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海外で、教室で、「自分らしさ」について考えてみた
私自身が海外に出て生活する中で感じること。
英語での生活は、「表現」量が違う!「表現」してなんぼです。(とはいっても、傾聴力の大切さはどこへ行っても同じ。)
「こんなことを言ったら、皆は驚くかもしれない。けれど、皆が思っていることだからこの場を使い伝えさせてもらいますが…」
こんな前置きをミーティング中の発言でも忘れない同僚。「きたきた」と、皆が苦笑いしながらも長話を聞く体勢に入ります。この導入で、声を変えても誰が話しているのかきっと当てられる。
長引くミーティングです。必要事項のみを話すのが効率的と考えますが、彼女は自身の心の動きをこまごま前置き発言、プラス話しの間に気持ちの経過報告も入ります。だから、話が長くなる!
そこが、彼女らしさ。
「表現」に関して、新鮮な驚きは今でも日々続きます。
「そこまで言うの?」
「そこまで説明しないと伝わらない⁉」
その裏側にあるのは…
「言わなくても分かるでしょう。」
「察してください」
そんな高度なことを相手に期待をしていたら、分かってもらえない。
伝えるのは、自分の責任。
だからこそ、表現をする練習し、発言する機会を持つ大切さ。私自身、何度も感じたことです。
表現力も筋力トレーニングだと思います。
勿論生まれつき突き抜けた能力を持つ人もいるのでしょう。けれど、大多数の人は、練習することで力がのびる。
そんな思いから、一緒に学ぶご縁があった日本人生徒達には、自分らしさを大切にする時間を持ってもらえるよう意識しました。インターナショナルスクールで学ぶということは、「表現してなんぼ」の個性が強い面々と共に、時間を過ごす可能性が高いはずですから。
授業中重きを置いていたのは、「自分らしさ」を「無難」で隠さない練習。生徒達に伝えつつ、私自身も一緒に学んでいたように思います。
子どもが作文や日記に使う定番の表現。
「面白かったです。」
「楽しかったです。」
「嬉しかったです。」
こう書いておけば、まあ、納得してもらえる…安全な表現。
無難な表現の鎧の裏側に、自分らしさをこっそりと隠しておける。
でもね、私の「楽しかった」とあなたの「楽しかった」は違うはず。「楽しかった」だけでは、みんな使う言葉が一緒。
お決まりの言葉で自分を守らない。
楽をしないこと。
ちょっと外れてみよう。
もっと、広げてみよう。
外れて広げたところが、自分らしさだから。
同時に逆説のようだけれど、外れないところが自分らしさの場合もある。
日本(式)の教育を受けた子ども達の器用さに感心することがありました。勿論個人差がありますが、グループになった時、器用さが際立ちます。
絵を描いてもらうと、多くの子ども達が「上手」な絵をかく。
「上手に」描かれた絵は、どれもよく似ている印象を受けました。
「上手」なんです。はみ出していない。
「外れない」力が、誕生後10年も過ごしていない小さな人の中で既に養われている。
その中、自分の世界爆発の絵があったりするんです。
スタイルが全然違う。紙面からエネルギーが飛び出してくる。「上手」や「下手」の言葉にはまらない、エネルギー。
学年初めに、皆の描いた自画像を壁に飾りました。
同僚がクラスに来ると、「あ、これ、〇〇〇の作品ね。」
「日本語クラスの生徒でこの絵を描くのは、〇〇〇だろう」と、絵から、名前がなくても誰だか分かる。「らしさ」が、紙面から3Dみたいにバシバシと伝わってくる。
名前は日本語で書かれているから、同僚は読めない。似顔絵と言っても、あまり似ていないしね(!)けれど、誰が描いたか伝わるって凄いパワーじゃないですか。
数年、学年度初めに似顔絵を描くことを続けていました。そうすると、数年経つとスタイルが変わる子どもがいました。
「今年は、自分の顔を見て描きたいから先生鏡をかしてください。」
漫画風の皆と似ている「上手」な絵から、自分自身で脱皮をする瞬間。
静かに心の中で「おぉ」と感動。
こういう瞬間を目の前で見せてもらえるのは、教師の仕事の醍醐味の1つ。
自分で選び、いつでも外れることが出来ます。
外れないことも出来ます。
その繰り返しが、「自分らしさ」の足跡を作っていくのでしょうね。