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観劇の感想と戻れない時間の話

観てきました。
2025/1/23 14:00〜

思い出話

解体されゆくアントニン・レーモンド建築旧体育館の話(以下Q体)との出会いは、7年前になります。

高校2年生の3月。
演劇部が嫌で飛び出して知り合った地域のアート集団。(と言ってもその頃は今ほどの規模ではなかった記憶。)
そこで知り合った戯曲がQ体でした。

当時高校生だった私にとって、大学生の物語であるQ体はどこか遠い世界の話のようで、わかるようでわからないことがたくさんありました。
大学生ってどんな世界なんだろう。

言葉一つ一つに胸を打たれて、好きなセリフが生まれて、本当に素敵な戯曲であることは間違いないのだけれど、
根本にある大学生というものが全くイメージができない分、どこかふわふわとした感覚でQ体と接していました。
大学生になったらこんなことを思うのかな〜〜〜。
そんなざっくりとしたイメージだけど、それでも紡がれた一つ一つの言葉が大好きでした。

私は癇癪を演じました。
どうして私が癇癪なのか、その時は全くわからなくて、ただ与えられた役をこなすのに必死だった気がします。


それから時は経て、大学生になってコロナになりました。
Q体をオンラインで朗読している映像を見ました。
それから、自分たちでもQ体を読みました。

大学生の生活を知ると、世界観が一気に身近になって、より一人一人の言葉の重みを感じるようになりました。
それと同時に、どうして私が癇癪だったのかがよくわかりました。

癇癪は異質な存在です。
自分の所属に馴染めなくて、周りよりも優れている自分を信じて疑わず、自分のレベルに達しない他者を切り捨てることで孤独になっていく。だからこそ愛したものへの愛は本物で、手に入らないことが許せず癇癪を起こしてしまう。

それは私に通じる部分がたくさんあるキャラクターです。
特に高校生の時の、部活にもクラスにもうまく所属できずに外に飛び出した私は、癇癪そのものだったのかもしれません。好きなものに異様に執着する様を見抜かれていたのかもしれません。

高校生の時の私は間違いなく癇癪でした。

そして、大学生の時の私は哲学になりたかった。
学ぶことが楽しくてしょうがなくなりたかった。
敬虔じゃなくて、哲学になりたかった。

感想

まず思ったのは舞台装置や衣装の美しさです。
白を基調としたパステルカラーのスカートで統一されていて、でもみんなどこかが破れていて、華やかだけど綺麗なだけじゃない衣装が印象的でした。

〇〇役の方のお芝居がとても好きになりました。
よく通る声と圧倒的な存在感。
一目見ただけで彼女は特別な存在なんだと思いました。
有無を言わせない話し方は、ずっとその場で観てきた〇〇そのもので、有無を言わせない強さのなかに永遠の寂しさがあるような気がして、凛とした声もその存在も好きになりました。

癇癪には目がいきました。
かつて私が演じた癇癪だから、特別に目がいったのかもしれません。
癇癪の異質感を出す演出がすごかった。
彼女がなにも語らなくても、舞台上の誰とも馴染まない異質な存在であること、それも〇〇とは違って同じ時間に同じ場所で生きているのに頑なに馴染もうとしない様が一目でわかる演出だと思いました。
はじめは鉄壁なのかと思ったら、それは彼女が作り出した脆い壁であったことがわかっていくようで、彼女が語るよりももっと多くのものを演出で示されているように感じました。

息吹の底なしの明るさは救いだと思いました。
きっととても繊細に作られた息吹なのだろうと思いました。繊細に作ったものをあえてざっくりとした元気で固めているような印象を受けました。
でも間違いなく救いとなる明るさでした。


もう大学生には戻れないんだと思いました。それがどうしようもなく悲しくなりました。
入学からどんどん時が過ぎていって、その魅せ方が綺麗だからどんどん時が進んでいって、彼女たちが大人になっていく。
コンパがあってミスコンがあって課題があって寮を出ていって男に振られて卒論があって就職があって。
4年間はあっという間に過ぎ去っていきます。

私の4年間もあっという間だったことを思い出しました。
舞台上の女の子たちは大学生を一心不乱に生きていて、ひとつひとつに向き合って喜んで落ち込んでぶつかって大人になっていきました。
私にもそんな時間があったのでしょうか。
少なくとも今の私には無いように感じます。
あの時に戻れたら経験したいと思うことが後から後から湧き出てきて苦しくもなりました。

旧体育館の解体。
その事実の捉え方がさまざまに異なる女の子たち。
でも、どの子の思い出にも存在する旧体育館。
きっと彼女たちにも過去を振り返る時が来て、その時に思い出す景色の中に旧体育館は存在して、旧体育館での日々やそこで出会った友人のことを懐かしく思って、もう戻れないことに寂しさや切なさを感じる時がくる。
そうやって記憶の彼方へと消えて行くのを見てきてこれからも見ていくのが〇〇だったのかなと、今回やっと気づけました。
〇〇も忘れられる側の存在だった。
でも、〇〇のことを息吹はきっと忘れない。
息吹の底なしの明るさはそんなことを予感させてくれました。


好きなセリフ

好きなセリフがあります。
たくさんあります。
人生のどん底にいるような気分になった時に思い出しては涙が出てくるくらい好きな言葉があります。
ふとしたときに戯曲を読み直しては何度も何度も口にしてしまうくらい好きな言葉があります。
いつも私に気づきをくれる言葉ばかりで、どれかひとつを選ぶのは難しいです。
でも、一つ挙げるとしたら間違いなくこのセリフです。

息吹「たとえばね、ショーウィンドウの中のマネキンの着てる服がすっごい素敵で、すっごくほしい。でもそれは非売品だったり、高かったり、まごついているうちに他の誰かに買われちゃったり。」
奔放「うん」
息吹「そういうとき、普通の人は諦めるんだよ。」
奔放「うん」
息吹「諦めないで、その服がほしいほしいって言い続けるのはさ」
奔放「子供だよね」
息吹「きっとすごく好きなんだよ」
奔放「え」
息吹「その服が好きで好きで諦めきれないんだよ。私はそう思った。」

奔放の敬虔への愛を息吹は良くわかっているんだなと思うセリフです。

諦めきれないものを諦めなくてもいいのかなと思わせてくれるセリフです。
諦められないのはそれだけ愛があるから。
その愛は間違いなく尊いもので、たとえ手に入れられなかったとしても恥じるものじゃ無い。
愛があるという事実をしっかり抱きしめて生きていけばいいんだと思えます。

私は奔放に近いのかもしれない。
奔放に近くて、敬虔が嫌いで、でも放っておけないし無視もできない。嫌いだと言うしかなくて、でも本当は敬虔のことが大好きで敬虔の横にならぶ自分が大嫌いなだけ。
私にとっての敬虔がいて、でも私にとっての息吹はいなくて、だから息吹の言葉が私にとっては宝物のような存在です。

まとめ

つらつらと書いてしまいました。
とにかく、大好きな戯曲がこれ以上なく美しく上演されていて感動しました。

そして、もう戻ってこない自分の大学生時代を思って切なくなりました。
私には彼女たちほどの輝いている時間はなかったのかもしれないと思って悲しくなりました。
戻りたいと思いました。
戻れないとわかっているからこそ、戻りたいと思いました。
そして励まされました。
たくさんの素敵な言葉が散りばめられていて、本当に書ききれないくらいいろんな言葉に、新しい気持ちをもらって、昔の自分も今の自分も肯定してもらえました。

未来なんて私たちにはさっぱりわからないのです。

明日からも頑張って生きよう。
そう思わせてもらえる時間でした。

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