさんのアイデアが浮かび、夜遅くまで創作に没頭し、周りの人を楽しませる素晴らしい才能を見せました。 しかし「下り風」が吹くと、波乃子は深い谷底にいるように感じ、布団から出ることさえ難しくなるのでした。 村人たちは波乃子の変化を理解できず、時

このまま今の自分を生きていきたい人

今回ご参加いただいたのは ダブリュー さんです!年齢:50代前半 性別:男 職業:コンサル 現在:これ以上はちょっと日本にいられないとか最近は思ってるところです。ゆいぴ: ダブリューさんは今、何をされている方でしょうか? ダブリュー: 私は今、コンサルをしております。 ゆいぴ: 何のコンサルですか? ダブリュー: 記者会見のコンサルです。 ゆいぴ: 記者会見コンサル?具体的にもうちょっとお伺いしてもいいですか? ダブリュー: 上場企業とか政治家とかがクライアントに

存在価値がない人間じゃない人間になりたい人

むかしむかし、ある村に、無価(むか)という名の若者がいました。無価は自分には何の取り柄もなく、存在価値がないと思い込んでいました。 村では誰もが特別な才能を持っているようでした。農夫は豊かな実りをもたらし、大工は美しい家を建て、織り子は素晴らしい布を織りました。しかし無価には、これといった特技がありませんでした。 ある日、無価は村はずれの森で老賢者に出会いました。無価は老賢者に嘆きました。「私には存在価値がありません。どうすれば価値のある人間になれるのでしょうか」 老賢者は微

みんな何かしら抱えてるものは絶対あると思う人

むかしむかし、ある村に、慧眼(けいがん)という名の若者がいました。慧眼には不思議な力がありました。人々が心の中で抱えている悩みや苦しみを、その人の背中に乗った見えない荷物として見ることができたのです。 慧眼は気づきました。「みんな何かしら抱えているものは絶対にある」と。 ある日、村で最も幸せそうに見える富豪の背中に、大きな荷物を見つけました。話を聞くと、富豪は家族との絆を失っていたのです。 また、いつも明るく振る舞う若い娘の背中には、重い病の荷物がありました。 村一番の力持ち

人間ってずっと幸せだったら幸せじゃないんですよ。人

むかしむかし、ある村に幸せの泉があったそうな。その泉の水を飲むと、どんな不幸も悲しみも消え去り、ずっと幸せな気分になれるという噂でした。 村人たちは毎日その泉に並び、水を飲んでは喜んでおりました。しかし、ただ一人だけ泉の水を飲まない娘がおりました。名前を幸(さち)といいました。 村人たちは幸に「なぜ飲まないのか」と尋ねました。幸は答えました。「人間はずっと幸せだったら、本当の幸せを感じられなくなるのではないでしょうか」と。 村人たちは幸の言葉を笑い飛ばし、幸せの泉の水を飲み続

私なんでもないから、こいつつまんねえなとしか思わないと思う人

と思う2024年8月25日17時41分に書く無名人インタビュー873回目のまえがきでした!!!!! むかしむかし、ある村に誠(まこと)という若者がおりました。誠はいつも自分のことを「何でもない人間」だと思い込んでいました。 誠はこう考えていました。「私なんてつまらない人間だ。きっと誰も私のことなんて気にも留めちゃいないだろう」 ある日、村で大きな祭りが開かれることになりました。村人たちは誠に「お神輿を担ぐのを手伝ってくれないか」と頼みました。 しかし誠は、「私なんかが手伝っ

泥臭く足掻くのをやめなかったからこそ私は生きてる人

むかしむかし、ある山奥の村に、智(さとし)という若者が住んでおりました。智は村一番の物思いにふける青年で、いつも何かを考えては村人たちを困らせておりました。 村人たちは「考えるばかりで何も生み出さぬ奴だ」と智をさげすみ、両親さえも「もっと実践的なことをしなさい」と諭すほどでした。 ある年、村に大干ばつが訪れました。作物は枯れ、川は干上がり、村人たちは途方に暮れました。多くの若者たちは村を捨て、都へと逃げ出していきました。 しかし、智は考えることをやめませんでした。昼も夜も、水

