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家族じまい

今日、偶然見つけた記事に「家族じまい」というものがあり、介護に関する新しい価値観と、介護する側の苦しみを知るきっかけになりました。

親の最期を依頼する時代

高齢になった親の介護には、いわゆる毒親に苦しむ世代の苦悩が背景に隠れています。関われないから(精神的に無理で)距離を置いていたのに、年老いてきてから急に連絡が来たり、お金をあてにして使い込んで頼ってきたりと、面倒を見切れない親の最期に対して、初めて目にするシステムが紹介されていました。

登録料(50万円程度)を支払い、(認知症ではなく話が通じず暴言や依存などで関わるのが困難な)親の月々の通院の付き添いなどを含め、親が亡き後も葬儀の手配などの依頼もできるという内容でした。退職代行サービスの介護バージョンのような印象です。現在は、そのシステムを利用する人達が急増しているそうで、「親の最期は身内がするもの」的な価値観に苦しむ結果、このような形でたどり着くようです。

子どもの最後の優しさ

放置して親の面倒をみない、縁を切る人達もいると思いますが、このシステムを利用する人達は「責任のある最後の優しさ」があるように思いました。自分を苦しめるような関わりしかできない親に対して、放置せず、高いお金を支払って、最期の看取りまで依頼する。

親の最期は身内がみるべき、という価値観はもう古くなりつつあるし、介護の仕方に口出しするのは結局は家族以外の人達です。その家庭の解決方法に、意見する権利もないし、おそらく「自分達で介護して苦労したから羨ましい」だけではないでしょうか。近い関係だからこそ甘えや感情が入り、暴言などで精神的苦痛を感じるのなら、介護施設へ介護を頼むのと同様に、第三者に頼るのはおかしいことではないと思いました。

時代とともに当たり前も変化する

ひと昔前は、母親が専業主婦で育児するのが当たり前でしたが、今や共働きが当たり前になり、乳児から保育園に預けるのも普通になってきました。介護も、家族がするのが当たり前だったのが、今やデイサービスや施設に入居するのも普通になってきています。お墓も、放置せずに墓じまいをする人達も以前より増えつつあるようです。 
これらは、「責任を持って依頼している」ことであって、楽をしてる訳でもなく、冷たい訳でもありません。

口出しするのは、ひと昔前の価値観を当たり前に思っている一部の人達でしょう。ただ、そう思ったとしても他人の家庭に口出しすることではないと思うんです。決断するまでには相当いろいろ悩んでいるはずだし、たとえ何か言われたとしても、境界線を引いて、全部真に受ける必要もないように思います。
時代の変化とともに、正解が多様化しています。看取りについても、家族じまいについても、家庭によって正解は違います。たまたま目にした記事から、親の介護や最期について考える機会となりました。

新しいシステムについて、いろいろ感じたことを綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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