母親の束縛
実家が寺ということもあり、他の家庭に比べて、外出することに対して制限がある生活でした。同時に、成人しても「どんな用件で外出するか」を親に伝えて、納得されてから外出するのが当たり前の流れでした。一人暮らしを始めた時、この習慣がなくなって本当に気持ちが解放されたのを覚えています。
なんでも把握したがる母親
幼い頃は、子どもの人間関係や行動範囲を親が把握するのは親の責任として理解できます。それが、成人して、社会人になっても、母は、誰と外出するのかなど、生活や人間関係を把握しようとしてきました。
特に異常に感じたのは、両親の大学時代の同級生が、久しぶりに他府県から父親に会いに来た時のことです。約束なく突然の訪問でしたが、寺の仕事中心で友達付き合いもない父親にとっては、数少ない友達です。にも関わらず、父親を訪問したとわかった瞬間の母親の言葉が「帰って!」でした。私も子ども時代に会ったこともある人で、その時に近くに居合わせた私は、母親の失礼さに衝撃を受けました。
家族以外の関わりを認めない
母親は、「自分が大変な家に嫁いだのだから、家族は理解すべきだ。周りは夫の親族や檀家ばかりで敵ばかりから、自分の味方になるべき」的な考えを持っていて、それを押し付けることで、子ども時代の私をコントロールしていました。こういう考え方から、「家族は一致団結すべき」的な運命共同体であることを静かに強要されていたと思います。
母親本人は、気分転換で友達とたまに外出するにも関わらず、父親や私達子どもが、母親以外の人と外出することに対して、すごく不機嫌でした。「自分だけのけ者にされている」意識がすごく強く、自己中心的な考え方ですよね。だいたいのパターンが、「家族は苦楽をともにするもの」という思考なのか、「母親抜きで、家族が楽しむことや幸せになること」に対して怒りを示していました。そのため、 このような母親からの束縛が日常化してたように思います。
同じ考え方でないと認めない
幼いうちは、社会の普通に気付いていないため、我が家特有の特殊な考え方を普通だと思って生活していました。その間は、親にとって聞き分けの良い子どもだったと思います。でも、徐々に外で人間関係が広がり、視野も広くなることで、社会の一般的な感覚に気付き、家のおかしさに疑問を感じるようになります。そうなると、だんだん親の思い通りに手伝わせることが難しくなり、社会性を身に付けさせないために、外部との関わりを制限し、違う考えを否定して、自尊心を傷つけることでコントロールしてきました。
私は、跡継ぎではないため、肯定されてありのままを認められて育った弟とは違い、20代は否定されてばかりでした。そんな蓄積が続くと、明るさや自分らしさ、元気も失って、どんどん悲観的で卑屈になっていきました。
納得させようとする時点で、自分を下に置いている
親に納得させてからでないと、行動に移しづらい環境だったため、「許可を得ること」が当たり前になっていました。どんな説明をしても、理由をつけて否定されることもあります。30歳の頃、ストレスと過労で体調不良が長引いた私は、それをきっかけに「やりたいことに許可はいらない」とやっと思えました。趣味まで許可を得る必要はないんですよね。社会人になって、自分で稼いだお金で、納得いくお金の使い方をするのに、許可は必要ない!莫大な投資をする訳でもなく、服や習い事に使うくらいなので。
同時に、「許可を得る」行動は、親より自分を下に置いていた行動だと気付きました。
親の機嫌を優先しない
母親の不機嫌な言動が面倒で、渋々受け入れていたことにも気付きました。でも、不機嫌は相手の課題なので、放っておけばいいんですよね。母親はわかりやすく暴言を吐き、父親は黙って聞き流して認めない、そんな態度でした。でも、もう表面上納得することもやめました。
今は親の機嫌より自分の機嫌を優先するようになっています。
まとめ
自分の人生だし、不快な気持ちは持たないような選択が大切だと、意識して暮らしています。幸せな気持ちは、我慢しすぎず自分の気持ちを大切にすることから生まれると、こんな基本的なことに大人になってから気付きました。
人との関わりでも、親との関わり方の癖は出ます。相手が不機嫌でも、自分が何とかしようと思う必要はないんですよね。親の機嫌に左右されて育ったせいか、人の機嫌に対して「自分のせいかな」と思ってしまう癖にも気付きました。こうやって、一つずつ自分のパターンを修正していくことが、私の自分らしい幸せな生き方に繋がると信じています。
今回は、家庭環境を思い出しながら、自分の心境の変化について書いてみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。