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雑に扱われる習慣

世間で帰省シーズンになると、私は、実家での不愉快な扱いについて思い出します。今日は、そのエピソードについて綴りたいと思います。

一人暮らしを機にさらに風当たりが強くなった

私が退職した病院には、最初の1か月は実家から通っていました。でも、私は当初の予定通り、GWには引っ越して一人暮らしを始めました。通勤が疲れる以外にも理由があります。それは、母親の一貫性のない煩さがムリになったからです。

転職して慣れないところで必死で働いてる上に、家に帰っても、「私の分だけよけて洗濯をしてくれない」「朝早くから生活音がうるさい」など、心身共に面倒くさいことが多かったからです。正直、どんなに頑張っても、冷蔵庫の開閉や電子レンジなど、音は出ます。

一人暮らしを始め、ペースができるまでは実家に月一回くらい帰省していました。だんだん母親が煩わしくなり、帰省する頻度を減らすようになりました。すると、ある日帰った時に、自分の部屋は自分で掃除機かけてから寝るように言われたんです。弟は、一人暮らしでも、綺麗に部屋の掃除をして迎えていたのに、私には自分でやれと。
最初は、自分で掃除してから寝てましたが、仕事で疲れて実家でも疲れて、惨めな気持ちと怒りが溢れました。

父親に伝えた

「母親が弟の部屋は掃除しているのに、私の部屋を掃除しないこと」
「母親が幼い私達を連れて、母親の実家に帰省した時は、祖母は掃除や布団干しなど、全て整えていたこと」
「帰ってきても気分が悪いからこの状況が続くなら帰省したくない」

以上を父親に伝えました。それでも、「お母さんはお寺の仕事で忙しいから、余裕がない」など、認めようとしませんでした。

父親を通すと少し改善する

父親から言われたのか、次に帰省したら「一緒に掃除して、寝具を整える」ようになりました。これも、自発的ではなく「言われたから」少し改善しただけです。私は、母親と会話しながら寝床を整えるのもストレスでしたが…

何回かそんな帰省をした頃、結婚していなかった私を否定する、酷い言葉を母親から冗談のように浴びせられました。
「あんたは、〇〇(都道府県名)どころか海外に行ってくれててもいいくらい」と。
要は、独身の娘が体裁悪く、檀家など周りからいろいろ言われるから、私に言ったんです。

私は「今までお世話になりました。もう、二度と帰りません。」と、帰る時に精一杯怒りを鎮めながらそう言い、それから数年は親を音信普通にし、実家には帰らなくなりました。

表面上は和解しても、家族単位でしか会わない

いろいろあり、表面上は事務的なやりとりはするようになりました。それでも、母親だけは許せず、今もブロックしていて、会う場合も、絶対に両親と私だけでは会わないようにしています。誕生日も、父の日、母の日も、私はしていません。
今年は、私の体調不良もあり、一度会う予定を流したまま今に至っています。

この1年で、実は私の根本的なストレスは、父親であることにも気付きました。お父さん子だったけど、すごく理不尽なことがいっぱいで、本当は父親に対して幼い頃から怒りを溜めていたようです。
「聞いてるフリ、わかったフリをしてるだけ」
「共感力が全くなく、話が通じない」
「望んでないことを押し付けて(上から)してやった感が強い」
「自分は煙たいことを言わず、周りに解決させても、自分が解決したと思っている」

こういうところにストレスを感じ、口頭でやり取りすることは避けています。

私の意見はないことにされてきた

私がどんなに話しても、どんなに訴えても、親は流すのが習慣だったようです。親にとって都合の悪い「矛盾」に気付く鋭さを、私が持っていたからかもしれません。一見わかったフリをして、本当は親の意向に沿わせました。「させてやってる」が口癖だったので。
一方で弟は、口数が多くないからと、私より気にかけられていました。

結局、私はどんなに努力しても、話を聞いてもらえなかったようです。そうやって、雑に扱われることに慣れてしまい、友達や社会での人間関係でも、自分を雑に扱う人にも怒りを示せず、時にはムダな努力をしながら付き合う癖が出ていたように思います。
「迎合すること」で、表面上は上手くいっていたかもしれないけれど、少しずつ我慢が募ります。そうやって、限界に達してムリな日がやってきました。本当は納得していないこと、流せないことは、蓄積していくんです。

子ども時代にあまりに大人びていた私は、その反動と言えるくらい、今の私は嫌なことは避けるか拒絶しています。
もしかしたら私は、子どもらしく過ごせなかった分、今になってやり直しているのかもしれません。今さらかもしれませんが、1から積み直して自分を取り戻し、生き方を修正です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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