誰のための葬儀?
最近、いつか近い将来に親が亡くなった場合を考えるようになり、正直気が重いです。なぜなら、毒親と気付いて生きづらさに苦しむようになってから、葬儀に参列したくない気持ちが強いからです。親不孝な考え方だとは思います。一般的な考えでは、親の葬儀には出るものでしょう。
昔から親の葬儀に出ない少数派もいる
ひと昔前の芸能人の中には、破天荒で私生活も派手で、家族を大切にしなかった結果、別れた元妻も子どもも葬儀に参列しなかった、というケースもあります。私達の身の回りでも、子どもから縁を切った場合などに、少数派ですが親の葬儀に参列しない人もいるようです。
昔に比べて、小さい規模の家族葬が好まれる時代になり、第三者が参列しない傾向が増えてくると、身内が参列しなくても気付かれない時代とも言えるでしょう。
葬儀は誰のため?
本来は、故人を偲ぶ目的で行われるものです。ところが、参列者数は、故人が人から慕われていた象徴と考える人もあれば、喪主の社会的なイメージを象徴していると考える人もあります。
他には、「参列することで、自分のイメージを下げないため」という考え方もあるのではないでしょうか?どんなに親を慕っていなくて本音は参列したくなくても、自分の社会的イメージのために参列する人もあるも思います。
寺で育つと、他の家庭に比べて他人の葬儀の話題はとても身近に出てきます。そんな経験を通して私が感じたのは、葬儀は建前上は故人の体裁、本音は残された家族の体裁、ということです。地方であるほど、どう思われるか、何て言われるか、そんな気持ちが強く、形式的に行うことが難しい印象です。他人は悪気なくとやかく言うんです。
コロナ禍を経て葬儀も変わった
今や家族葬は、定着しています。コロナ禍で簡素化された習慣は、時代のニーズにも合っているのでしょう。家族が亡くなると、人は普段より感情的になります。そんな状況で、規模の大きい葬儀を行うことは、多大なストレスです。
最近は、生前葬も注目されています。これから多様化が進むにつれ、葬儀についての遺言も、「葬儀をするかしないか」に変わっていくのもかもしれないですね。
葬儀は故人のために行うのか、故人の家族のために行うのか、親族とも関わりが薄くなる現在、葬儀の意味を考えしまうのでした。
親の最期、葬儀についての個人的な考えを綴りました。偏った考えかもしれませんが、機能不全家族や寺育ちでなければ、また違ったかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。