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人智学系エッセイ二編

 聖地巡礼、読書空間を求めての図書館、孤独を紛らしに雑踏へ。
 環境からの力の往還がある所、それを求め人はその在り処を違ったものにする。
 とある人智学者はイタリアの海に浮かぶとある孤島には、幾世紀か前に人間に対する邪悪な意図を持ち生きていた人物の悪の波動がある故、赴く者は気を付けねばならぬ、そんな事をまことしやかに言った訳だが、そう考えると現象化した思考って消えないのではと思えてくる。
 人間の思考活動にはきっと責任がある。
 蓄えた多岐にわたる種類の記憶(感情記憶、温度や肌ざわりについての記憶、空気感や音響についてなど)感覚の色彩を内に携え私たちは多様な印象の地を移動し訪れ、その土地土地を霊化してゆく。

 山脈の生命溢れる霊脈に立っても、船の旅の船上の潮風、流れる雲、眩い波頭、ゆるり移動する遠方の地平を眺めてもそれを感じ体感せぬ人種がある一定数いる。
 シュタイナーはそういうことを司る部位を感受と呼んだ(と思う)。
この鋭敏に機能し「今ここにいる」感覚を喚起するのにも関与するだろう場の働きが弱いと、対象の内に結晶化波打っている物等について鋭敏には感じ取れないとなるのでは、と。
 そんなわけで
 嗚呼、宇宙に輝くお星様お月様、中二病の頃まではお星様お月様でした!私は、ずっとその中毒者でいたいのです。

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