助けてもらう勇気
私は割となんでもソツなくこなせるタイプであると思う。
新しいアイディアを実現可能性が高いものから低いものまで思いつくままに提案してみたり、提案された実現可能性が高いアイディアの枠組みを明確にするための手立てを考えて実行に移してみたり、あるいは事務的な作業も一度説明を受ければ大体のことは合格点をもらえるペースで完了できる。
アイディアを思いつくことが得意なのは、日ごろからたくさんの情報を吸収するように意識しているからだと思う。純文学からライトノベルまで幅広い小説を読んだり、思いつくままに新書に手を出したり、SNSで幅広い年代の投稿を見たりすることで、世の中に溢れるアイディアを自分の引き出しに詰め込んでいる。実現が可能かどうかを検討はしない。現実ではありえないのではないかと思えるような推理小説のトリックも、形を変えて現実世界で遊ばせられないかと妄想する。
アイディアの枠組みを明確にするための手立てを考えるために必要なのは、目的をはっきりさせることだと思っている。アイディアは手段であって、最終的にはそのアイディアを実行させたあとに何を残したいのか、何を伝えたいのかをはっきりさせることが大切だ。目的が定まっていれば、最初に出たアイディアの忠実な再現にこだわることなく、柔軟に枠組みを作ることができて、他所様の力が借りれなくなった時の代替案も含めて検討することができる。
前置きが長くなったが私は学校の先生なので、授業においても学校行事においても、目的を明確にすることを忘れないように心がけている。
学校における最大の目的は絶対にブレてはいけない。「生徒の成長」これに尽きる。
その最大の目的の前には小さな目的や目標があって、例えば「文化祭を通じてクラスの団結を深める」「部活動を3年間続けることで諦めない力を身に付ける」など。
教員としてはまだまだひよっこな私が偉そうに語るのはここまでだ。
とにかく、先生としてやるべきことの最終的なゴールは「生徒の成長」であるということと、それ基づいて割とソツなく仕事をしてきた。
ここからが私の失敗談だ。
常々、先輩から「甘えるのが下手だ」「根回しをしておくことも必要だ」「もっと弱音を吐いていいんだよ」などと言われてきた。
私は、自分に任された仕事は自分で最後までやり切りたい。そして、自分に任された仕事の目的を達成するためなら、先輩を強引に説得したり、プライベートの時間を犠牲にしたりして、自分の力技に頼っていた。
本当は電話で何かをお願いしたり、こまごました資料を作ったりするのは苦手で、会議の場で発言するのも苦手だ。さらに言えば、困ったときの解決策を聞くことはできても、精神的にしんどいことや辛いことを人に伝えることができなかった。
私がやることになっているんだから、弱音なんかはいちゃいけない。そう思っていた。そう思って1年間走り続けていた。
社会人1年目が終わって、指導教官に呼ばれた。それまでずっと優しい言葉をかけてくれることが多く、どちらかというと褒めて伸ばすタイプというか、野放しにさせて責任は一緒に取ってくれるタイプというか、とにかく厳しいことを言われたことはほとんどなかった。
しかしその日は割と険しい顔をしていて、話し出すまでに躊躇があるように感じられた。
「これが指導教官として最後の仕事なんだけど…」
いつになく険しい顔と厳しい口調で指導教官は言った。
「1年間初任にしては、初任以上によく頑張ったと思う。でも、あなたには決定的にできていないことがあって、それは人を頼るということ。」
失礼ながら私は口をはさんだ。
「いや、できないこととか、わからないこととかはちゃんと聞いてやってますよ。」
指導教官は(これだからこいつは…)とでも言いたげな顔をして話をつづけた。
「業務上できないことを聞いたり、教えてもらうのは当然のこと。できないことを聞いて自分でやってみることができるのも大切なこと。でも、できないことがあった時に変わりにやってもらったり、手本を見せてもらったりしたっていいんだよ。会議の前に厳しい意見を言いそうな人のところに言って、『会議でこんなことを提案しようと思うんですがどう思いますか?』って事前に顔色を伺ったり、自分の仕事量がいっぱいいっぱいになった時にほかの人に変わりにやってもらうとか、自分がいっぱいいっぱいであることをアピールするとか。自分の仕事をは自分で最後までやりたい気持ちはよくわかる。だったら、辛いなって思ったときに弱音を吐いたり、行き詰ったときに相談したり、自分の中で解決しようとしたら長く働き続けることはできないよ。だから2年目からは人に頼ったり、できないことを助けてもらうことができるようになろうね。」
負けず嫌いの私が涙目になっていることに気付いたのだろう。
「俺だって弱音吐くとかかっこ悪いことはしたくないけど、それが生徒のためになるならいくらでも弱音を吐くし人に頼るんだよ。大人の事情で生徒を振り回しちゃだめだからね。」
そう優しく言って、指導教官は去っていった。
私の仕事の最大の目的は「生徒の成長」
恥ずかしいとかかっこ悪いとかそんな見栄よりも大事なことがあることに気付かされた。
職員室にいる大人はみんな考え方や行動は違えど、根底にある「生徒の成長」という目的は共有している仲間であることをすっかり忘れていた。
目的の達成のための最大の手段は一人で頑張ることじゃなく、同じ目的を共有している人と助け合うことであった。
指導教官は目的の達成のために助けてもらうことを惜しまない。それはカッコ悪いことなんかじゃないということを教えてくれたのだと思う。
なんでも割とソツなくこなす自分が好きだ。
でも、自分が好きな自分でいるだけでは、この仕事はうまくいかない。
助けられる勇気をもって、誰かに頼ることに躊躇しないで働いていくことが、この仕事のいつまでも変わらない目的の達成に不可欠であることを教えてもらった。