i AM
ときどき、言葉が無性に溢れて止まらなくなる時がある。
何をしていても頭の中に無数の言葉たちが飛び交っていて、私に話しかけてくるような、
「ねえねえ、私の話を聞いてよ」
って訴えるみたいに
他のどんなことも手につかなくなるくらい。
目をつぶる。
小さな女の子の姿。
丸い顔のおかっぱ頭。
ほっぺを真っ赤にしてキラキラした目で走ってくる。
その子は満面の笑顔でいろんな話をしてくれる。
「あのね、今日はね、蓮華畑に行ったんだ。紫色の蓮華がいっぱい咲いててね、はしっこにタンポポとかシロツメクサとかも咲いててね、花かんむりにしたら綺麗だったんだ。」
「あのね、今日はね、クッキーを作ったんだよ。チョコの味とふつうの味。麵棒で伸ばしてね、ハートとかお花の形にくりぬいて焼いたんだよ。」
高校生の女の子の姿。
セーラー服を着ている。
青いリュックを背負って猫背で立っている。
彼女はいつも暗い顔で、こっちをじっと睨んでいる。
「来ないで。」
「お願いだから、私に構わないで。放っておいて。一人にして。」
「ねえ、もっと私のこと心配してよ。私を見てよ。私のこと、愛してよ。」
30代の女の人の姿。
スーツを着てパソコンを手にしている。
優し気な顔なのに目の奥が全く笑っていない。
真っ赤な唇から言葉がこぼれる。
「こんなはずじゃなかったのよ。」
「私の人生、もっとずっと輝いてるはずだったの。」
「あの時、絶対に話しちゃいけない手を離したのは私だったの。だからしょうがないの。しょうがないけど、本当ならこの手はもっと輝いていたの。」
そういって左手を振る。
「こんなはずじゃなかった。」
たくさんの声を聞いた。
幸せな声も、楽しげな声も、怒りも、悲しみも、後悔も。
夢がかなったあの日のこと、
心から笑えたあの日のこと、
大切な人を失ったあの日のこと、
どうしようもない絶望も、かけがえのない希望も
この声たちは教えてくれる。
届けてくれる。
喜ぶということ。
悲しむということ。
悔しがるということ。
泣くということ。
楽しむということ。
怒るということ。
何よりも、
生きるということ。
いつもどこか他人事のような人生の、
痛みを感じることのない体の、
何かがたりない心の、
ひとつひとつを埋めていくように。
こうしてまた目を開ける。
鏡に映るのは、
毎朝見る私の顔。
昨日とは何かが違う
わたしの姿。
夢を見ることが夢になったまま
まだ見ぬ声に出会いたくて
誰かが描く夢になりたくて
わたしの手で夢を描きたくて
だからあなたの声が聴きたくて
ときどき、言葉が無性に溢れて止まらなくなる時を
いまもずっと待っている。