
他人と比較しなくなったけど
機能不全家族育ち、ACということで、自分の生きづらさの原因の一つに「誰かと比較する」という癖があります。今回は、この「比較する癖」について綴っていきたいと思います。
比較してしまう癖
私の比較してしまう癖は、幼い頃から母親が弟と比較して、「あんたと違って〇〇は素直に言うことを聞いて、可愛い」と普通に口に出していたのが原因でしょう。手伝わせるため、良い成績を取らせるため、同世代の他の子どもと比較されることもよくありました。そういう習慣の中で育つと、親から言われなくても「無意識で他人と比較する」のが当たり前になっていきます。
そのため、私は20代後半頃まで、「努力せずに許される」「悪い結果でも親が受け入れ、可愛がってくれた」という人に出会った時に、嫌悪感が芽生えました。なぜなら、「頑張らないことを悪いと思っていない」のが信じられなかったからです。その時は知らなかった言葉ですが、「自己肯定感が高い」状態の人なんですよね。
自分の生き方を振り返り、考え方の癖を修正
私自身、母親の考え方の影響を大きく受けていて、白黒思考でネガティブに考えがちです。わかっていても、良いところや上手くいったところに目を向けられないです。特に体調がイマイチな時は、わかっていてもその思考は止められません。
ここ数年は、「比較すること」をせず、自分軸で自分のできたことに目を向けられるようになりました。でも、どうしてもできないことがあります。それは「弟」と比較してしまうことです。私と違って、跡継ぎを理由に何でも大目に見てもらえ、ありのままで愛情を与えられ、生きづらい私と違って人間関係も器用。
弟に対して親が未だに甘いところや、なかなか跡を継がない状況で自由に見えると、私だけ人生を損した気持ちになるんです。
不公平な扱いを親は公平と言う
「大人になったら〇〇(弟)が寺をするから、あんたは大人になるまで寺を手伝って」と渋々納得させられ、働きながらも手伝い、疲れたと言っても受け入れられず、長期寝込みました。寺に縛られていたから、社会でも価値観のズレに苦労して、人間関係はストレスが多かったです。医療業界も、15年以上自分を奮い立たせて馴染む努力はしましたが、2年前に辞めました。今もなかなか、思うように立て直しきれていない状況です。
そんな状況で、やっと自分の生き方を受け入れ、肯定できるようになっても、弟の型にはまらない生き方が親から受け入れられているのを知ると、気持ちがザワザワします。私は親にとって、弟で失敗しないための練習台で、私は人生の前半30年近くを寺と親の犠牲になった。一方で弟は、最後まで親から大目に見られようとしている、そう思ってしまうんです。
子ども時代に親の都合や価値観に染められ、一見自発的に手伝ってるように仕向けられた私には、条件つきの愛情が当たり前。ずっと子ども扱いされてきた弟より愛情不足で、人生も犠牲にしてない?と感じてしまいます。
子ども時代は、人間関係や生き方の土台を築く時期です。そこがズレた時点で、大人になってから気付いても簡単には修正なんてできない。
子ども時代に愛情いっぱいに育った弟は、屈託なく、性格も可愛く育つ。生まれてきた順番、性別の違いで不公平にしか思えないんです。
実家と関わると不調
コンディションを整えてから実家に帰省するつもりでも、帰省の数日前から体調がイマイチになり、帰省すると何かと耳に入る情報で疲れ、数日は体調不良。やっぱり機能不全家族育ちのACは、自分軸を保てるようになっても、実家には極力関わらない方が健康で過ごせます。
どんなに親なりの配慮を感じても、私の心で消化しきれていない不公平感や自己犠牲感は、実家と関わることで顔を出します。その結果、落ち着いていた「比較」「絶望感」「怒り」が再燃します。こうやって、辛くなって親と疎遠、絶縁していくんでしょうね。
自分の心が平穏であるためには、実家に関わらず自分の生活を最優先するのが正解なのかもしれません。大人の対応として関わるのも、余裕があればすればいいし、無理なら回避し続ければいい。自分が穏やかに幸せに暮らせるなら、自分を大事にするために必要な選択なら、それでいいんです。
とりとめない気持ちを綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。