登山になぞらえる、表と裏
目標までの地図を描こう。
目標が達成できなかったときのダメージは、人生を頓挫させかねない。
1)はじめに
成長において、目標へ一歩ずつ積み重ねていく過程を登山になぞらえることは、よくあると思います。今回は、その例えを少し深堀りして、いくつかの教訓を示してみたいと思います。
2)表の面
山頂という目的地を見据える
高いところにある目標は手が届かなくても、小さな一歩を積み重ねていくことで到達できる。努力の分割と継続の大切さを教えてくれます。また、山頂と自分の現在地を何度も確認することで、今自分に足りていないものや、目指すべき方向を見定めることができます。
必要な装備と体力をつける
登山には地図が欠かせません。現在地を確認したり、自分にあった、正しいルート選択のために。また、水、食料、服装、雨具など持っていくものを選定する。余計な荷物は目標達成の足かせになります。
それらの装備を背負って、自分は今、山道を何時間歩けるのか。必ず、実際に試してみて、平地ならば倍の時間を歩き続けられるくらいでなければならないでしょう。
これらを受験勉強に置き換えると
合格までの道のりが描かれた地図は、現実にあるでしょうか。私は見たことがありません。せいぜい、日付の数直線に模試や受験日の日程を書いたもの。または横軸が日付、縦軸が勉強時間のグラフといった程度です。
地図がない以上、自分で作らなければならないのです。それぞれの模試というチェックポイントでどれくらいの点数を基準にするか。それをクリアするためのルートとして、選ぶ教材やどのように科目ごとの勉強時間を割り振るか。装備に当たるものは何があるか。本番まで歩きつづける体力はあるか、ペース配分や休憩の取り方は。道しるべとなる地図を描きましょう。
登山をするとき、何度も山頂を見上げますが、受験勉強ではそこまで多くないように思います。現在地を確認するのも模試だけだとしたら、少なすぎます。日々に設定した勉強時間を消化するばかりというのは、登山で言えば、目の前の道らしきものを信じ込んで歩いているようなものです。それでは遭難してしまうでしょう。
かけた時間と方向、両方兼ね備えなければなりません。ベクトルですね。
3)裏の面
分相応の踏破できる山に登れ
世間では高い目標を掲げることを是としているように思います。そうするほうが注目を浴びれて、気分が良いからです。ちょうど選挙期間中の候補者のように。
しかし、目標は達成しなければ意味がありません。達成できなかったけれど、得るものはあった?それは支払ったコストに見合うのか?
目標を達成できなかったときは、自分を過大評価していたか、そもそも達成する気がない嘘つきのどちらかだと肝に銘じましょう。それすらしないならば、同じ失敗を繰り返し続けます。
遭難すれば死が待っている
登りかけて、すぐに諦めて引き返せるうちはいいでしょう。でも、山の上で歩けなくなったら、道がわからなくなったら、転んで滑落してしまったら。高い確率で命が危険な状態です。がんばりやと言われる人ほど、ギリギリまで諦めず、結果、窮地に陥ることがあります。
これは逃げることを悪としがちな風潮のせいでもあるでしょう。限界まで努力を続け、それが報われなかったとき。そのとき受ける精神的ダメージは、その後の人生を頓挫させかねないほど大きなものです。
にも関わらず「こけたら立ちなされ」という言葉を、転んだ人ではなく、力尽き倒れた人に向かって言う人がいるように思います。
3)おわりに
登山には地図、装備、体力が必要なように、なにか目標に向かうときには、そのようなものが自分に揃っているか、考えてみましょう。ただ歩き続けるだけでは、目標は達成できません。ベクトルで考えましょう。
いきなりエベレストに登ろうとすれば、高い代償を払うことになります。逆転を目指すのではなく、達成できる目標から、目指していきましょう。
なんだか久しぶりに書いたので、テンションがおかしい気がする