怒りを溜めないために伝えるか、諦めるか
機能不全家族や毒親で苦しんでいる方は、「親には伝わらない」と気付いてから、親に理解や共感を求めなくなると思います。でも、「どうせ通じない」と諦めて、納得できない怒りを溜めて消化できないことと、「理解を求めなくても怒りがなく、自分の人生を幸せに進んでいる」のとは状況が異なります。今回は、私の揺らぐ気持ちについて綴ります。
「伝わらない」と諦めて言わずにいると、怒りは溜まり続ける
毒親特有の思考や育て方が、自分の人生に悪影響を与えてきたことはたくさんあります。私の場合、「弟との扱いの違い」に対して、自分が予想していた以上に強い怒りを蓄積してきたようです。それを親が認めようとしないことで、さらに怒りが増長する人生でした。
指摘しても「親にとって都合の悪いこと」なので、ずっとなかったことにされ、「私の我慢の上に成り立ってきたこと」に対しても罪悪感もない印象でした。
さらに良くない特徴は、父親は「真正面から向き合おうとしない」ことです。論点をずらしてはぐらかし、はい、いいえ、の2択でストレートに質問を投げかけても、自分の本音や煙たいことを言おうとしない、言えないことです。
恐らく、父方の祖父が癇癪持ちで、父親は祖父の顔色をうかがいながら生きてきたせいだと考えられます。そのため、「相手を不快にさせない回答」を反射的にして、「間違いを指摘する」など親として必要な「煙たいこと」「躾として非常識を正す」発言すらできない人です。これは今も変わっていないでしょう。(何年も表面的な関わりを心がけているので、変化はわかりませんが)
自分の心身の健康のために、伝わらなくても言いたい
何年もかけて、「親は通じない人」「共感力や気持ちに寄り添う機能が最初から欠けている人」と思えるようになり、本当に時間がかかって期待しなくなりました。「あれでも、本人は一生懸命理解してるつもりなのかもしれない」と、今は思っています。それでも、結局は自分の方が親の立場になって理解している状況なんですよね。
私は、自分が怒りをストレートに伝えることで、親が健康を害するかも、そんなことも考えます。しかし一方で、親が目を背け、なかったことにしてきたことが自分達に返ってきただけ、とも思うんです。
自分達の至らなさや非を認めず、それを指摘されることに対して、「親にそんなことを言うなんて」的なことを言ったり考えたりすること自体が、ズレています。子どもが、親に意見や気持ちを言うのを、「悪いこと」という根本的な考え方のズレこそが問題です。
言わずにいることは、表面的には穏便な状況を保てます。でもそれは、我慢の上に成り立ってきた今までと同じではないでしょうか。自分の中でフツフツと怒りがこみ上げてくる時点で、私の中では消化できず我慢、蓄積している状況なので、心身に影響が出ます。どんなに振り返り、自分の中で知識を深め、考え方や関わり方を修正しても、この湧き出る怒りだけはどうにもできません。
親への怒り、みなさんはどうしていますか?
私は、散々悩み苦しみ、結局は一周して「親に伝えないと、自分の健康に影響が出る」と思っています。また、自分の健康のために、今後は親や弟とも全く関わらないかもしれません。
この「伝える」という選択に対して、「幼い考え方」と言われてしまうかもしれません。
私には、「謝って欲しい」「人生を犠牲にされた」という気持ちがあります。親に黙って距離を置くと、本人達は何も学ばないまま(言われて理解できる、できないは別の次元です)ではないでしょうか。正直、それも許せないです。
機能不全家族や毒親に対して、似たような怒りや犠牲にされた気持ちを消化できない方、どう対処されていますか?私は、自分の人生は何だったんだろう…と思っています。最初の30年で、性格や関わり方、生き方って決まりませんか?似た経験や気持ちの方のご意見をお聞きしたいです。よろしくお願いします。
自分の消化できない怒り、揺らぐ気持について綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。