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働いていないことを自慢できる友人関係も時には必要だ

久しぶりに東京まで電車で来た。

大学時代何回も乗ったはずなのに、久しぶりに乗る都会の電車はなんだかとても緊張して、別になにも悪いことはしていないはずなのに、満員電車はなぜか少し緊張した。

怖い、というよりも、聞こえすぎる。
大きな駅は工事をしているのか、ずっと耳の底を超音波のような高音が流れていた。
都会でしか聞こえない工事の音。
大人になったら聞こえなくなると言われているその音は、大人になったはずなのにまだ聞こえて、聴覚も心も子供のままだということを思い知らされた。
一番高いのは工事の音、それから電車の車輪が擦り合う音、アナウンスの声、人々の無数の話し声、足音。ノイズキャンセルじゃキャンセルしきれない音の洪水に溺れていく感覚。音に飲まれる。自分の声が、存在が、どこまでもどこまでも沈んでいく。消えていく。
意識したら恐怖に変わる。わかっていても意識をしてしまう。でも恐怖を感じたら動けなくなる。動け。
聞こえすぎる弊害を受けながらも、その後に待ち受ける楽しさに期待して、期待できたから、音に負けなかったのだと思う。

久しぶりに会う友人たち。
教員になった人も、民間企業で頑張っている人も、学生という身分を生きている人も、みんな友達。

私が唯一と言えるくらい頑張った瞬間を見届けてくれた友人たち。
今の私だけじゃなくて、今までの私を全部含めて見てくれる友人たち。
他のコミュニティにもいるが、このコミュニティは間違いなく私のことを覚えてくれている。
その確信があった。

今の私はあのときの私と比べたら微塵も頑張っていない。頑張ることをやめて、頑張れなくなった。それでもあのときの自分も今の自分も、どっちも私なんだってわかってくれているから、私も今のみんなの姿を見たいし認めたい。
そんな気持ちで会いに行った。

それぞれの人生は間違いなく進んでいる。
相変わらずの遅刻も、非の打ちどころのない遅刻も、どうしようもない遅刻も、あのときよりも進んだ証。退化と呼ばれるかもしれないけれど、このコミュニティでは進化の証。2年前に遅刻してたやつは今も変わらずに遅刻する。それでも成長はしてて、2年前から歩みを進めている。遅刻が怖くてできない私も、2年前とは同じ場所にはいない。
先生になるために集まった人たちだと思ったのに、ほとんどみんな先生になってなくて、でも先生として今頑張っている人もいて、先生になったのに頑張れなかった私もいる。職についた人も、これから職につく人も、新しい職についた人もいる。そこに優劣をつけないのが良いなと思った。
2年間の進め方はそれぞれに違っていて、違うことが当たり前で、それぞれの進め方を認め合えているから居心地がいいなと思った。

元気じゃない自分を見せるのは嫌いだ。
大丈夫じゃないことも文章にして過去形にはできても、現在の姿として見せることができない。
無理しても無茶しても、元気な姿を見せるのがこのコミュニティでの私の在り方でいたい。どんな時も笑顔で話をする私でいたい。それはプライドでこだわりで、私が自分の一番嫌なところ。でも、どんな感情よりも優先して、私は元気な姿でいたい。

2年前の私も大丈夫じゃない時はあったはずだ。それでも大丈夫な自分でいたのが、いられたのがこのコミュニティだ。
だから、大丈夫じゃない自分も大丈夫になるのがこのコミュニティだろう。

働いていない自分は情けなくて嫌いになる。
それでも働けない事実は変わらなくて、働けないことを隠すことはもっとできない。
大丈夫の仮面をつけることはできても、今の自分の立ち位置すら覆い隠すことはできない。したくない。頑張った私の頑張りすぎた代償ごと全部私自身。
どんな自分も受け入れてくれる仲間は本当にありがたい。
声高働いていないことをアピールしても、心配よりも笑いに変えてくれる。だから私も笑いに変えられる。そうやって認められる自分自身が間違いなく存在する。

みんなが笑っている空間だけど、
みんなが笑えるだけの毎日なわけがない。
笑って過ごすだけの人生は2年間でなくなってしまったのかもしれないし、2年前も本当は笑えなくても笑っていたのかもしれない。笑っていた記憶しかないだけで笑っていなかった瞬間があったかもしれない。

今も笑いながら弱音を吐いている私たちは嘘つきなのかもしれないし、笑いに変えたいだけなのかもしれない。
弱音を吐かない彼らは、笑顔の裏に見せない感情を抱えているのかもしれない。
それでも私たちは笑っていて、今この瞬間が楽しくてしょうがないことは事実だ。
それ以上もそれ以下もいらないくらい、私たちはこのコミュニティでは楽しくいられる。
そこに嘘はないと信じている。

辛い話も苦しい話も、泣こうと思えばみんな泣ける。泣かすつもりはなくても誰かを泣かすことはできる。それが2年という時間にできることだ。
でも、私たちは涙よりも笑顔に変えたい。変える。
変えられるから今日も笑った。
笑ったから、今日が最後じゃなくて、今日もいつかの通過地点になる。
この通過地点を笑顔で通り過ぎれたから、次に来る通過地点も笑顔で通り過ぎれるだろうし、次もその次も最終地点にはならないだろう。最終地点にはしない。
今度は私がみんなの“大丈夫じゃない”を全部笑いに変えてみせる。

頑張れないと思う自分も、頑張りすぎていると思う自分も、どちらも一生懸命な自分だということを教えてくれるコミュニティが私はとても大好きだ。

帰りの電車も混んでいる。
聞こえすぎる音は、聞こえているはずなのにもう耳につかない。
一時的かもしれない、明日はダメかもしれない、それでも今は間違いなく大丈夫だから、明日もきっと大丈夫だろう。

私だけかもしれない。でも私だけじゃないかもしれない。だからまた会おう。次こそは二次会に行くから、次を作ってまた会おう。

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