つらい経験をすればするほど人に優しくなれると思う人

涙を流した日もあります。 悲しくて眠れなくなる夜もありました。 でも、今こうして、前に、まっすぐ進んでるんです! そうです、人間のポジとネガは、起きる出来事で決まるんじゃないんです、起きた出来事に対して、どう思うか、感じるか、で決まるんです。 どんなに苦しいことがあろうとも、それを糧にするならばpositiveで、悲観的に眺めるのならば、negativeなんです。元気がなくなったり、おちこんだりした時は、マーマレードでも作りましょう。もっと手間をかけたいなら、マドレーヌがいい

世界の表現の仕方を知るっていうのが勉強の人

思い出のよすが。幸せ逃げちゃった。 今度の木曜日、人と会う約束してて、でもそれアテが外れそう。なんだか仲良くなれなさそう。そうかもしれない。だって天気予報もどうにかこうにか、晴れかも雨かもだし。 ああ私はあの人と会うことが嫌なのを、自分一人で主張できず、気象庁に頼ってしまう。 ばかな私。生きてる意味ないわたし。そんなことないわだって明日には元気になるもの。たわわに実った夢の理想の果実、ああ、ああ、私にはいつ、一体いかなるときに私の掌におさまるのかしら。 情緒、こちらは世紀の厄

夫といるときが一番落ち着く人

人は忘れるが、忘れる力があること自体は幸せなんだと、そういうふうに言う人もいらっしゃいます。 人生に、さりとて絶対に忘れない備忘録っていうのがあったのだとしたら、そこに私は何をメモするんだろうな。父親が死んだこと? 母親が倒れたこと? コロナがあったこと? 911? 311? 国鉄さようなら? ベルリンの壁? なんだろう、社会のことではなくて、やっぱり個人的なことを書き記すんだろうかね。 10年付き合っていたけど別れた人のこと? 10年好きだったけど見向きもしてくれなかった人

月を照らす太陽ポジションを研究する社会人大学院生の人

昔ウミウシの写真を撮るって言う人のインタビューがあって。わりと年齢いってから、海側に住むようになって、それで、すぐ自転車でいけるってなって、海中でウミウシをとるんだという話で。それは、「一番最近楽しいことはなんですか?」って質問をした時の答えだったんだけど。 なるほどそういう趣味もあるもんなんだな、と小生、私、qbcは思いました。 そんなことを思いつつ。 海の中で、体をぐるぐるゆっくり回転ドリルさせながらウミウシを撮っていると。シュノーケルで。そのとき自分だけの世界になるって

人生が充実することは決して楽しいの連続ではない、と思ううつ病を治した人

模造紙という言葉を初めて聞いたのは小学生の時だった。もぞうし。なにそれ? と思って、小学生では模造という漢字があたまに思い浮かばず、もぞうし? となった気がする。 大人になった今、模造の意味が分かるかというと、わからない。無造作? ちがうよな。 模型と造形がなんか関係しているような言葉だから、そんな意味か。まあどうせ自分じゃ使わないし。 模造紙、なんか、でかい紙。色のついた。 それは小学校の研究発表なかで使うような。 みんなの夏休みの研究をぺたぺた貼って教室後方に貼っておくよ

noteに書いたからそうしなきゃって責任感が生まれる毒親育ちの人

車に乗って北へ。子供のころの話だ。父親の実家、秋田へ。父親の運転で、十なん時間かけて、日も昇らない時間から、夜にやっとたどりつくかくらいの距離で。 その車中、父親は井上陽水をかけて、母親はビートルズをかけた。まだ私qbcなんて子どものころで、その音楽の違いなんかはぜんぜんわからないんだけれども、でも、長い車中の中、そのふたつが順ぐりにかかって、そうだな東北の稲の先っぽのグリーンが風にゆれているのを眺めていたのを覚えている。拾い田畑を、風が走ると、さあっと一様に揺れていく様子を