遥かな場所からの返信として。伊藤悠子『まだ空はじゅうぶん明るいのに』『風もかなひぬ』
伊藤悠子の第三詩集『まだ空はじゅうぶん明るいのに』(思潮社)では、積み重なる日々の記憶の奥に沈められた生の核心が、曇りのない平明なことばで見いだされてゆく。
冒頭の詩は、「秋が焼かれていく/冷気に焼かれていく/木の葉が赤く焼かれていく/冬が焼かれていく」と始まる。ある動作や状態を示すことばの慎重な繰り返しは、伊藤の作品にたびたび見られるが、隣接するイメージを少しずつ探る視線の緩やかな移動によって、息を潜めるような呼吸の静けさが詩のなかに現れる。
静謐さは、伊藤の詩の大きな魅力のひとつだ。とくに花や草木、墓地の石、あるいは幼子の代わりに埋葬された木材や、山中に投棄された冷蔵庫など、ひとではないものたちの内部の時間の流れが代弁されるとき、話者自身の感情の主張はより抑えられ、見つめられるものに寄り添うことばの静けさが持続する。
表題作でも、ホテルの庭の遊具の動物たちは「このしずけさにふさわしいものはこうしたもの」「いちども命がなかったもののおだやかさで/この星にいて」と表されるが、この「おだやかさ」の発見と肯定は、そこに到達することはない人間の生に対するひそやかな諦めとも読める。
それでも詩人は、幼子や懐かしいひとたちと触れ合ったひとときの温かさをもまた慈しみ、彼らの息遣いを丁寧に記録する。過去の思いも、いつかめぐる日々も、「遠く」にあることを自らに教えるために。
伊藤の詩のなかでは、「遠さ」は失意の象徴ではなく、祈りや新たな希望として捉えられることが多い。
「窓の外の公園に降る雨を見ながら思う/そこでブランコに小さな子を座らせて押していた日のこと/そして遠い知らない公園に降る今日の日の雨のこと」(「雨が降っている」)。
「今日の日のことなど忘れて/とおく離れて会うだろう」(「今日会った人」)。
「私のいない坂道は/なぜか明るい」(「滔々と坂道」)と書かれるように。
見つめる対象から離れていると知ること。それは、その地点まで導かれてしまう可能性を自覚することでもある。詩集には、詩人を導く遥かな眼差しからの「返信」を描いた一篇がある。
星がひとつまたたいて目が合った
これが問いへの返信と星は言う
とおく問うたのは
君なのだから
まっすぐ受けとればよい
胸底ふかく受けよ
「胸底ふかく」温められたことばが詩に変わる。その瞬間を目撃する喜びに満ちた一冊である。
詩集と同時に刊行された、著者初めてのエッセイ集『風もかなひぬ』(同)。家族と日々を過ごし、辿るべき方角を自問しながら、いつしか遥かな場所へと、詩が誕生するほとりへと導かれてゆく著者の姿がここでも誠実に描かれている。
とくに、イタリア語を習い始めたときに導き手となったチェーザレ・パヴェーゼの故郷、ランゲへの旅の記述には、伊藤の詩作品の原形となる、精神のありようが濃く表れている。
伊藤は、ランゲの丘に、自分の育った杉並の丘を重ね、「目を閉じるように夕闇に紛れてゆく。目を閉じる子に手を引かれて、ずいぶん遠いところまで来てしまった」と書く。
「目を閉じる子」とは、パヴェーゼの小説『月とかがり火』に登場するチントという名の少年のことだ。
少年は「目を開けたとき何か変わっているのではないか」と、目をつぶり、時をかせぐ。伊藤もまた告白する。「私自身も幼い頃、同じことをしていた」のだと。
自分にしかわからないやり方で目を閉じ、未知の時を心のなかへ招き入れる。それは詩を思うことに似ていないだろうか。だがこの旅の途上では、伊藤が詩を書くことについてはまだ触れられていない。
思い続けた異国への旅が叶えられるまでにはさまざまな出来事があり、エッセイには、家族や著者自身が経験した事故や病についての詳しい描写も含まれている。
なかでも、まだ幼かった娘が病気になったときに、その病名を友人に告げた場面は忘れられない。友人は、知り合いにも同じ病の子がいたと言い、こう続ける。
「亡くなったとは聞いてないが姿は見かけない」と。
そのとき伊藤は思う。
「亡くなったとは聞いてないが姿は見かけない子がいるところを想像した。いつの時代もどこの国にもそういう場所はある。娘がそのようなところで生きるなら、そちら側に私も行けばよい」と。
「そちら側」に渡ることを恐れないゆえに、伊藤の詩の語り手の眼差しや思念もまた、日常の風景を超え、事物の本質にまで届くのだろう。
いくつかの困難を通過したのちの念願の旅。それに続く追憶という名のもうひとつの旅路。そうした静かな日々がじゅうぶんに流れたあと、伊藤はあるとき自分の病について書き留めようとし、思い通りにならない文章を何度も書き直す。
そして「なげやりではあるが、文が飛んだり屈折したりしているとも言えないだろうか。そこに詩が隠れてはいないだろうか」と気づく。
「ほとりにたたずむ」と題された連作エッセイの後半でようやく、詩を書く行為の始まりが語られるのだ。その後通い始めた現代詩の講座で最初に提出したという作品「ユキヤナギを売りに」(第一詩集『道を 小道を』所収)には、こんな行がある。
夕暮れを急ぐ
夕日をそらし
下る坂道に加速をたのみ
台を畳み始めた人もいる市場をめざし
夕暮れを急ぐ
ユキヤナギを売りに行くのだ
庭にはユキヤナギしかないのだった
(…)
日の残る市場に着いたら
人も残る市場に着いたら
ユキヤナギの鉢をゆっくり並べ
うつむいて夕暮れの重みに耐えよう
「ユキヤナギを売りに行くのだ/…ユキヤナギしかないのだった」という、静かな覚悟を秘めたつぶやきが、「詩を書くのだ、詩しかないのだった」という到着と新たな出発の言葉として響いてくる。
ここに導かれるまでに、過ぎていった数々の季節。その時間の重みに耐えられるだけの詩のことばはどこから来て、どこへ向かうのか。本書はそれを慎ましく、けれど稀有なまばゆさで教えてくれる。
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伊藤悠子 第三詩集『まだ空はじゅうぶん明るいのに』、エッセイ集『風もかなひぬ』(ともに思潮社 2016年4月刊)
※この文章の初出:「現代詩手帖」2016年8月号。note掲載にあたり改行位置など修正。