「教育勅語」の何が問題か-山住正己『教育勅語』を読む
朝日新聞記事データベースによると、タイトルに「教育勅語」を含む記事は1985年以降で105件。そのうち約半数は2017年3月以降の記事である。
2017年2月、安倍晋三首相の妻が名誉校長に務める小学校に豊中市の国有地が近隣国有地の約1割の価格で払い下げられたことが報じられた。小学校を設置する学校法人森友学園の運営する塚本幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させていたことが取り上げられ、脚光を浴びることになったのである。
その後、稲田朋美防衛相が教育勅語について「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべき」と発言し、議論は教育勅語の是非に及ぶことになった。
「教育ニ関スル勅語」、いわゆる教育勅語は1890年に発布された教育の基本方針を示す勅語である。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一節に見えるとおり、天皇の命(勅)であり、天皇に対する忠義を基調としている。衆参両院は1948年に教育勅語の失効を決議している。
「歴代の首相や文相ら日本の政治や教育行政に責任をもつ者のなかにも、勅語には今日も通用する大事な教訓がふくまれていると公言する人は多い」と本書は書いている。森友学園の籠池理事長や稲田防衛相の発言はこれに連なるものと言ってよいだろう。
私が最も共感したのは、本書で紹介されていた、羽仁五郎の発言「たとえ完全なる真理を述べていようともそれが君主の命令によって強制されたというところに大きな間違いがあった」である。
日本国憲法が制定され、「教育立法の勅令主義から法律主義への大きな転換」(文部省『学制百年史』)が図られたいま、大日本帝国憲法下の天皇大権に基づく教育勅語を持ち出すのはやはり不穏当と言わざるを得ない。