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何者にもなれない私へ


『誰ともつながれない私。星屑ほどの価値もない』


そんな台詞を残し、飛び降り自殺をする描写で締めくくられた演劇を見たことがある。

記憶は定かではないが、確か高校の演劇部の大会の『流星ピリオド』という作品だった気がする。


劇の内容を細かく覚えているわけではない。

ただ、その最後の一文が衝撃的過ぎて忘れられないのである。


『誰ともつながれない私。星屑ほどの価値もない』


SNSを使うようになって、いままでよりももっとたくさんの人と繋がれるようになったと実感している。

顔が見えない相手とも名前がわからない相手とも、ほんの些細な共通点とか、見逃していた可能性の高すぎるきっかけとか。

そんな小さな奇跡の下で繋がれるようになった。


でも、時々その事実は私をとても苦しめる。

この出会いは奇跡と呼ぶことができるが、別にこの出会いは私ではなくともよかった出会いなのである。

顔も名前もわからない何万何十万何百万の人とほんのわずかな接点で出会える世界で、”私でなければならなかった理由”なんてものは存在しない。

あなたが私との共通点に気づかず、私以外の誰かと出会っていたとしても何ら不思議ではないのだ。

そして、毎日のように何万何十万何百万の人とほんのわずかな接点で出会える世界では、あなたの前から私がいなくなっても別に困らないのだ。

”顔も名前もわからない誰か”が日常からいなくなったって、失うものは大きくないのだ。


SNS社会ではそんな脆くて危うい出会いは増えていく。


その一方で

顔も名前も性格もよく知っているあなたに出会うきっかけは減ってきている。

小さな電子機器の中の世界が確立されればされるほど、

壮大で摩訶不思議なこの世界は私の手から離れていってしまう。


『誰ともつながれない私。星屑ほどの価値もない』


心からそう思った。

星屑ほどの価値もない自分を

誰が見つけてくれるの?

誰にも見つけてもらえない私に

いったい何の価値があるの?


可逆的で答えの出ない問いがぐるぐると回り続けて

結局思う。


『誰ともつながれない私。星屑ほどの価値もない』




”何者”かでなければならない。と思うことが増えた。

壮大で摩訶不思議なこの世界であなたにとっての

”私でなければならなかった理由”

になるためには

私は”何者”かでなければならないのだ。


あなたの”笑顔の源”

あなたの”道しるべ”

あなたの”帰ってくる場所”

あなたの”頑張る理由”


あなたの”生きる理由”


”何者”かになることで、私は代替不可の存在になって、あなたと繋がることができる。

そんな風に思う。



でも私はまだ、自分が”何者”なのか分からない。

”何者”になれるのかもわからない。

このまま進んでいって、いつか”何者”かになれるのかどうかもわからない。


私も、いつかあの主人公みたいに、自分に絶望して星屑となってしまうのではないか。

と思う。

星屑になったとしても、誰にも気づかれないのではないか。

とも思う。



私はcreepy nutsが好きだ。

彼らの紡ぐ旋律に何度も救われてきた。

彼らの音と言葉に出会って、”何者”にもなれない自分を肯定できるような気がするようになった。


”何者でもないお前、突き進めそのままでただ前に”

”あの失敗も、あの迷走も、あの敗北も、無駄じゃない

あの屈辱が、あの挫折が、今の俺を作り上げたから。

ならば現状の、今目の前の、この葛藤も、無駄じゃない

この苦しみが、この成長が、いつかお前を奮い立たせるから。”


『だがそれでいい』という曲の歌詞である。


私が私で生きているだけで、

私は”私”という唯一無二になれているのではないか。

私が私の言葉を紡ぐことで

私は私にとっての”生きる理由”になれているのではないか。


”何者にもなれない私”こそが私がなれる最高で最強で最大の”何者”なのではないか。


そしていつか、”何者でもない私”を見つけたあなたと出会って、

あなたにとっての”何者”かになれるのではないか

と思う。



誰とも簡単に繋がれる世界で

誰とも簡単に離れられる世界で

”何者”にもなれない人なんかいなくて

誰もが”何者にもなれない私”だからこそ

誰もがそんなあなたに惹かれて

あなたにとっての”何者”かになろうとするのかもしれない。



『誰ともつながれない私。星屑ほどの価値もない』


でもさ


『いつかあなたと繋がった時、私は誰よりも価値のある存在になれるんだよ』


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