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【人格心理学】承認欲求が強いのはなぜ?
皆様こんにちは
どうしても自分のことを見てほしいと思ってしまいます
モミでございます(´・ω・`)
今回は「承認欲求」がキーワードとなっております
近年ではSNSの発達で特にこのワードが注目されるようになっていますね。承認欲求が強い人をウザいと感じる場面が多く感じられるようになったからなのでしょう
では、そもそも承認欲求とは何なのでしょうか?
こんな時代だからこそ、もう一度承認欲求を再確認していきましょう!
自己承認欲求とは?
自己承認欲求について簡単にまとめますと
自分が優れた存在だと思い、同時に他人からもそう思われたいという欲求を言います
「他人から認められたい」という側面ばかりスポットを絞って紹介されることがありますがそれは間違いです
自分で自分を求めていないと自己承認欲求とは言えないのです
欲求段階と承認欲求
承認欲求とは何か?
これを考えるとき、真っ先に浮かぶのは「マズローの欲求段階説」ではないでしょうか?
マズローの欲求段階説とは、上から「自己実現」「自己承認欲求」「愛と所属の欲求」「安全と安定の欲求」「生理的欲求」の順になっており、上の欲求に行くためには下の欲求が満たされなけばならないと言われております
逆に言えば、下の欲求が満たされてないのに、上に行こうとしても無理があるという事です
つまり、自己承認欲求が満たされない人というのは、自己実現の欲求が満たされない故である可能性が考えられます。
自分のことを認めてほしい、自分を必要としてほしいという人の裏には「未だ成長しきれない」「まだ何かを達成できていない」という心理が働いているのでしょう
もう一つ考えられるのは、「愛と所属の欲求がそこそこ満たされている」ということです
社会的カテゴリー
所属の欲求に関して、社会的カテゴリーについてご紹介します
ある基準に照らして人をカテゴライズする心理を言います
この社会的カテゴリーの心理は、自己承認欲求を満たすために起きる事があります
自己承認欲求を満たすために、社会的カテゴリーの中で「自分が望ましいカテゴリー(集団)」に所属し、異なる集団を批判するのです
自分を認めてほしい高学歴の人が低学歴の人を差別するのは、低学歴の人を見下すことで「自分は有能だ」と自他ともに認められたいのです
そのために、高学歴のカテゴリーに所属しようと努力するのです
SNSと現実
さて、現実世界で認められる人とはどんな人でしょうか?
多くの場合は何らかの能力に秀でている人が、自他ともに認められ、周りから褒められます
言い方は悪いですが、これは「〇〇できたら愛してあげる」「~~ができたら褒められる」というもので、有限で限界がある承認でしかないのです
しかしSNSの世界は違います
SNSでは無条件かつ無限に認められる感覚があるのです(リツイートするだけで反応してもらえる。いいね機能、再生数の多さ等)
SNSが危険だといわれるのは、不特定多数の見知らぬ人からの「認められる感覚」は、無限かつ無条件であるがゆえに「無限に、無条件で認められないと気が済まない」という感覚に陥るのが原因です
Twitterのいいねの数はわかりやすい「認められた」感覚です。しかも量的に現れるから余計質が悪い
我々は、もはやSNSでの「承認」からは逃れられないかもしれません
承認欲求の否定
承認欲求は、他人を不快にさせるどころか自分さえもむしばむ毒となり得る「諸刃の剣」です
では、承認欲求は否定すべきなのでしょうか?
そうとも言えません
我々には「自己実現」という課題が残っています。この自己実現の基礎となるのは承認欲求なのです
承認される事、承認を求める事は心理学的に言えば悪いことではありません
問題は、SNSが発達した現代では「自己承認欲求を満たすツールが溢れすぎている」ということです
しかも手軽になりすぎています
承認欲求を満たすことの危険性に気づくと、ついつい自己承認欲求=悪としてしまう
それではダメなのです
自己実現を果たしたいのなら、自分を認め、他人を認める必要があるのです
願わくば、自己承認にとらわれない生き方をしていきたいものです