親と似た人と距離を縮めてしまう
「話が通じにくい」
「本当は人の話を理解していない」
「話を聞かず、一方的なコミュニケーション」
「遠回しな言い方」
「依存的」
私の親にはこんな特徴があります。目立つ特徴を挙げましたが、これが他人だったら「面倒くさい人」ではないでしょうか。頭ではわかっているのに、気が付いた時には、私はこの特徴を持つ人と距離を縮めてしまっているみたいです。
面倒くさい人ともコミュニケーションが取れているっぽい
どうやら、通じない親に育てられ、関わっていたからか、「面倒くさい人」とも上手くコミュニケーションが取れてしまっているようです…
普通に通じる人に囲まれて育った人達は、きっと「面倒くさい人」にすぐに気付き、深入りしないようにするんでしょうね。
ところが私は、やはり親や家族のパターンに似た人が最初は関わりやすいのか、何か月か経ってから、 「あ、この人、人の話を聞かないな‥」
「あれ…?この前言ったことが全然通じてない…あ、父親と同じタイプか…」
と、気付きます。中には、周りから避けられている人なんだなと、後から気付くこともあります。特に社会人になると、共通の知り合いがいたとしても、「良いところ」に目を向けるようにして関わるため、自力で気付くまでに年月を要することもありました。
育った環境の癖で人間関係に影響するなら、努力してもムダな気がする
私は、何年も親との関係や、自分の振り返りを行って、癖に気付いては修正しています。でも、自分の考え方や癖を多少修正できても、親と似たタイプの人を避ける力だけは身につきません…しかも、「だいぶ変な人」に距離を縮められることもあるし、なぜかクレーマーなどに絡まれやすいです。私はむしろ、そういう人には関わりたくないんですが…
これって、毒親から愚痴を聞かされたり、理不尽な目に遭わされても、受け止め続けてきたから、「受け止めてくれそう」と勘違いされるんでしょうか。
もしかして、育った環境の影響で「境界線が薄くて勝手に踏み越えられる」のか、とも分析しています。
一般の人以上にアンテナを張る必要がある
寺育ちもあり、人間関係が受け身な習慣がついているのもあるのか、「人を避ける」という選択肢がありませんでした。檀家など来客は絶対に関わるものだったので。
でも、普通の家庭に生まれたら、「知らない人」だったら警戒するのが当たり前です。その感性がないまま育つと、今になって、「変な人に絡まれる」弊害が出るとは…
普段、人から避けられている人は、「自分を避けない人」がすぐわかるんだと思います。
私は、その「変な人を避けるアンテナ」が弱いので、無意識にその人の視界や領域に入っているのかもしれません。ただ単に、人に興味がないだけなんですが、それが出遅れる原因にもなっているのか…
毒親も変な人
毒親も、分類すると「変な人」なんでしょうね。体裁を気にするため、一見良い人に見えますし、浅い付き合いしかしない人には、まさか「毒親」に該当するとは思わないはずです。
ところが、深い会話をしたり、頻繁に関わったり、何か話し合って決めたりする場面で、ようやく「変」な面が見えます。
私は、その「変」な面を持つ親と過ごすことに慣れいるため、早い段階で「変な人かも」の違和感に気付けないです。
もし、今までの経験から行動を変えるとするなら、「一見人当たりの良い、親と雰囲気が似てる人」を選ばないことかもしれません。
「人当たりの良い人≠良い人」と考え、困っていても汲み取り過ぎないことも大事だと思っています。気を利かせて助けると、依存されやすくなるので。
こうやって考えると、アンテナを張って生活するって、疲れますね。自然にできるように意識する毎日です。
私が巻き込まれやすい理由、対策について深掘りしてみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。