みえないとがんばる
最近、生徒の夢を見ることが減った。
先生として高校生の前に立っている自分よりも、生徒として高校生だった自分のことを夢でよく見るようになった。
たかが夢。されど夢。
どんな夢を見たのかを完全に覚えているわけではないけど、ただなんとなくぼーっとした毎日の片隅に、いつか見た夢の残像が残っているような気がする。
不安と言うのはいつまでも続くもので、気にしなくてもいいことを自分は気にしているんだと自覚してもなお、不安というものは続いていきます。
どんなことでも、例えばそれがテストでも受験でも、自分が不安だと一瞬でも思ってしまったら、不安は消えてくれなくなります。
そして、うまくいかなかったときには、頑張らなかった自分を責めたり、自分には到底無茶な目標だったのだと開き直って諦めたり、周りの誰かのせいにしたくなります。
では、不安は悪いものなのでしょうか。
不安に思うことはいけないことなのでしょうか。
私は悪いものだとは言えないと思っています。
私自身が今、正体不明の不安に悩まされ、仕事もそれ以外も思い通りにならなくなって、悔しい毎日を過ごしていますが、
それでも私は、不安は悪いものではないと思っています。
不安は何もしていない人がかかる病
先月みた映画の中で言われていたセリフです。
この言葉をあなたはどんなふうに捉えますか?
「自分が不安に思うのは、私が何もしていないからだ、もっと頑張らないと…」
と、捉えますか?
「不安を感じていない自分は、一生懸命頑張っているということなんだ!」
と、捉えますか?
立場を変えただけで同じようなことを言っていますね。
私はこの言葉を
「私が不安を感じているということは、私にできることがまだ何かあるんだ!私の力はまだまだあるから、もう少し頑張ってみよう!」
と、捉えています。
不安です。
毎日何かをしているようで、何もできない自分が嫌いになりそうです。
このままいつまでもこんな生活が続くことが怖いです。
1年前の自分に戻りたいと毎日思います。
でも、そんなネガティブをいつまでも続けているわけにはいきません。
ネガティブを続けている限り、私はこの場所から動けないままです。
少しでも自分が変わっていくことで、新しい未来と出会えると信じています。
不安を感じるということは、まだ、私が気付いていないだけで、私にできること、私がやるべきこと、私がやりたいことが、どこかに隠れているはずです。
そう思ったら、不安を感じる自分は、前に進みたいという強い気持ちを持っている自分なのだと認めてあげることができます。
前に進みたい、それはつまり、自分自身としっかり向き合って自分の本当にやりたいことは何なのかを見つけたい、という気持ちだと思います。
私が次に進む道が、先生なのか、それともほかに何かあるのか、私にはまだわかりません。
でも、間違いなく言えるのは、先生でいた時間は楽しくて、大好きなあなたたちの成長の場面にいられないことが悔しくて、せめて卒業までには間に合ってくれという今の気持ちが事実であることです。そこに嘘はありません。
夏休みが終わりましたね。もうすぐ文化祭がやってきますね。同時に進路のことも本格的に動き出しますね。進路のことが終われば、もう卒業を待つだけになりますね。
全ての場面に、私は取り残されています。
私が、不安に打ち勝つことができたら、自分ができることを全てやりつくすことが出来たら…。
取り残された時間を巻き戻すことはできなくても、あなたたちと話をして、あなたたちから聞いて、取り残された時間を前に進めたいと願っています。
大好きなはやみねかおる先生の言葉の一つ。
「捨てられないのが本当の夢、捨てられるのは夢ではなく憧れ」
名探偵夢水清志郎の言葉。
叶った夢を一度手放して、それでもまた掴みに行くことができるのは、これが本当の夢だからなのだと、自分の好きなように解釈してみる。
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