知識から技術に
知識で止まっていては、現実で役に立たない。
自分自身で試した経験を重ね、昇華された技術は武器になる。
1)はじめに
今回は、知識、経験、技術、の関係について、述べています。
成長において、知識はたしかに必要なものです。しかし、知識を詰め込むことを是とする学校教育において、生徒からは「勉強に何の意味があるの?」と疑問を持たれてしまう。この記事の内容は、その問いに対する私なりの答えとも言えるかも知れません。
2)知識だけでは役に立たない
読書ばかりしていてはいけない
読書は手放しに良いこととされがちですが、注意点があります。それは、読書から得られるのは「知識」まで、ということです。
知っているだけで行動に生かされないのであれば、あまり意味はありません。現実は何も変わらないからです。そして、知識はそのうち忘れてしまいます。
知識に対する警鐘として、いくつか事例をあげておきます。
生兵法は大怪我のもと
半端な知識だけでは失敗する。十分に実践されたものこそ、頼りになる。書を捨てよ、町へ出よ
いつまでも本を読むだけで満足しないで、現実で生かそう。資格はあるが、実務経験なし
求人の際にも、知識だけで取れる資格より、経験を重視する。
賢者は知識と経験から学ぶ
もしも「経験」を軽視する賢者がいたとしたら、それは偽物です。なぜなら、現実において、ある知識が本当に正しいのか、確かめていないということだからです。
理論だけ考えて実験をしないのは、机上の空論です。生態調査で、野山を歩かない植物学者はいません。STAP細胞や考古学の神の手を、確かめずに信じるような学者は、ただの怠慢です。
知識を確かめずに信じたら、その知識は土台とはなり得ないのです。
3)経験から技術へ
経験はあなた自身のもの
知識を元にした仮想のシミュレーションでは、得られるものは限定的です。限定的だからこそ、私達は、実際に経験したいと思うのです。
料理の動画を見るだけで満足せず、実際に作ってみましょう。お好み焼きを作るとき、キャベツを千切りするだけでも、なかなか難しいものですし、そもそも千切りでなく、さいの目切りのようにするのも、生地を混ぜやすくて試してみる価値アリです。先に食材を切るよう指示するレシピもありますが(検索トップの記事がそうでした)、切ったキャベツを置いておく場所が足りないかもしれません。それなら最初にボウルで生地のベースを作って混ぜておき、都度、ボウルへキャベツを加えたほうが、効率的です。
どこの誰かもわからない人の言葉ではなく、自分自身で試し、五感で感じた経験には、他人が省略してしまったことや、自分にしか気付けない発見が含まれています。それらは代替できないものです。
経験を重ね、技術へ昇華させる
経験を重ね、自分の気づきを元に、より良い方法を作り出す。そうしているうちに、「技術」と呼べるものになります。
さきほどの料理の例でいえば、今、家にある食材から献立を考え、複数の料理を並行して作り、合間に洗い物を済ませ、出来上がりの時間を揃え、盛り付ける、といったように様々な工程があります。これを素早く行うには、タスクの順序を組み立てたり、手順を省略する工夫を考えたりする事が必要です。また、取り出しやすさ、使用頻度などの要素を考えて、調理器具やお皿の収納も考え抜いていなければなりません。
そのような力は、もはや料理にとどまらない、応用範囲の広い技術と言えます。そして、技術は「身につける」ものなので、自転車の乗り方のように、忘れません。使い続け、磨き続ける武器となります。(知識を「身につける」、は個人的に違和感があるんですよね。だって、いつか知識は忘れるでしょう?)
4)おわりに
本や記事を読んで、「知ってる」とレビューする人を見かけます。それは知識で止まっている人です。「やっている」「やってみてイマイチだった」「もっといいやり方がある」。こういう人が読書人であり、現実を変えることができる人なのだと思います。
知識で止まらず、試して、経験して、技術を身につける。そこまで進んでこそ、知識が価値を持ち、学校教育の価値を実感できるのです。
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自炊しないのは時短かも。でも、料理スキルは上達しない。