
父とフライ
この間、実家で。
母が用事で留守になった時があったんです。
昼になり、父が台所でガサガサやってるんですね。
さっき軽トラで帰って来て、そしたらキッチンへ直行して、ガサガサと。
で、「飯だ!」って、声が聞こえて。
食卓へ行ったら、さっき畑でとってきた青菜が皿にあって、その上に揚げ物が二つ。
メンチとコロッケ。
そしてテレビを観ながら、確か日曜日でNHKののど自慢。
それをふたりで(私も含め、おっさん2人で)フライをつつきながら、ご飯を食べました。
あんまり歌上手くないなとか、たまに、喋りながら。
父と子、男同士、「たまに」とか「すこし」とか。
たまに話して、すこし話して。
なんでもない買って来たフライ。
ご飯を茶碗によそって、私がいれたお茶を注ぐ。なんだか、それもどこか恥ずかしい。
この人の子であるのに。
記憶では、この人が大好きで、いつも戯れては、遊んでもらって、いつも後ろをくっついて歩いて。
そんな記憶が感情の中に生きていて、それがまた、どうしようもなく恥ずかしい。
父が悪いでもないのになぜかぶつかって、怒りをぶつけたくとも、それもまたなんだかぎこちなくて、そんな若い頃もあったり、ぎこちなくぶつかって、理屈をこねて、そしてまたそんな自分が恥ずかしくて。
息子がぶつかってきて、きっと、少し、父もどこかで傷ついた気もして。
大切に思うのに、なぜか、ぎこちなくぶつかったり、ぎこちなく大好きで。また、それが恥ずかしくて。
そんな感情がたくさんある。
子供の頃。
母が留守のときの昼ご飯。
実は、好きだった。楽しみだった。
あの頃から父は、母がいない日の昼には、そっとどこかへ出かけてフライを買ってくる。
いつも、フライだった。
なんでもない数十円のフライ。コロッケやメンチや。
きっと父が子供だった頃。
そんなコロッケやメンチなんて、きっととてもご馳走で。
そのままで大人になって、親になってくれた父が、そして、フライを買ってくる。
そんな日曜日が好きで。
もうその頃の父よりも年上の今の私が、こうしてまだ息子のままだったことを、そのとき深く深く感じた。
20120616 4:37